よく医師がそうやって誤解するわけだが、病院で上げた利益というのは・・・医師個人のものではない。それに協力した者たちすべてのものだ。と、言いたいところだが、そうでもない。

 実際に病院の経営のケツを叩かれているのは総務・医事課の長あたりであって、彼らがベッドコントロールを調整しナースサイドの隙を狙って過剰な診療を達成する。そもそも過剰な診療をやらないと利益は上がらない。国公立の場合、借金は国が背負うからそこは伸び伸びしているわけだが。

 この長らの評価は毎月の売り上げにある。毎月の会議で経営者に報告する。売り上げが高いときはいいが、下がったときは叩かれる。つまり「何とかしろ」ということだが利益が上がると「何とかした」と言えるようになり、長の首がまたそこでつながる。

 事務側の長でも腰の低い者はいることはいるが、自分の経験上9割以上は陰でアッカンベーのクズどもだ。医師の功績が自分の功績、彼らの評価がそれだから仕方のないことかもしれない。だから医師らはそんな奴らのために、無理してまで利益にしがみつく必要はない。



 いや、これは誤解を招きそうな言い方だ。重症患者は常に病態が変動するし、1秒後に何か起きるかさえ分からない。医師が患者に張り付く行為は、できそうでなかなかできることではない。

 一方、通常・・・経験が乏しい研修医はその低能力の分、患者に張り付くことが勧められる。しかし、今はそんな風潮はない。

 低能力だと低能力なりに、アイテム的な考えなく知恵を絞るという訓練が身に着く。訓練が身に着くのであって、能力が身に着くのではない。この訓練がいかにその後に役立つかは各個人のその後に生かされる。

 たとえば「俺は何度も病院で徹夜した」とかあっても、その事実だけなら単に診療を独占しただけであったかもしれない。他の意見・医師を遠ざけることになり、真相が藪の中になる原因にもなる。徹夜の連続で患者が良くなるならするべきだが、重症化が進むほど(プライドを捨て)他の意見を取り入れるべきだ。

 なので、本当に患者が心配で付き添いたいくらいの気持ちなら、藁をもつかみたい気持ちのはずだ。そういう態度で臨んでいるのか、それとも違うのか。自分をいかに客観的に見られるか、ということだ。
 これも、やり尽くされたテーマではあるが・・・

 忙しい医師ほど知らない間に貯蓄が増えているわけだが、結婚すると妻に管理され、長期的な予後でみると安泰な方にいく。しかしこれを男が管理し続けたり独身もそれだと、思わぬ方向に使われたりする。

 僕の周囲では、株や投資(マンション多い!)、馬(主として)に使っている者が多い。偏見かもしれないが、ゴルフなど趣味がある者に多い。ゴルフ場ではいろんな投資家との出会いがある。グリーンまで歩く間、サウナなどで意気投合するわけだ。ラッキーな話を得た、とド素人が勘違いする。生保レディで美人ならもう負けたも同然だ(スコアでなく)。

 そういう場所でまぁこんな会話があるわけだ。「お金は、今使わなくっちゃ!子供も言うこときかんしね」「寝かしといても、金は増えませんからね。ワインじゃないし」「安倍さんにはもうちょっと頑張っていただいて!」「何もしないでお金が増える。そりゃいい乗った!」

 その<乗せる>人間はそういう話目的でそこに来ている。でなきゃシガラミ避けて、海外で豪遊してるさ。カモを一所懸命探す。家計はすでに火の車なわけだ。だから苦手な早起きしてでもシャケのごとく向かう。

 まぁ、とにかくゴルフ場へ行ってみたまえ。世界の悪が、そこにある。
 トラブルを起こす人はその技量からというより、その発言・態度が原因している。結果的にコミュニケーションが上手くなく、2人チームさえ作れない。結果的に個人行動するしかなく、他人の評価と自分のそれに溝ができる。

 医師で辞める人は、たいていこういうつまらない事が発端になる。歩み寄るところがないので、誤解のまま辞めることが多い。

 僕も何度かそういう相談を受け引き留めるものの、実は内心「ああ、やっぱそうなんだな」と履歴書読んでそう思ってしまう。この医師は何度もこうやって繰り返すんだろうな、と。

