見学にやってくる医師(常勤・非常勤・学生に限らず)で、最近見受けられることだが・・・

 いやいや、無言でじっと見つめられる。そんなことには慣れている。それはいいのだが、マナー的に気を付けてもらいたいことがある。

 手技を見てそれを盗もうとするのなら、その手技の準備よりも前に早く来て、その手技がすべて終わってできれば後片付けの手伝いまでするぐらいのサービス精神で臨まれたい。途中から突然現れたり、スッと出ていくのは社会的論外。

 旅行のツアーでもそうなのだが、あまりに予定がキツキツだと記念写真や名物に追われてしまい、現場の大変さや生活感を感じることができない。それと何より、スタッフに言いようのない不快感をもたらすことがある。いや、不安感がなくとも、ポロッと落ちてくるようなボタモチ情報を逃すことになる。

「ああ。あいつは真面目に見てたね。最初から最後まで」と、僕らは医局で話す。第一印象は、こういうことで決まっている。

北の国ロード

2012年9月21日 連載

 画像を載せようと、奮闘中。アップを待て。

 北の国ロードを、レンタサイクルでひた走った。妻は富良野の友人宅であり、自分1人での戦いだった。

 ゆるやかな坂を登っている最中は、苦しくてもうキタの国どころではない。頻脈(tachy)で、タキの国といったところ。しかし、車では決して味わえない景色を拝めた。車だと常にエンジン音が伴うが・・・

 キキッ!とキューブレーキ。すると無音。景色が静止画。時間を感じなくなる。そこでイヤホン。もちろん、さだまさしのあの曲。

 すると・・・あっちのほうに見える農家の人が、よくも知らないのに「それだけでいい人」に思えてしまう。まるで道楽で農業をやっているかのように。いやいや、実際は大変だ。銀行に買わされた機械が、まるで軍用車両のように置いてある。

 そしてまた、イヤホンを外した。でも、まだ何か音楽が。

 うわあ、俺だった(あ~あ~あああ・・)!


函館山

2012年9月20日 連載
 無謀にも、函館山に登った。小さい山だろうから、すぐ登れるだろう、と。ところがヒイヒイ、ヒイじいさん、のような人々とすれ違う。山ではみなすれ違いざま「こんにちはー」と社交辞令。

 しかし、登りきったあとは感動した。函館山の高度を感じることができた。展望台からの景色は、もはやテレビなどで慣れてしまっている。

 ・・・帰りは、ロープーウェイだったけど。
 以前は、非常勤で勤務・当直帯とくれば欠かせないのがノートパソコンだった。論文作成のためは別として・・・ネットの利用が主体だ。LANは無線があるかなどチェックしていた。

 しかし今では医師のスマートフォン率はかなり高く、いやサラリーマン全体がそうなわけで、それが便利でもあり何よりお荷物なしであり・・・。

 なので、持ち込むバッグが小さくなった。電気屋を訪ねたが、値段がかなり崩れている。でも今やそれに振り向くこともない。電気業界はこれまで暴利を貪ってきた。これから苦労しても仕方がない。

 そういうことで、机に向かう機会が減ってきた。今は、何もかも寝ながらできるのではないか。それが嬉しくもあり、悲しくもあるわけで・・・。

 

生汗

2012年9月15日 連載

 診療する上で、生汗が出るという訴えの場合はいろいろ考えるようにしている。胸痛にしても咳にしても、一歩上に進んだ(もっと重症の疾患を想定した上での)診断の除外をすすめる。

 胸部レ線なら胸部CT、単純CTなら造影を、心電図なら超音波、血糖だけでなくCPKなど。頭部CTが正常でも、3~6時間後かMRI。医師なら少々心配性のほうがいい。患者が望むのは、あくまで病気でなくなること。簡単な検査処方で終わらして、都合のいい大円団に持っていくのは論外だ。

 ところで生汗とは<不安や焦り,または急激な体の不調などの切迫した状態になって出る汗>とある。アニメで強敵が出たときに顔に出てくる汗。現実世界では、通常みられない汗だ。ああでも、下痢でトイレが見つからないときに覚えがある。あれも生汗か。

五郎医師

2012年9月15日 連載

 では果たして、五郎の人物像を医者に投影できるのだろうか?

