YAKUZA

2012年10月23日 連載
 やくざ、という言葉があまり聞かれなくなってきた。いやいまだに<ヤーさん>と陰では言われているが、正直こいつはそうなのか、どうなのか。中途半端な者が増えてきた。強そうで、臆病。刺青なのに、ひ弱。文句つける割に、標的不明。なので、ここでは広義のヤクザとして述べる。

 医師になって予想もしない洗礼が、①いじめ・いやがらせ、②投資、③やくざ、だろう。学生のときは関わらないし、知る由もない。①は学生時代のとは比較できないもので、なんせ転職いうても簡単にはいかず次の職場もどうか分からない。②は広い意味だが、事業を起こしたり共同経営を迫られたりと罠がいっぱい(何度も言うが、日経平均とともに変動する者に注意)。

 で、③。医師は基本的に患者を選べない。第一印象でも見逃すことがある。気づいたところで<あぁ、しもた>となる瞬間がある。ただトラブルのケースのきっかけは最初の対応にあったりする。

 最初の対応というのは、つい軽々しい言葉、説明のない処置、軽薄な印象など。実は日頃の患者が我慢して泣き寝入りしそうな内容だ。奴らはまず、こういうところから突いてくる。

 こういうとき<末端事務員>を呼ぶと、つい謝ったりして反撃の口実を与える。末端だと記録に残らないようなもの。必ず責任者(事務長・院長・理事長)を交えること。責任者を後出しで呼ぶと、「それまでの経緯に関しては私は存じませんが」で逃げられる。

 言葉通りだとダーティだが・・・揉めたら、巻き込め。私の助言は間違いない。

 医師が転職して、最初に当てられる入院・外来患者の中にはそういった者がいる・・というのは常。




利権化

2012年10月20日 連載
 そこで続きだが・・・医師は診断・治療だけが仕事ではなく、書類の作成にも大きな責任を背負う。医師のサインがあるだけで、その書類は各患者の人生を良くも悪くも一変させるほどの力がある。

 そうまあそのサインに力があるわけだ。医師に力があるのではない。意地悪く言うと、医師がサインして患者側はその医師に責任を背負ってもらう。だって医師がサインしたんだから、というふうに。生活が保証され、しかしそれを利用する者が増えてきた。

 一方、病院スタッフ末端の中には<チャンス>を狙っているものが多く・・・これもやはり医師のサインを求めてのこと。サインにしてもそれは病気の書類でなく、病院の経営に関することだ。このサインさせることが簡単なようで実は一歩間違えば命とりなわけだから、それら末端はいつも受け身で待っている。で、誰かが我慢できず一線を越えていく。目指すは手数料とその後の利権だ。

 この<一部の末端>に気を付けられたい。これで人生を狂わされた医師らが非常に多いのだ。利用しよう、利用しようと血走った目があちこちに見え隠れする。

 上目使いをしてくる者は可能性が高い。叱って以降姿をいったん消すのはリセットへの伏線だ。


 
 大阪は特に生活保護が多いわけだが、とりわけ反則技の割合が高い。反則技の者は病院を通して書類に<就労不能>と書かれた者で、口コミで要領よく申請し認められた者だ。申請で認められなくとも、あるところに頼み込んで圧力をかけてもらう。この<あるところ>が圧力団体だ。

 この圧力団体の名前などは検索したら出てくるから置いとくとして、こういったのが(暴力団資金で)病院や企業を買い取りさらに団体の職員・家族を派遣する。派遣されて労働するのは末端なので力はないが、情報は逐一全て上層部へ流される中央集権政治となっている。

 末端には難しい内容は理解できないが、揉め事・ゴシップなどの騒ぎには敏感で、それをいかにホットなうちに上へ届けて褒められるかというのが使命と思っている。

 最近は圧力団体がからんでなくても、組織そのものがそうなりつつある。現場に出ない欲深い経営者と、無能な末端という構図がよくみられる。それを嘆く必要はなく、そこをどうやって逆利用するかが重要だと思われる。

 いちばん気を付けるべきは、つい末端に自分を安売りして陰で安く買いたたかれるケース。たとえば「あの職員は趣味が合う」とか意気投合して、その末端がそれ(人間関係)を利権化、出世の道具にしてしまうことがある。