 もちろん経営側や体制の問題で、衝動的に辞めようと思う気持ちは有りうるが、じゃあ辞めたらどういうデメリットがあるか考えれば修復の方向に向かうはずだ。

 それは何か?もちろん、これまで診た患者の今後の事だ。夫婦間でもそうだと思うが、子供のためなら・・・とあえて耐えている人もいる。
 これも前から言ってたことだが・・・たいてい共同っていうのはリスクの分散だとかキレイな言葉にすり替えられる。

 最近は開業を共同経営して、主治医が数か月ごとに変わるというシステムにしているところもある。あるいは偉い先生に週1回来てもらって、その人も共同経営、というスタイルもある。

 しかし、共同経営は揉める。必ず揉める。取り分が多いにしろ少ないにしろ、均等分割にしても必ず不公平が存在する。特に独身が結婚したあととかが大変だ。本人が良くても妻の意向が入ってくる。

 で、経営が息づまると「そもそもあいつのせいだ」とかなって揉めたり、融資が必要になり<2号店>を立ち上げたりする。傍から見ると景気はいいが、そう思ってもらわないと無理して借金した意味がない。何度も言うが、老朽化でもないのに新築したり、病院買い取ったりするのは病院の意向じゃないよ。銀行側の意向なのだ。

 そこで、他の人間に声がかかるわけだ。「いっしょにやってみない?」と誘いが来る。もちろん本音は「借金、共同でしない?」。それこそがリスクの分散なのだろう。
 この便利というのは・・交通の便を主にさす。交通の便がよければ人通りが多いし、特に夕方など受診が便利だと思われる。

 駅周囲の開業を募集する広告をよくみかける。が、広告がある時点でおかしい。広告には金がかかっている。なんでそんな便利な物件が広告で出さんといかんのか。こういった考え方に慣れてほしい。

 まあ広告はいいとして、駅周辺の開業は一見魅力がある。しかし土地代が高いためテナント2階・3階での開業となる。北の国からのソウタ兄ちゃんではないが、純。や・め・ど・げ。うん。

 まず駅周辺はサラリーマンでごった返している。彼らは通常3割負担だ。よほどの病気でない限り、彼らは金も時間も使いたくない。なので、軽症なら来ない。重症ならどうか。だが重症なら最初から出勤はしないし信用度から大病院を受診する。

 しかも立地が2・3階だと目につきにくく、老人が受診しようとしても(足腰の悪い場合は特に)抵抗が出てくる。めんどくさい印象で首をもたげる。だからといって表で「らっしゃい!」ともできないし。

 なので、よほどの特殊な専門(美容外科とか)、あるいは借金継続する覚悟でもせんと数年でしかもたない。だがら、悪いことはいわん。やめどげ。来るのは鳥だげだぁ。どんな鳥か知ってるが。かんこどり、ってとりだべ。キセキなんてなぁお前、ぜっだいに起こらないっぺよ!


 純ならどうこたえるだろうか。

「いつか奇跡は起こるかもしれない。そこにも、絶対はないと思います」

 キャラが違うだろうが・・・。 

 いや、これも病院によってはそれが目的だから。そういう病院はいいとして、しかし大半の民間は<そこそこ救急可>な病院なのが現実だ。もし自分が選んだ病院の性格を間違うと、話が違うと愚痴ることになる。

 なので情報入手の際には1日の救急車受け入れ、そこのドクターの構成、具体的な資格・業績など自分で確認したい。症例が多くてもドクターがサボりなら意味がないし、訴訟を多く抱えて末端無視の傾向があるかもしれない。職員がどんどん辞めてないか、とか。それらは<無理強い>のエビデンスがある。

 自分の描いた描写にある通り、老舗の散髪屋など病院周辺の産業がそのことをよく知っている。彼らは、いや歴史は嫌なことほど語り継ぐものだから。出かけたらいい。もちろん、医師であることは伏せとくように。

 どんどん救急を診たいなら、病院選びを間違うな。

 こういう人々は、田舎がいったいどういうところかを分かってない。テレビばかり見ていると、農村はみなアットホームで助け合う温和な人々みたいなイメージがある。まったく違うが、事実を知りたいならその逆だと思えばいい。