<カンファレンス>
 ゆとり医師が、ブツブツと発表。聞こえないぞ、というスタッフに対して。

「別にいいんじゃないすか。声は小さいけど、彼。その彼。彼の表情、見てたけどオレ。すっごく。すっごく真剣だった。あなたはその。聞こえないっていうけどさ。あんた、言うけどさ。あああんた。自分はそんなとこ座って。聞こえることしか聞かなくて。それでいいのかって。お前は黙ってろ!な。間違ってる。間違ってるよ!」

 僕は、そんな父さんのせいでカンファが長引くのが、うっとうしくもあり・・・。

 そんなこんなで、僕のバイトの到着も遅くなるわけでもあり・・。

 そんなふるまいだと、変な関連病院に飛ばされるわけでもあり・・・。


富良野の思い出

2012年9月15日 連載

 ちょっと前、妻と空知川のカヌーで川下りをした。なんと、大きな岩の上(川のほぼ中央)に乗り上げてしまった。ガイドは「ああ・・」と言いながら下流へと流れていった。

 あとで説教されることもなかったが、ちょっと反省した。ここは五郎さんにでも静かに怒って欲しかった。

 あ~あ・・・あああ・・・

「君らは・・素人です。ずぶの素人。観光客だからって、自然をナメちゃいけませんよ。乗り上げたのがいけないんじゃない。乗り上がったのは、君らのその、自然をなんというか・・・冒涜する、その傲慢さなのです。それがお父さんは、許せない。ジュン。それ返してきなさい」何を?

 あ~あ・・・あああ・・・

 おお、諦めの「あ~あ」が<さだまさし>に変わっていくマジック。

モーニング

2012年9月15日 連載
 週に1回日曜日だけ、朝食に食べるコーンフロストが美味い。あえて週1回にしている。こんな甘いのを毎日食べたらメタボ化すると思う。

 ふつう日曜日の朝はけだるいものだが、これへの期待もあって比較的早起きできる。いまは箱の背面に載らなくなったが、<アメリカの朝食>は魅力だった。コーンフロストのほかに、でっかいパン、目玉焼き、大きい器の牛乳、搾りたてオレンジなど。

 前述したかもしれないが、ウエスティン淡路の朝食は魅力だった。オムレツを目の前で焼いてくれるコーナーがある。オニオン入りなど3種類。1個食べるのに5秒。このほか和食(ホカホカご飯・大きな梅干!)にコーンフレーク・目覚めそうな牛乳、滴るフルーツなど。ケーキ、コーヒー。また取りに行く、妻がなんと言おうとそれでもまた取りに行く。

 この、「それでもまた取りに行く」貪欲さがモーニングの醍醐味だ。

2012年9月15日 連載

 ゆとり世代も延長戦に入って、それでも古びた社会の一員に染まらなければいけない。そのためには自分のフルを出す。フルチンはダメだ。今の世にそぐわない。

 染まるためには、自分の個性をわかりやすく伝えないといけない。分かりにくいのは敬遠される。「あいつは何を考えているか分からない」とレッテルされたらオシマイだ。

 いや、第一印象は不器用でもいい。ただし、2度目の機会を持つのが前提。若いときは大きな会などに触れることが多いからチャンスはある。このチャンスのときに、個性を出す。時間が限られるなら、<芸>がいい。

 部活動をやっていた人、特に体育会系ならそのフォームを披露する手がある。上手かったなら真剣フォーム、オンチだったならウケ狙い。

 あるいは上層部の好きそうな・・そうだな。漫才、早口言葉、ものまね(ナンバー2以降)、歌など。とにかく覚えてもらう。インパクトを強く!仕事は対照的に真面目に。

 同じ真面目でも、そのギャップで覚えてもらえる。




 
 マンションのモデルルームに行けば、かなり勉強はできる。自分ら夫婦も暇つぶし的に行くが、帰ったときはクタクタだ。だがローコストで過ごせる。ひるは公園でお弁当。イベントでもらうお菓子、トマトなど。