感心研修医

2012年10月19日 連載
 要は、常に現場にいること。これを超えれるものはない。

・ 上司より早く来ている
・ 上司より遅く帰る(今はむしろしにくい)
・ 上司の患者さえ気にしてくれる
・ 患者の家族背景にまで関心を持ってくれる
・ 常に現場にいる
・ 眠そうな顔をしない(眠くても)
・ 走る
・ できないことを正直に報告する
・ くやしいほどに泣くほどの経験をする
・ 検査結果をなるべくその日のうちに解釈
・ 患者の心配を常にする
・ 電話対応するくらいなら現場に行く
・ AMIのときは泊まる(循環器の鉄則)

いろいろ研修医

2012年10月19日 連載
 こういうのは、予後がよろしくない。

・ いきなり診断名を当てようとする(自己顕示欲が強い)。
・ 珍しい症例を自分だけ先に選ぼうとする。
・ 重症が軽快した途端、診療態度が一変する(冷める)。
・ 採血の前に筋肉注射をしてしまう。
・ 瞳孔の左右差、つまり脳ヘルニア有無への配慮見落とし。
・ 画像を1人で自己判断してしまう。
・ みんなと一緒に行動しない。神出鬼没。
・ 確認したことをアピールしない(黙ったまま)。
・ できません、という判断・発言が遅い。
・ 利益になる先輩にしかつかない(最初から特定グループにゴマすり)。
・ 反省の色がない(ふつう顔に出るもの)。
・ 関連病院など政治的打ち合わせを(自分だけ)こっそりする。
・ 緊急時、自分だけで何とかしようとする。
・ 初対面の家族に徹底的に冷酷なムンテラをする(よほどの重症は除くが)。
・ 許可も得ず、いきなり見学に来る。
・ 調べもせず、安易に質問する。
・ 上司がいないときの態度が一変
・ 「帰ってよし」に即反応





 どちらかというと、増田貴久のほうに感情移入すべきドラマだろうか。研修医は最初ああいうものでいいのだが、最初から個性が強すぎるとのちのち苦労する。個性に譲れない<我>があると、取り返しのつかないことに巻きこまれる。

 研修になれるとだんだん各自個性を出すようになり、そのまま生かせはしてもそれを変えなければならないときがくる。たとえば、強気→謙虚、弱気→大胆、暗→明、それらの逆もある。研修時期は医師が人間として変われる最初で最後の機会だ。良くも悪くも、そのあとは多少しか変われない。

 恋愛でもそうだが、打算なしにまっすぐものを見れる時期というのは・・・そうないことに気付く。しかし今どき、研修医は(ほとんど)夕方には帰れるシステム。これでは身をもって修行することは不可能だ。
 さっきの話に関連するが、これまで負けた人間をよく見てきた。もちろんそんな勝負はないが、病院の人間関係の中で勝ち負けは明瞭だ。いま買ってる負けてるではなく、そのまま勝つか負けるかの見通しだ。その見通しは客観・主観がピタリと合う。

 負けの意味をもっと深く言うと、決定権をなくすこととか待遇改善が求められない、ガードされていることを指す。負けてる者はたいてい、負ける過程まで敵を増やしているからその後も負け続けるという<ド貧民>的な運命を持つ。

 負ける過程・・・負ける人は、その負けるまでたいてい(周囲から見て)割の合わない楽をしてきている。誰でもそうだと思うが、楽をしたら人間的にもだらしなくなる。プライドが邪魔して起きられない。

 だからといって勝つ人を目指す必要はない。いずれは負ける。大事なのはむしろ負けない人間であるということ。

 付け足すが、人生が勝ち負けでないとかいう安心感はネットや歌などでいくらでも自己満足できる。だが、上に行こうとするほど社会は幼稚園だ。勝ちか負けだ。勝ち続けたい人間は2の倍数で守り続ける。なぜなら楽をしてきたら・・・さきほどの通りだ。

自分が末端なら

2012年10月17日 連載

 末端の頃だと、ついつい中堅どころの信者になってしまい特定のコンビを組んでしまいがちになる。病院という世界はこの2による割り算からできていて、これが2+2になったりもしくは6になったりと慎重な集団が出来上がる。さすがに受験を勝ち抜いた集団であって、負けるような賭けはしない。

