医学博士は大学では学生に人気もありカンファでも無敵だが、その後の進路を適当にするととんでもない末路になる。というか博士からいきなり臨床家の仲間にはなれない。博士は博士。臨床現場ではまたやり直しだ。ある程度の年齢から、年下に教えてもらう課題がたくさんある。なので、プライドを捨てる必要がある。実はこのプライドを捨てれずに、実は日陰でしか生きられてない先生が多い。いや、本人は割と平気なんだ。でもそれは裸の王様でしかない。それで、割と安定した収入に満足してしまうんだ。当然、現場ではやりがいを失う。やりがいを失えば生きがいも減り、存在価値を失う。いつやめてもらってもいい立場になるのはゴメンだ。なので、時々自分をふりかえる必要がある。俺は博士だ。だがそれはそれ。その名に恥じるかどうか、その後の俺にかかっている!病院に居残ってでも、そのセリフを吐いてみろ!

 医者なら誰でもあるが、「恥をかいてでも進み出るべきだった」ということ。たとえば身を投じればある手技を学べる機会があったのに、そのときの忙しさでついつい臆病になり・・・それを逃した。ま、誰かがそのポストを取ったというのもあるが、自分が強引にでも入り込めばできなかったこともない。

 それとある専門医が週に1回来ていたのに、質問のメモもせず肝心な相談もあまりすることなく関係が不発に終わったこと。わざと色々関わることで、何かに触発されていたかもしれない。

「ああ、そういう質問ね。なるほど。では、私の知り合いのいる病院がありますからどうですか。ほれ電話1本で!」

 ということもある。

アドバイス

2011年2月18日 連載
 さきほど、よそにコメントしてきた。最近はコネもできるが、それができるほど周囲に距離を置かれているのがわかる。距離ができる。こっちがえらそぶってなくても、それが余計ギャップを生むのだ。頭ごなしに言われなくなるのは悪い気はしないが、いざそう言われるとムッとなってしまう。まるで若い頃からチヤホヤされて育ち、そのまま不良債権化した中年女のようだ。

 で、さきほど、よそにコメントしてきた。あ、それはさっき言った。重要なのはその内容や是非でなく、それを打つうちに気持ちが強くなること。日常でもそういう会話はあるが、相手のレスポンスでテンションが下がることもあり、1+1が2以上にならない。自己満足かもしれんが、自分だけでもう3あるのだ。ようなものだ。

 こういうことを夜やると、テンションが上がった結果・・・不眠になる。

NHK

2011年2月18日 連載

 最近、NHKを観ている人が多い。特に医療番組を見て影響されてやってくる人が多い。待てよ。なんでNHKを観る人が増えたんだ・・・?よくよく聞くと、一番多かった理由が・・・

「裏番組がつまらなかったから」だそうだ。

 確かに、今さら外国の珍場面・名場面だとかヤラセっぽい警察24時とか・・・民放は非日常自体を狙うが、今やそれ自体が民衆の興味をそそらない。今の10-20代は、何も団らんでテレビにかじりつく必要もない。彼らにはケータイ、ゲームのほうがいいんじゃないか?

 ・・と僕もひねくれたりして、最近「ちょいダルおやじ」になりつつある。

 <やっぱりそんな世界だった>大相撲にも未だに期待を持ってる人も大勢いるようだし、次のスキャンダルに隠れればまた始まりそうな予感。大相撲に限らず、これらの一大事業のおかげで食べていってる人種は大勢いる。その事業は彼らにとって、止まってはいけないものだ。

 やんばダムもまだ完全に止まったわけでなく、住民と行政との攻防戦が未だに続いている。http://www.yamba-net.org/index.php業者や官僚からすると、おいしい汁を吸うためにはどうしてもやってもらわんと、自分の死活に関わる問題なのだ。ひょっとしてAKB48などもそういう一大事業なんだろうか。