 ただ業者の説明をそのまま信じて、衝動的に購買意欲が湧くような人はおすすめできない。テレビショッピングの<残りわずか>ですぐオーダーするような人だ。

 そもそも、業者がなぜあんなに親切なのか。ほとんどの人が買わないだろうに。その理由は、忘れられない脳内麻薬にある。ギャンブルと同じで、当たるとヒトクチ(1件の契約で)数十万(40-50万かそれ以上)が懐に入る。その快感に支配されているから、嘘も平気でつく。借金も多くあとは運任せみたいなところもあり、やたら開運アクセサリーを多用する。

 これはマンション業者だけでなく、保険や教育セールスなどすべてについていえる。だから彼らは1件1件断られても、地道に足を運ぶ。

 子供が生まれたら、就いて欲しくない職業だ。



心の中の中国

2012年9月15日 連載
 そういう日本も、資本主義で金儲け支配する一方で、それぞれの社会は共産主義だと思われる。その1つのムラの中では絶対的なトップがおり、その中で出る杭がないような<秩序>ができあがる。それを乱すものに、いじめ・嫌がらせという現象が現れる。

 病院でもそれは例外ではなく、特に民間では見えないストレスが支配している。公立のような、諦めのつかないポスト編成に乏しいからだ。公立はキャリア的にデキる人間ほど上にいるものの、民間は「あれが上なのはおかしい」人間が上にいたりする。ここで、下層の不満が爆発する。

 下層が結託したときの執念はものすごい。1つの嫌がらせに、命の寸前までかける。嫌な人間の行動、食事など、物品、駐車場、ここまでかというくらいに息をひそめる。ひたすら相手の失敗を待つ。ときには大胆に行動する。

 これが、いまの中国の扇動パワーに似ている。日本人もうっかりすると、暴徒化する。なので、ある程度のポストは確保するべき。下層(その意味は深い)の仲間になってはいけない。

 もし最近カッとなるようなことがれば、「あれ。オレ共産デモだ」と取り直して修正すると良い。




 


ユニクロ

2012年9月8日 連載

 コンビニが症に合う。いやコンビニのあの構造が。時間が惜しい時はコンビニ。服はユニクロ。平日の昼間だと、ユニクロの買い物はしやすい。

 ユニクロで定期的に買うのが、当直帯に着るシャツだ。ときどき買い換えるのは、せめて当直帯は季節ごとリフレッシュしたい。そんな気分からだ。

 些細なことだが、胸ポケットの有無は重要だ。というのは、寝るときそこにPHSや携帯を入れたりするから。振動にして、呼び出しはそこにかけてもらうようにしている。すぐ出れるし、いやそれだけだ。

 ポケットはもっと色々あってもいいと思う。「ドラえもんポケットつき」とかオヤジ世代でも受けると思うんだが。自分なら、わざとガラクタを入れたり・・・ま、やはりこれか(すでに既出↓)。

「ハイ!タケプロン!」

甘えからの離脱

2012年9月2日 連載

 自然に立ち返るのが本来の姿なら、まずマクドナルドや松屋は卒業しなければならないだろう。あれがおいしのに・・と自分でも思うわけだが、そもそもクセになる味自体怪しいものだ。でも後世に遺伝子を残すつもりなら、そのクセからの離脱を考えて欲しい。

 そうなると質素な食事となる。素材はなるべく西日本、田舎っぽい食事。調味料なるべくなし。冷暖房は極力、停止。代謝のため運動もするようになる。太古の人間を見習うなら、敵から守るための筋力トレーニングを日々養うことになるだろう。実は意識しなくとも、本能で思いやれば地道に暮らせるものなんだ。

 しかし現代人、正直そんな単調な生活はつまらない。どちらにも恩恵は受けている。時々、思い出して欲しい。というか思って欲しい。このままではダメかもしれない、と。

自然に立ち返る

2012年9月2日 連載

http://takedanet.com/2012/09/post_32f8.html

 ひょっとしたら、因果関係というのは言われているほど正しくはない・・・?そう思うときもある。スタチンによる自殺の増加は指摘されるところだが、製薬会社は深追いしてない。証明自体も難しいと思われる。副作用報告というのは、医師がメンドくさい書類に長時間記入・サインして1万もらってやっと出来上がるものだし。