 さてその中堅はさらに各部署トップみたいな者への信者であって、つまりは「あなたが昇進の際は私めをよろしく」といった計算がある。もちろんそのトップが転落した場合、それ以下は敗戦国のような仕打ちを受け続ける。

 いまの時代、何があるか分からない。たとえば業績重視の循環器グループでも、人間関係のどこかで破綻すればグループはそのうち解散・再編、業績は落ち価値も低く見直される。特に負けのほうの末端は苦しい再出発を強いられる。

 グループそのものの破たんが避けられなくても、その小グループの末端になる必要はない。ハッキリ言うと、修行中でない限り子分になるべきではない。経営者から動かしやすい駒とみなされる危険がある。

 それは、カンファレンスのときなどに「どうしてかな~」と考え中モードを示唆する行動だ。確かに診断や治療が浮かばなくて袋小路なことはよくある。しかし、自分に脳がありながら思考を止めて呑気に「なんだろな~」というのは不謹慎でサボりと思われる。

 診断・治療に悩むなら当然調べにかかるべきで、そのネタは尽きない。ふだんから資料を用意していたら、そもそも手を休める暇はない。読むだけでなく、書くことでヒントが出ることもある。

 そう、その書くことがけっこうモノを生み出すことが知られていない。まずいろんな文献からキーワードを(内容を理解したうえで)書き出す。知ってることと知らないこと、自信と可能性が裁かれる。白黒つけていくうち贅肉がそぎ落とされ、筋肉質な選択肢のみが残る。そこで結論を出す責任感がなければもはや自分への不信感と判断し、不安になるから自ずと相談にかける。もちろん、発する言葉には<こう思う>という内容が自然についてくる。はず。

 それなのに「なんだろな~」と呟く医師が多い。これじゃ、あの「なんでだろう~」踊りとなんら変わらない。




 ゆとり世代が次第に社会に進出してきているが、またリセットに失敗した中年もゆとり化しているように思える。リセットに失敗・・というのはネガティブな場合の転職、降格などのケース。

 病院では事務関係、中でも資格を要さないような要員は多数雇えるからか、若年者が多く雇われる。事務とはいいつつ、病院関係なら重大な責任を負うことになる。

 仕事に慣れる前に、まず人間関係、その前に印象。印象というのは身なりは当たり前だが、ゆとりは無理せずにその長所を生かすべきものと思われる。

 ゆとりの利点はその分かりやすさにあると思う。その既視感のようなものでレッテルを押されるわけだが、それも1つのインパクト。それがファーストなら、セカンドインパクト?でさらに抜きんでる必要がある。

 それは、<ゆとりらしき行動パターン>だ。どんなことでもいいから、毎日決まったことを決まった時間にどんな理由があろうとも同じテンションで実践する。この、同じテンションというのが重要。いまの中年以上は思い上がっていて、実に気まぐれで自ら操作しにくい。こういったのは今後社会から淘汰されるだろう。

 その反面、安定化したソフトは信用を得られやすい。背伸びをしないながら、その姿勢は日常への差別なき継続への感謝・・・すら感じられる。

 今のところ、チャンスもないまま「あいつはダメだろな」と見下す中年以降が多い。しかし、ひるまない継続性を見せれば・・評価を裏返すチャンスが望める世代でもある。

(病院職員の例)

・ 毎朝決まった時間に出勤
・ 開院前の気の利いた1行動
・ 決まった食事パターン
・ わざと目につくようにした休み時間
・ ドアを開けてあげるなど小走り行動
・ 相談は即日解決
・ 自筆メモの駆使>電話
・ とにかく座らない
・ 視線を常に配る
・ 見かけた力仕事には手伝い依頼を
・ 電話はクレグレ音出すな
・ 笑顔は作るもの。鏡を見てみろ
・ 自分は出さず芝居の舞台と思え

 ああ、なんだかその<中年以降>みたいになってきた・・・。


 


キーワード

2012年10月6日 連載
 ちょっとネットの利用を変えれば、報道されてない重要な情報があるのに気づく。というより、ついこの前まで世間が悩んでいた内容がいとも簡単に過去問にされてしまうことだ。