 田舎に残っている、土地を拡げているなどにはそれなりの意味がある。財産が手放せない、銀行にがんじがらめ、魂はそこにすでに縛られている。彼らの信念はすでに出来上がっている。

 自分の描いた話は実話が元だが、真田病院はいったん僻地に進出、自衛隊の病院を駆逐して新病院を開設した。のはよかったが、経営者は銀行らに負債を課せられ、経営悪化した病院を住民らは見放した。経営者は無理をしてサービス向上したが住民からは何も返ってこなかった(具体的には機器をいろいろ購入したが患者の足自体は飽きっぽく遠のき、遠隔大病院に向いた)。その結果がこれだ。

 経営者が純粋で、住民・地域そのものを信用してしまったことがその敗因だと分析する。

 いやいや、いいことだよ。と、面談で僕は答える。実際、病院の利益になるし悪くない。ただ、最初にこうアピールされると経営側は陰で「よっしゃ、じゃあやってもらおうか」とほくそ笑む。

 大阪では消化器科が多い。外科くずれ(業界用語)の消化器科医も多いが、内視鏡ができるかどうかでコスト面も見直される。胃カメラができるならクリッピングや硬化療法は、といった具合。大腸内視鏡ができる医師は特に重宝される。これらに夜間呼び出し可となると、病院には手放せない存在となる。

 消化器科で検査をバリバリやりたい、という申し出が多いため従って検査が山のように入ってくる。検査の機会が多いほど、野暮な症例が入ってくる。トランプのババ抜きみたいに、いつぞやババが混じっている。野暮じゃなくとも、思わぬ合併症で想定外の処置を要することも出てくる。周囲も人手が足りなかったりでトラブルが起こりやすくなる。

 あまりバリバリやり過ぎると、こういった頻度が増えてくるのが自然の法則だ。医療だから当然、アクシデントは避けられない。だが立て続けだと魂が参ってしまい続かない。そんなときが必ずある。だから<バリバリ>でなく、<バリ>くらいの意気込みでいいと思われる。


 

信念が作るもの

2013年6月4日 連載

 これも何度も繰り返してきた話だが・・・今では雇う側の僕らからすると、医師のやる気はそこそこ重要ではない。いや、あるにこしたことはないのだが。不思議と、血気盛んな医師ほどすぐ辞めてしまう傾向にあると思われる。

 僕が<信念>という言葉を嫌っている理由はそこにある。自分が描く話にはそれぞれの人間がそれぞれの信念を持って仕事をしている。ハイソな人ほどそれを譲らない。それが動かないもとで行動するわけだが、いざそれが揺らぎそうになると原点回帰もせず保身に走る。それが自滅を呼ぶ。

 これは現実社会でもみられることで、いくら「こういった検査を充実させたい」「こういう治療を取り入れたい」「欧米のシステムを取り入れたい」といっても、その観念といつか正面から向き合うことになる。うまく機能しない。周囲が分かってくれない。こいつらはダメだ。もうイヤだ。そんな具合になり職場を放棄してしまう。

 1人での決心だけで周囲が変えようとする考えそのものが、やがて怒涛の物量となって自分を押し潰す。信念の行きつく先はシステム化であり、そのシステムは暴れ馬のように扱いにくくなる。

 マイケル・クライトンの映画でも、あったろう。

 

後味

2013年6月2日 連載

 いくら温厚なキャラで通そうとしても、病院という場所では別だ。いろんなスタッフがおり、手足となってくれたり非常に頼れる存在だが・・・しかし人間。ミスも油断もする。でもしてからでは遅い。してないかどうか目を光らせ、起こった場合は再発防止に努めることになる。

 不思議なことだが、大人は年を取るほど実は子供に戻る。「なぜ注意されたか」という思慮でなく、「こっぴどく怒られた」など自分の感じたものに支配される。何度も思い出す機会が増え、鬱になる者も増えてくる。とうとう仕事、出勤までもが嫌になる。

 なんて子供っぽいんだと思うかもしれないが、それが現実だ。それが変えられないもなら、せめて後味の悪いものにせぬよう心がけたい。注意してその後無視、というのでなく注意し続けるテンションを徐々に下げていくという風に。相手は「ああ、もう嵐が過ぎていく」と安心すると同時に、冷静さで反省していく。そこでスパッと会話を切れ。

 今日の格言

 反省は その場でせんと 身に着かない。

 以上!