 幸い、自分の仕事場にはそういった脅威はない。ように見えるが、薬剤の臨床試験もときどきそんな匂いはする。最近の臨床試験はどう見ても、どんな犠牲が出ようと効果が上回ったら<もう忘れていいだろ>的なものが多いような気がする。

 これはどっかで見た・・あ、そうだ。プライベート・ライアン的なものだ。この考え方に騙されて若者らは(いろんな戦争で)戦場へ送り出された。戦争という一大事業を成し遂げるため、利用されたともいえる。

 そして月曜日から僕もまた・・・環状線の電車へと送り出される。頼むから止まらんでくれ、電車。遅刻するから。

 







 詰所の数+各師長、それから薬局、医事課、総務課。1か月後、それ以上の予算でそれもほぼ平等に返さなくてはいけない。この1か月が異様に短いのだ。

 患者さん側からもある。正直、その場でどう対応していいか・・・未だに困っている。

 梅田の阪急などは物凄い恐々とした雰囲気だ。ヒト、ヒト、ヒトに、列、列、列・・・。ほとんどが女性(そりゃそうか)。いやもう、このあたりの女性密度(当然おばさんも入るよ)はふだんから8割くらいじゃないか?

 チョコに関しては平和なようで、売り上げは安定しているようだ。それにしても、何が<友チョコ>だ。手段を選ばんなよ全く・・・。そのうち男→男もありになったりして。

 やはり、寒さのピークはこれからのようだ。水分バランスの不均衡により、腸閉塞、尿路結石、脳卒中、心筋梗塞が増加しそうな予感。当直医は、大動脈解離の見落としにくれぐれも注意されたい。

 解離は思いもよらない部位から始まることもあり、脇の下や腕の痛みから発することもある(腕頭動脈付近)。患者は整形外科を受診してしまい、整形ではレントゲンのみで処方のみ、以後急変というケースもある。追及すると、突然起こってしかも進行性、というポイントを見逃していたという裏もある。

 こういうところ、試験と大きく違う。

 ・・・もう、こうなるしかない。のは目に見えている。だが何パーセントになるのか。食い物などすべて価格が上がるようなものだから、月給が減らされるようなものだ。何度も言うような気もするが、祖先の残したツケは大きい。

 だが今は安い食堂が多いし、ユニクロ・しまむらもある。意外と日本人は利口に立ち回るのかもしれない。自分は報復としてNHKの受信料を・・・そろそろやめようかと考えていいかげん20年になるんだが。

 あ、それか詰所への差し入れを減らそう。とか。

 これまでの統計で見れば、来週あたりから単位体積当たりの花粉が、目まぐるしいほどに増えてくるという・・・!予防のためには今からの内服が必要。

 アレグラから今はアレジオンに乗り換え。自分はこっちがよく効く。ジーク・アレジオン(寒)!しかしアレロックもよいという。クラリチンがあうという人も。相性なんだるうか、とも思ったりする。

 鼻の症状も嫌だが、目の異物感がたまらん。ワイパーが欲しくなる。

 

 小児科の外来も兼ねるようになったが、待合室の状況が凄い。子供らがみな下向いてDS!呼んでも微動だにしない。調子が悪くて来てても手放せないDS。それ以前に親。親もケータイで下向き。最近、下向きの人が多い。

 DSの流行は今さらだが、ポケモンのこの熱い市場ぶりはどうだろう。他機種との互換性を利用して、ポケモンというアイテムが取引されている。ポケモンは実体があるようで実はなく、ビジネスには支障がない。ポケモン自体が何か主張するわけでもないからだ(作者側ぐらいか?)。

 ということは、ポケモン探しの旅は終わるはずがない。終わってはいけないことになる。

 製薬会社の講演会も呆れるものがある。10年たつとゾロ品が出るので新しい降圧薬を出してきたりするんだが、もうネタ切れのところまできている。これまでの薬剤をすべてまとめて、DSでバトルさせたら面白いと思うんだが。