 さすがにそれ用のノートを用意していないため、自分もついつい忘れる話題がある。医療に関しても1日で削除されてしまうニュースもあり、背景・引用も分からないまま遠くへ隠蔽される。何か、巨大な利権の力を感じてしまう。薬剤の重要副作用も風化作用も、かなり巧みになってきた。

 かといって穴場ニュースばかり発掘するわけにもいかない。なら裏側から。いま、流れているニュースはなぜ表にでるのか。それに相応しいものなのか。そもそも何を気にするべきか・・・。

 幸い、隠蔽があってもキーワードさえ掴んでおけば検索で何かは引っかかる。そのためキーワードからの連想が今後重要になるものと思われる。様々な情報に翻弄されようとも、キーワードに要約してどこかに書きとどめておく(カレンダーや日記)のが便利と思われる。

 重要な人に久しく会って次いつ会うか分からないのに、ええっと何か言うはずだったんだけどなという事態になることがある。キーワードを日頃から意識していなかったためだ。

 



 春と秋は病院が比較的平和になりがちで、飲み会の機会も増える。どうやら人間は多忙な不安さから開放されると、とにかく集まろうとする傾向にある。全体飲み会・勉強会で何かつながりをもとうとする。

 しかしこういった時期での会というのは、正直あまり実を結ばないと思っている。いや自分の仕事への直結、向上という意味で。よく試験が終わるごとに意欲的になって、肝心の本番が不発になったことがないだろうか。まるでダイエットに失敗し続ける人みたいに。

 生存本能が安泰なときに自分を変えようとしても、それは無理な話だということだ。楽しみながら変わるはずがない。ならばとっくに向上しているはずだ。

 ただ、時間があるときこそ<自問会>を行う、それこそ重要なことだ。難しい未だに答えのでない問題を悩み悩みぬく。あるいは集まって痛みのツボを反発する。飲み会・勉強会にも発展できるがこれは(前述のものとは)全く姿勢が違う。

 では多忙な時期は。そういったときにこそ勉強会・飲み会を開いて限りある時間を惜しみつつ楽しむ。こういったときの求心力は強いのだ。

 うまく言えないが、教えてもらうとか仲良くしてもらうとか、そういった姿勢にすら気づいてないのが問題だということだ。



老後

2012年10月6日 連載

 かつて自分を指導してくれた先生方も50歳後半以降に差し掛かり、老後の生き方を模索している。一番多い理想は、人里離れた田舎に引退し、健診業務で食いつなぐ・・・といったのどかな夢。目指すはあの「北の国から」。

 田舎に行くかどうかは別として、こういった<オヤッサン>は現場から離れた途端、あっという間に隔絶される。馴染みの医療の現場を去るわけだから当然だが、寂しいのは人間関係・利権など全てリセットすることになるからだ。これは会社でも同じこと。求めたはずの生活のスタートが、実は今さら真白一面であることに気づくという。

 では、そんなときに残されるものは何か。それでもなくならないものは何か。自分は、それが詩でいう<真実>というものと思うのだ。


 民間病院でもカレンダーは世間通り、ただ土曜日は午前営業だったりするが、祭日が休みなのはやはりかえって困ることになる。

 通常の検査ができない。いや、技師を呼び出せば緊急でできるわけだがそもそも緊急かどうかまずデータ見てから、というケースもある。月曜日の祭日が増えた分連休が増えて、検査の間隔が空いてしまう。

 ならばせめて常勤医が連休続きにならぬよう、間の1日だけでも出勤するか当直を担当したいところ。非常勤が2~3日も当直すれば、何がしか情報が薄くなり、詰所も困ってしまう。

 それに収入面でも、民間病院では退職金がないわけだからこういったときに稼いでおく必要がある。60歳以上になるとキツくなりワガママにもなるので、体に軋みがないうちは祭日こそ積極的に労働すべきだ。

年末バイト

2012年10月4日 連載
 民間病院では、早くも年末の当直体制を考えているところが増えてきた。極力、常勤医師のローテーションに頼りたいところだが・・・最近の常勤医師らはそこんところはクールで、「絶対しない」派か「数日まとめてする」派が増加しているように思う。