 救急車が次々と運ばれる。診断も情報もない。今回そんなラッシュが続いた。いや、一部の病院では見られる光景だ。事務側の配慮のなさで、2~3台の異なる症例を1人の医者が診ることになる。

 江口洋介が確か、俺たちは1人ずつ確実に診るしかないとか言ってたが、実際はそうはいかない。やはり最重症がどれなのかを常に視野に入れつつ、優先すべき症例に優先すべき処置を行う。各患者の病状が変化し、優先順位も変わる。

 それらの処置の大前提として、必要器具はすべて取り出せるところに用意しておかないといけない。意外とそういったところが撤退されていない。「ばや、お茶!」とばかりに持ってこい、と自らは動かぬ医師が多い。

 ラーメン屋でもコンビニでも、デキる店員は違う。たとえ客が常識破りに多くても判断が一瞬一瞬的確だ。いちいち動揺しない。どんな状況でもアドリブが可能だ。学生のとき、こういったバイトもいいかもしれない。

 自分は塾で教えたが、50人ほどの生徒を個別指導しなくてはならなかった。とうてい無理な話だ。だがそこはグループ分割というアイデアで切り抜けた。個人でなく、グループの合計点で評価。競争心が生まれた。差別的な問題もあったが、システムとしては機能した。

 マネージメントとでもいおうか。昔の人は少ない食材で大家族を養った。そういった力をぜひ長所として持っておきたい。


 自分も気をつけてはいるが、結婚相手が専業主婦だと当然、家にいる時間の差が圧倒的に違う。でも自分が帰宅して、あとは受け身で任せられるのは有り難い。独身の時は、帰宅したら通常真っ暗。結婚すると反転百八十度する。

 ただ、僕の周囲の既婚者のほぼすべてが・・・尻に敷かれている。いや、本人はそう感じてないのが多いようだが。言い換えれば<すべて決められている>。

 彼らの生活はこうだ。朝起きるが妻は寝ていてそのまま出発。コンビニ朝食値段制限あり。午前中~夕方勤務まで唐突にかけてくる電話、メール。近所の揉め事などの解決は夫が戻ってから、という<宿題>が入るという。昼食は病院のまずい食事(でも格安)が鉄板、携帯で報告の上病院を出て帰宅。同僚の誘いの断りも鉄板。直後に<宿題>のため外出、夜はすでに妻の両親が(了解なしに)来ており夕食⇒晩酌。長話。風呂掃除と妻の愚痴聞きに反省会(反省するのは夫)。ヒステリーのまま疲れ果て寝るという。子供ができると携帯・メールの頻度が倍増する。

 とても忍耐のいるケースだと思うが、実にティピカルな症例だ。

負のループ

2013年6月1日 連載

 もうちょっと話しておこう。金持ちになるのは、銀行と親密になることだ。いやいや、銀行との親密があってこそ楽にローンが組めて儲かる事業が許される。病院がどんどん増築したり、多角経営に乗り出す背景がそこにある。

 銀行としては、個人に儲けてもらうその一方で<税金対策>などという名目でマンションなど物件の購入などを勧める。カケヒキ的に、医者らは購入する。その分、経営面での優遇が図られる。周囲からすると、あの医者マンション何件も持っててすごいね、ということになる。

 やがて不動産の価値は落ち続け、持ち主は手放そうにもできなくなる。すると銀行は賃貸としてなど、あるいは医療関連施設などの利用を提案してくる。もちろん、その際にも負債を背負う。気がつけば<施設長>とかになっている。

 さらに負債が増え続けると、今度は共同経営などで攻めてくる。見知らぬ人間とセットにされ、これまた施設か何かの責任者に。その反面、自営のクリニックの立て直しなど便宜を図ってくれる。

 そう、これらのループはまるで・・・船頭にロープを首に巻かれて餌を取らされる、<鵜(う)飼い>のようなシステムだ。もちろん観客は、賞賛する。だがそのロープは死ぬまで永遠に外れない。