 ただ、冠動脈の解剖をみるとコレステロールが沈着しているのは明らかだから、過剰なコレステロール自体はやはり悪玉と言わざるをえない。ただし、喫煙は原発同様、遺伝子を傷つけるわけだから肺癌というより体自体の害だろう。

 しかし製薬会社はそういった事実を利益に直結しようと日夜考えている。コレステロールが高いというわけで治療するようにする流れなら、その基準をどんどん低くすればいいという考えだ。こういった考えからか、最近では降圧剤・抗生剤の投与量も増えてきた。

 ともあれ、過剰な治療は体に攻撃的でむしろ良くないものと思われる。だがその一方で、ファーストフードの氾濫、喫煙などそれ自体自然に反するものを抑制しないと、本当の犯人探しは難しいのではないのかな。

 そもそも人間がどうやって生まれ、何の恩恵で生きていたのかを考えれば各人の生活習慣は確立できるものと思われる。



 こういうことだと思っている。日本が大戦に負けて、GHQ、米軍基地、CIAとかが根を下ろすが・・・以後、国家の治安は割と守られている。他の国と違うような違和感を感じる。

 その前向きな条約がサンフランシスコ講和条約だが、原発の動きが出てきたのがちょうどここらしいhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E6%94%BF%E7%AD%96

 原子力関係の開発はものすごい加速力だったようで、どうも国民が完全に置いていかれてしまっている。ただ原子力に協力したことからか、日本は経済的なピンチを何度も切り抜けている。国民は貧乏でも確かに働いたと思うが、それは以前の洗脳力が(怒りになることなく)そのまま向けられた、ひたむきさの結果だと思うんだが。

 そして今、アメリカの顧客であるはずが原発が停止し「おい?どうなってんねや」と横槍がはいってる。稼働しないと電気どころか、やっとつかんだ3丁目の夕日が沈んでしまう。

 肯定も否定もしない。できない。ただ、初めてネットが繋がった時に感じたような巨大な力、<震撼>のようなものを感じずにはいられない。

 そして僕らも植えつけられた医師像に疑問を抱く暇もなく、やっつけ仕事に夢中だが・・・その間にこの国が考えていることは?形だけの長寿を保守し続けようとする、その理由とは・・・・?

 ああなんか、数年前のミスチルの歌詞みたいだ。








  


 むしろ<ふり>を生活に導入して、ローコストに楽しんではどうか。

 朝、早く家を出る。職場にそうとう早く到着・・・するも通り過ぎ、コンビニで立ち読みトイレ。何も買わず喫茶でモーニング定食。結局、ギリギリに職場到着。

 午前、足早に仕事。まるで午後に何かあるかのように、全て午前で終わらす雰囲気。ところが。午後は相当ヒマになる。しかし廊下では足早で、雑用を押し付けられない。周囲が勘違いする結果だ。

 夕方。飲みに誘われる雰囲気。おごりたくない為、いかにも昨日まで飲み会だらけだったふりをする。ちょっとだけなら金があると言いつつ、逆におごってもらう。代わりに「開業したら雇ってやる」話で夢をみさす。会見ライクにお涙頂戴もさす。嫌な奴。

 帰宅。しかしここで。妻への差し入れは忘れずに!調べられても大丈夫な高価なケーキなど。

「うまかったから。さ、君も!(実はそれ、俺は食べてないんだけど・・・)」

 これも、フリフリ。えっ?それってヘソクリのため?