 でもやはり「しない」派が多いために、どうしても非常勤にお願いすることになる。年末年始の当直業務は料金的にはおいしいが、何が来るかは分からない。ただし経営側は休暇に入る前、事務当直に必ずこう伝える。「とにかく全部とれ」。「ベッド埋めとけ」。

 自分も経営側の考え方で、引き受けてもらったからにはそれ相応に働いてもらう姿勢でいる。電話のネットワークで、他地域から受診を<誘導>する。当然、当直医は知らない。

 いや中にはすでに満床、救急もとらない姿勢のところもある。だが、総じて安くなる。割高なのに楽そうなところもあるが、それはそれなりに意味がある(治安、専門外の受診、過去の事件歴など)。

 12/31の外来は、紅白に間に合わすべく:夕方まで殺到した患者数が以後激減、という現象も見られたケースも。





 年々、友人が減ってくる。決して喧嘩するわけではない。正確に言うと、どんどん離れていく。いや、引いていくという意味に近いかな。

 以前にも述べたことだが、学生のころはみな足し算的な脳で日々を過ごす。真面目に勉強してテストに受かって、それなりの対価を得る。1対1。それなりの努力に、それなりの対価だ。

 医師として仕事をし始めた頃というのは、いったんその対価を求めなくてもいい時期が一定期間は続く。新しいことだらけだからだ。それだけで時間は過ぎる。5年もすれば、何らかの形ができる。

 しかしある程度自分の得手・不得手を見定めると、今度はリスクを避けるようになる。いやここまでは自然だが、対価としての物欲・金銭を求めるようになる。リスクを避ける人ほど金銭がどんどん必要になり、生活水準が向上する。これを維持するため、手持ちの財産に<働かせる>ことになる。

 そうすると、足し算は掛け算になる。努力に対して、それ以上の対価・見返りを求めるようになる。手段としてはギャンブル・投資に回すことになる。奇妙な現象だが、数学マニアだった人間にこの傾向が強い。たとえば<大学への数学>とか以前あったが、こういったのが趣味の人は数式に任せて金を生ませようとする・・・人が多い。






 専門が細分化しているとはいえ、以前から大学医局内のグループ分けは今も顕在化したままだ。呼吸器科は良性疾患、悪性、喘息グループといった具合。循環器はカテ、エコー、血圧グループなど。それぞれに順列があり、それぞれがそれぞれのプライドを持つ。したがって、必然的にお互い仲が悪くなる。

 しかし誰かはどこかのグループに属さないといけないので、どこかのマニアとなり別グループと静かに争わなければいけない。ときにはお伺いも立てねばならない。同じ医局なのに、だ。

 修行の時期が終わり民間病院へ派遣、となるとこういったグループ分けまでは無くなる。しかし、しばらくいたグループへのこだわりが続く。ついつい「こういった特殊機器を揃えていただきたい」と主張する。

 こだわりグループからやっと解放されたとしても、そのグループでなくなった事にどこか違和感・不安感を感じる時期がある。宗教から抜け出すときは、こういった感覚なんだろうか。

滝流しそうめん

2012年9月26日 連載
http://www.takinagashi.com/

 兵庫県の北にある、山奥の峠。そこにポツンとそびえるそうめん流し。雰囲気は昭和の時代。この旧態依然としたものが今の日本を支えて・・いるのか?

 日本のあらゆる店がコンビニや便利会社に乗っ取られ個性を無くしていき、食や娯楽までが画一化。タベログの情報もなんだか怪しいときもある。

 しかし、それでも山奥では以前と変わりなさそうなものが残り続けている。流しそうめんも今後増えるとは思えないが生き残っていてほしい日本の文化の1つ。

 えっ?5回ほど流れてきただけで650円?ほー・・・もう1回食べたら1300円か。こういった時代を支えるためなら、補助金込みということで!

 新入り医師へ。たとえばこういったとこへ行きました。となれば、以下のことを聞かれたら正確に言えるように。

・ 何キロあった?時間は?
・ 標高はどれだけ?
・ 釣れる魚はなに?
・ 定休日、営業時間
・ 育つ植物
・ 何県のなんという町
・ いつからの営業?
・ 何県ナンバーがよく来てた?
・ 何川が流れてる?
・ 近くにスキー場は?いつオープン?