 この絶望的な日本でも、「勉学」という公平な権利がある。どんなに不器用でも、とりあえずペーパー試験をパスできる度量があれば、選択肢は拡がる。

 女性の方々もまずはヘルパー2級から初めてどんどん勉強し、学んでいけば看護助手、看護師へという道もある(実際そう進む人もいる)。すべて勉強するかどうか、それで受かるかどうかにかかっている。もちろん働き初めて「こんなはずでは・・」ということもあるだろう。でもそこまで勝ち抜いたらふつう、そんなことは言わんだろう。

 そう考えると、いまの20-30代には無限の可能性が平等にあると思われる。みんなと争うのに自信がないのなら、みなが狙わないもの(資格)を要チェックだ。

 40代からは難しいと思うが、そこは長年培ったキャラとアドリブとコネで頑張ろう。

 この憎くべき、携帯端末だろう。もちろん仕事がある限り手放せないが。でも手放すときは、感動するかもしれないな。いやいや、その頃は公衆電話も皆無だろう。

男のロマン

2011年2月4日 連載

 医局でいきなり投げかけられた言葉。

「僕はね、一生この仕事したくないんですよ」。何だと?と思われかねないが、実は考えさせられる。開業医を除いて、せいぜい臨床医ができるのは60半ばまで。年収も60歳を超えると激減する。施設長におさまったところで収入もパッとせず、責任は重くのしかかる。

「じゃ、何をしたいの?」という話になったとき、みな(うちは男性医師ばかり)から出たものは・・・

・ 釣り三昧
・ あてのないバイク旅行
・ 世界一周
・ 外国のマラソン大会
・ 北海道へ引っ越してログハウスのじじいを演じる(?)

 など。でも、すべてに共通していたのは・・・

「ひとりで」ってこと!

 こういうことか。価値が下がって、外国の投資家が出資を控えるとなると買い手がなくなって・・・日本の買い手であるゆうちょに委ねられる。ゆうちょ次第。ゆうちょの持ってる金次第。ゆうちょの金は国民の金。上限500万。これはつまり人質みたいなもの。

 もし自分が国なら、そういった金を実際に補てんに使ったら支持を失うので、それを人質にした上で消費税なり何なり上げる政策をとる。その支持を得るためには、国民に恐怖を植え付ける必要がある。外国では本当の破たんが各地でみられているので、そういう恐怖はいくらでも見せつけれる。その恐怖から目を逸らせ、やや優しいと思われた増税に賛成させる。だから増税にならないと、おかしい。

 そうすると日本は(戦後)最初から、実は貧しい国だったんだなあと思う。本来の姿に戻っていくのだろう。でもまあ、ユニクロと立ち食いがあれば十分だ。

実体

2011年2月4日 連載

 「この土地、どうですか」。不動産屋たちが今、焦っている。大きな事業主が相手にしてくれなくなり、個人がターゲットだ。医者はそういう意味で格好の獲物だ。もちろん開業の話。

 よく考えてみれば、不動産で「なんとか21」とかいろいろあるけど店自体は資料の集まりで、実は何も実体がない。ないのに仲介だけでもうけてる。なのに横柄だ。こんな職業もそうない。

 この社会につきあっていくなかで眼を鍛えて欲しいのは、この「実体のない産業」の存在だ。実体のないものがお金を巻き上げる。医者に近づくMRもそうだが、薬自体は実体ありきでも、彼ら自体は実はあってないような存在だ。

 ないものがあるように見せる。この不思議なマジックに気づかなければならない。

日頃少なくとも

2011年2月4日 連載

 生き残る・・・今の日本のキーワード、そのものだと思う。病院も最終的には最先端の機材を揃えた官公立病院かあるいは、救急に十分対応可能な大民間病院にしぼられていくという。そうでない病院(つまり中小)は今、一歩一歩追い詰められていくようになっている。いろんなルールがそのためにある。