 だからその、つまり・・・なんでも<そこそこ>にしておけよ。

開業

2013年6月1日 連載

 今のところ、開業の予定はない。自分はそこまでの器でない。一言でいうと、借金の重圧に耐えられる自信がない。といったケツ穴の小さな理由だ。

 自分の知り合いの開業医をすべて平均すると・・・開業医は表向き、羽振りはいい。裸だろうと大様でいられる。1日30人も来れば安泰だ。手取りも増える。が、自分の性格に照らし合わせると・・・

 まず医師会には入らず土曜日営業、おそらく日曜の午前営業もやる。開業するのなら老舗に比べて便利でないと追いつかないと思われるため。休日診療をやって初めてついてくる患者は多く、その恩恵も大だから。すると今さらだがプライベートは全く無視となる。いや、それでもいいと思うのが怖い。おそらくエスカレートする。

 医院が黒字になれば、スタッフらは必ず待遇改善を求めてくる。もちろん言いなりでは経営が圧迫される。あの手この手で揉める。より便利な器具の要求などにも、ある程度目をつぶる必要もある。こういった営業への徹底したローコスト主義が実践できそうにない。

 こういったことの継続により、患者1人1人への配慮・対応も今までと異なったものになると思われる。

 <雇われ院長>の募集もある。比較的多くの患者を継ぐことが多く錯覚的な自信を得ることもでき、業績もそれなりに出せる。だが、雇い側はあくまで他人。コスト面を削るなど勝手なことをしてくる。たいてい別部署も経営しており、左遷を勧められたりして揉めることが多いようだ。

 金持ちがなぜ、と思うかもしれないが・・・借金し続けてこそ保証された金持ち、というのが本質だ。儲かるほど銀行との関係が親密になりマンションなどの物件をもちかけられる。その価値の変動はいかに?







 

 
 ここで登場するユウという医者は、もともとそんなキャラで登場してきた。変わったことをする、周囲がナメにかかる、ところが状況を一転させたり人のうらやむ行動に出る。

 <フォレストガンプ>はまさしくそういうキャラの映画だった。しかしこの映画のキャラ作りの上手いところは、それを取り囲む人間のキャラがさらに善良なところだ。

 もちろん現実は違う。ガンプみたいなキャラがいても周囲はあくまで自分にとってどうか、という評価・判断だ。味に飽きたら、攻撃して変化をつける。それが医者世界ともなると、その医者がもし自分の脅威になるかも・・と思ったら、全力で防衛的になる。患者への熱意が自分の保身にまわれば、相当なパワーだ。

 山崎という医師が長年連れ添ってきた。飲み会でも、内視鏡でも一緒。しかし、彼は彼なりに客観的な評価を持っていた。最初は<この上司を真似たい>だったのが<なぜ何をやっても(俺の評価が)彼を越えないんだ>という疑問に変わり、<どうやったらこの上司を越えれるのか>と手段を選ばなくなる。

 そして彼は、ついに<連帯保証人>のハンコをついてしまう・・・。

 この部分は、十数年前の実話を元にしている。


医師も病人

2013年6月1日 連載
 いきなり仲間や上司の訃報を耳にする。医師になって約20年、最初に知り合った50代は今や70代。病気の医者の知り合いが増えてもおかしくない。死亡例にこだわらず、年齢別に偏見で挙げると・・

・ 20代 ・・ 精神的なものが多い。研修生活の厳しさで鬱状態に。あるいは派手な女性関係が裏目に出てこれも鬱状態に。命には関わらなくとも、職場人生の危険が大きい。

・ 30代 ・・ ときに脳出血が医局で発症というのがある。仕事を増やしすぎた過労がたたり居眠り交通事故。食べ過ぎストレスでの潰瘍。<働き盛り>を背景としているものが多い。アッチに走り(軽い)性病を持つ者も。

・ 40代 ・・ 成人病もこの代で発症する者も多く、他人に診断される前に自分で治療してたりする。糖尿病もけっこういる。整形領域の病気も好発してくる。既婚者は学費のためさらにバイトが増える。

・ 50代 ・・ 40代で不摂生していると、ここで合併症に悩まされ休暇・休診が多くなる。心不全、SAS、インスリン導入など深刻さが増してくる。学費・ローンのプレッシャーによる鬱も多い。ここらになると粘着気質が多くなる。ちょっとママ!パパの洗濯とあたしの一緒にしないで!と娘に言われまた鬱になる。