 まずは、医者の質問に答えることから慣れていけ。

医局での会話

2012年9月26日 連載
 これから医局に馴染んでいかないといかない、そんな医師らにアドバイス。新入りのそれ以外は、ほとんど年上だろう。いまの30~50代前半はすでにパソコン世代で育っておりネットワークができている。ある情報が正しいか間違ってるか分からないと納得しない。

 したがって、曖昧な情報提供は避けたい。出身地などのプロフィールも正確に。今日見たニュースの話、スポーツの成績にしても正確な数値で伝える。おいしい店も、自分が言ったか人から聞いたか。医学の知識も出典がどこからか。人事の情報も、どこから聞いたかなど。キーワードを与えれば、彼らは余り時間に検索したりもする。君自体が、新しいキーワードのようなものだ。

 50後半以降だと老後の心配があり、子供の独立による開放など新たなデビューを求めている。ネットの洗礼もそこそこか少なく、自らで得た経験・知識が多い。なので苦労話もよくしてくれるし、歴史や起源に造詣が深い。なのでそういう話をいったん始めてしまったら、それについて独学する必要が生じてくる。興味のないことに興味を持つためには、まず騙された芝居のもと知識を詰め込む必要がある。

 あーいやいや、スポーツ観戦やゴルフ・釣りなどで話が合えばもうそれで列車は走り出す。でも、くれぐれも・・・共同経営、投資の話をする者とは付き合わないように。

 とにかく「登録」つまりサインするような状況には敏感であってほしい。サインは「私の責任で同意します」というようなもの。そのサイン用紙は用途を変えられることもされるし、そのもとで発生する(他人の)利益が出るし、法廷でも不利となる。医師は他人にとって<打ち出の小槌>のようなもの。だからみな、医師になったとたん優しくされる。








 受験の秋でもある。統一試験などが行われ、ランキングを競い合う。記憶力、カン性、センス、応用が問われる。

 各科について、いまの生活にどれだけ役に立っているのか正直に述べよう。

<国語>
 医学で読む文章に、会話やストーリーはない。ただ論文では要旨→前置き→本論→結果→議論→結論という順番で進んでいくので、それらを口頭でも説明できる能力は問われる。事実とその前後説明。行間まで読むようなことはない。そうすると、ただ、語彙が豊富だといろんな場を乗り切れる。日本語への早いレスポンス練習という意味で、現代文はトレーニングになる。古文・漢文はせいぜい医師会同好会の遊びに役立つ程度。

<数学>
 基礎医学方面に進む場合、それも生化学・生理学など役に立つ・・?というのも苦しい。医学で立ち上げられた公式はかなり難解なものが妥協して簡略化されたもので、それを利用したうえでの応用となる。それに問題が与えられてそれを得くものでもない。呼吸生理・麻酔科でも基本は足し引き算だ。なので数式の理解では呼び起こすものはあるが、受験知識が活躍することはない。

<物理・化学>
 製薬会社の説明で、何が何に作用して・・・あるいは論文で仮説を立てたり文献を理解するうえで、考え方が参考にならないでもない。しかしやはりそれもすでに与えられた構図が事前にあるのであって、公式を利用してというものでもない。特に製薬会社の説明は、理系の脳を満足させるような効果でもってるのかもしれない。

<社会>
 これはもう、まったく機能していない。高齢医師との会話に役立つくらいだ。歴史に詳しい医師は多く、中年以下はゲームの影響が大きい。「戦国時代」「三国志」「満州事変」あたりは押さえておくと・・かえって付き合わされる羽目になる。

<英語>
 いや、これはもっと勉強しておくべきだった。ただ受験はスピーチ重視でないから話は複雑だ。できればせめて大学時代に聞く、話す能力を身に着けておくべきだった。前にも話したが、論文でも高みに行くほど日本語が通用しなくなる。英語で聞き、英語で理解する必要に迫られる。海外の発表に行けば英語の質問が早口で飛んでくる。海外の友人ができるかどうかも、ここで決まる。


 総括すると、英語はできるだけやっておくべきであるし国語・理数系はまぁ・・・引き出し程度かな。雑木林で見つかるタンス預金みたいな。












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