 ただ病院が国の制度によっていきなり破たんすることはないわけで、息詰まるのは資金繰りに困ったときだ。資金繰りに困るときはつまり銀行から見限られたとき。つまり定期的な決算の報告で赤字にメスが入ったとき(大部分の病院はすでに赤字だが)。

 万が一自分の病院がそういう立場になるとも限らないので、そういう意味でも日頃の自分の業績は重要だ(次の雇い主がまず見る資料)。何ができてアレもできて、というのも必要だがコンスタントな売り上げはある程度打ち出しておく。年収以上はせめて必要、といわれている。

トラブる人

2011年2月4日 連載

 訴訟は実際そう簡単に起こるものじゃないが、やはり医者らの日頃の態度が関係していることが多い。たとえば明らかなミスが起こって、それを説明して本人・家族に伝えて・・・

 家族がいったん引き、改めて身内らや知り合いと話す。いったん冷静な話になるはずが、第三者が聞いて「なんじゃそいつらは?」となった場合、怒りは倍増する。第三者は現場を直接知らなくても、家族の話のニュアンスで反応することになる。当然、話し手の立場に同調したものになる。話し手の話は第一人称的なものだから、多少身勝手ないやしかし(スタッフへの)印象そのものを含んだものとなる。印象はそれまでの積み重ねを含む。

 その印象というのはミスから以前もさかのぼる。スタッフが患者をおざなりにしたり言葉のかけかたであったり、無関心さであったり・・・ひょっとしたら<それだけのこと>が決め手になったかもしれない。

 いや、その<それだけのこと>が実は・・・マニュアル作業で無意識に不要とされていることなのだ。

葛藤

2011年2月4日 連載

 優柔不断とも取れる言葉だが、自分は「長所と短所を秤にかけるもの」と思い込みたい。もちろん決断を迅速にしていかないといけない仕事だが、この習慣がないと行動が単に衝動づけられたものになる。

 この次はこれ、この次はこれ。もう終わりましたが何か。こういう姿を先輩に求めている人が多いが、これではもしものミスへの心の準備もない。

 最近でも医療にマニュアルやパスを持ち込みすぎて、肝心な患者の立場が置き去りにされている感がある。マニュアルは受験勉強の延長みたいなもので、医療という不確定要素の中、満足度の高い確かなものだ。勉強会というのがいかに自己満足的なものか気づかないようなものだ。いや、マニュアルは作ってから満足するものでなく、その上で変えるアイデアが生じるべきものだ。

 ただ、複雑なものを理解しやすくしてまとめる作業は大切だと思う。でもそこで満足するのでなく、じゃあ何を失ったか何を削ったか、それは本当に不要だったのか・・・そういう葛藤が必要だと思う。

 若い医者が多く入ってくるが、(医者に限らず)若い人にはその葛藤の経験があまりないようだ。

救急の先生

2011年2月3日 連載
 救急、特に3次救急にドップリつかっていた先生らは、(ほとんどが)いずれ2次救急的な病院へ移ってくる。最先端の医療を体得した優秀な医師が多いのだが、(自分のような2次救急オンリー医者)一緒に2次救急で働くとなると・・・いろいろ問題が生じることがある。

 自分の技量を信じて疑わない医師が多く(それは信念とも呼べる崇高なものではあるが)、別解的な治療をあれこれ選んでくる傾向がある。

 何人か共に仕事したが・・・意外と長続きしないのだ。辞めたケースの彼らの一巡はこうだ。

 救急どんどんとる(ジェネラルルージュなみ)→変則的な治療で現場が混乱→どっかから引用したマニュアル作成→パラメディカル、ついていけず→彼らドクターいない間のトラブル→マニュアルによる矛盾発生→ドクター間、パラメディカルらとの軋轢

 そして・・・僕らにこう明かしたものだった。

「だめですわ。この病院は」。

 いや、そうなのかもしれないが。ある意味。

 3次救急を学ぶ人をどうこう言うのではない。ただ、どの分野もドップリつかりすぎると・・・それは宗教的で身勝手、非適応になる。


< 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 >

 

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索