 なんだか、<ふり>で1冊本が書けそうだよ。もちろん、発表会見は涙目で!
 芸能界は、その<ふり>の集大成だ。ローコストな<ふり>によって莫大なコストを狙う。まずはいかに注目を浴びるかだから、注目を受ける手段を選ぶことになる。

 だからといって犯罪はタブーだし何か配るとかもったいので、儲けたい側は何もせず末端の芸人に自ら行動させることになる。

 来日記者会見や試写会とか見たら分かると思うが、こういった会合には必ず主役の芸人・ゲストがしょうもない暴露話をする。地位が高ければ、ひたすら泣く。もちろん、すべてシナリオ通りと考えられる。結果的には商品は売れ、大衆の心理を低コストで買い叩いたことになる。お見事。

 AKBでも、センターが何度も今度こそやめる、<ふり>をしていたと思う。この<ふり>によって何度も購買が沸くだけに、大衆は何度も試されたものと思われる。いや、むしろみんな・・・好きなのか?そうされるのが。

 いやいや、自分も経験がないわけではない。「そろそろ、俺もこの病院やめて開業しよ・・・ってするわけないない」「先生。ちょっと~!」



あげるふり

2012年9月1日 連載

 さきほど挙げたキーワードだが、こういったことは本では載せないし会話でもあまりない。なぜなら「ふり」というのは商業取引上非常に厄介で邪魔な存在だからだ。

 AがBに物を売りたいとき、AはBに対してまず不安定な心理にして間髪与えず契約を迫る。感情が肉薄してこそ、ほんの他人がリスク付きの行動に出る。

 逆にBがAを知るために翻弄するなら、まずBはAから<買うふり>を演じる必要がある。これは本気だと思わせる。Aに夢を見させる。Aにドーパミンを流させる。反面、不可解な行動でAの夢を倍に暗転させ・・・その不安定な状況で、どこまで聞き出せるか、有利な契約・結果に持っていけるか・・・。

 病院経営を例に出すと・・・経営を依頼される。いけそうなフリをしつつ、相手の本音を聞き出す。同情してやる。感情を引き出す。ドーパミン顔になる。こちらはあくまで「もし」で対応。夢を描かせるものの、不可解に突然否定しだす。相手、動揺する。そこでこちらの本当に聞きたいこと、契約に必要な条件を即答で尋ねる。果たして裸になった相手は、何を話すのか・・・?

 断ったあと、「ああ、なるほどな」と答え合わせ。こういった演習を繰り返す。結局誰にも魂売らない人生になろうとも、しょせん<頼んでくる他人>に対して迷惑ではない。







 自分は、一部の親友・身内以外を除いてすべて他人と割り切っている。もちろん、表面的に良好な関係は多い。悲しいことだが、上位の職に就けば就くほど他人%は上昇する。

 その他人たちが知りたいのはおそらく・・・相手が「何を考えているのか」ということだ。もちろんその他人に対して。良く思っているのか、そうでないのか。重要視してくれているのか、そうでないのか。表面の会話では見抜けるものでもなく、通常それを聞き出す勇気もない。

 それを遠まわしに知りたいがごとく、通信機能は発達している。フェイスブックなどまさにその本音だろう。ケチな欲のために、人はそこまでしてきた。しかし、価値ある情報はそんなことでは入手できない。価値ある者は疑いやすい。しかし「あげるふり」をすれば近寄ってくる情報というものが存在する。ここで初めて上位の情報が手に入る。

 この「あげるふり」は、勉強して上位に行くほど真実味を出せる技となる。勉強とはもちろん即戦力のあるものだ。不器用なら、地位の高い職を目指すことになる。それを、いい人間がするかダメな人間がするかの違いがある。



田舎を知ること

2012年9月1日 連載
 医局人事で田舎に飛ばされる人は、田舎などと落胆せずに社会勉強のチャンスと思うべき。

 田舎は<不変>の象徴だ。なぜ不変かというと、それが楽だからだ。これは人間の性格にも言えることだろう。したがって、<変えるもの>を一番恐れている。もち、目上の人間のほうに関心がいく。病院の医師も脅威となりうる存在だ。

 この<変わらないもの>を変えようとすると、いずれ自分が墓穴を掘る。なので、こっちも変わらずに対応する。動じない。買収されない。臨時しない。すぐ返事しない。熱くならない。1人衝動しない。

 その一方で、考える。どうして根強いのか、どうして集まるのか、豊かな理由が何か、本当に豊かなのか、それを支えるものは・・・。ひょっとしてそれが日本の・・・?

 答えはここには、示さず。



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