・ 60代 ・・ COPDだと、常に廊下でゲホゲホいいだす。狭心症も1本ずつの拡張術。ポリープの定期的入院。前立腺肥大による夜間尿。それなりに病気と2人3脚。何度も有給、復活を繰り返した上、とうとう引退する。と思ったらまたどっかに籍がある。

 いまのゆとり世代はファーストフード世代だろう。なら発症はもっと早いかもしれない。






女という表現

2013年6月1日 連載

 テレビやアニメに登場する女というのは、バランスが取れすぎている。性格が悪そうでも、必ず良くなるようにできている。行動に理由があり、一貫している。なので、数タイプしか性格が存在しない。スーパー戦隊ものとか、そうじゃないだろうか。

 しかしご存知のように、性格の悪いのは通常そのまま悪いだけ。良いのが悪くなるのはあるが、その逆はない。

 現実はさらにその上に別の要素がある。これは説明が難しいが、ふだんは予定調和で平均的(ドラマなどに近い)なものと、差別的なもの、気まぐれ的なものだ。差別的なものというのは、その女が勝算を確信した上での残酷な振る舞いのこと。本能的に相手を切りつける。気まぐれ的とは文字通りコロコロ変わるもので、周囲の予想と逆に逆説的に行動するものだ(褒めといて虐めるというように)。

 これらを描こうとした。女医が2人ですれ違いざま<ブス><タコ>呼ばわりを連発する、これは自信ある描写の1つだ。

あえて選ぶ道

2013年6月1日 連載

 仕事のキャリア、時期によってはヒマで平和ボケな時とかないだろうか。病院勤務でも、実はある。医師も希望さえすれば、そこそこの年収で楽なところを見つけるのも不可能ではない。

 しかし、平和慣れした医者や人間というのはどんどん鈍くなっていくもので、まあそりゃマイルドな人格にこしたことはないが・・・いざ<敵>が現れた時、いとも簡単に吸収されてしまう。現実と戦ってなかったため巧妙に取り込まれる。この<敵>というのはまぁ、いろんな罠のことだ。利用しようとする力とでもいおうか。身近なものなら業者、儲かる話、女、村社会などだ。

 人間には、1週間に一度でもいいからハッとぶたれる機会が必要だ。40以上の人とかみなそう思うんじゃないか。そういう意味で、週1回の非常勤、副業や厳しいスケジュールが必要だ。なるべく忙しくてしかしやりがいのあるものがいい。具体的に言うと、やりがいというのはよほどの無理、物量をこなさないと得られないものだ。しかしマラソン同様、ある時点で生まれるものだから不思議だ。そこを生活の軸、リセット点じとせよ。


背景を読む力

2013年6月1日 連載

 本作にも登場する、病院経営者。経営者のスタイルは10年前と比べるとかなり変わってきている。大阪の印象だけで言えば、臨床経験を片手に乗り込み病院を立ち上げ確立した<1世>世代、これがみな今高齢化、あるいは引退してきている。

 いま<2世>がその流れを継ぎつつある。2世と言っても年齢は様々だが、たいていは成功した1世の遺産を借金ごと背負うわけだから、気持ちの持ちようによっては相当なプレッシャーだ。資金繰りのために良い業績を<作る>必要があり、正直現場の揉め事には立ち入りたくない。

 この現場への不干渉が第2世代の特徴だ。病院にとどまらず、社会全体がそういった構造だ。経営者が雲の上の人になることで、末端すべてを無力化できる。資本主義の仮面を被った共産主義だ。

 ただ経営者の横にはイエスマンと呼ばれる側近がおり、命令に絶対服従するのが条件だ。そのため経営者の性格は、だんだん独裁者的になる。

 僕らはつい一方的にそういった人種を非難してしまうが、そうなった人間にはそれなりの理由、背景、過程が存在するものだ。むしろ、興味深い人種と言える。

 もしアベノミクスがあのまま続いていたら・・・?傲慢な人間が、いや傲慢になる人間がどれだけ増えただろう。傲慢な経営者と同じく、結果のみを求める人間で埋まるだろう。常日頃現実と戦ってないと、いくらでも楽な方へと転がっていく。



 

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