「エイリアン」は理系男性を惹きつけるものがあった。それはそのキャラが、頭が良く情にも流されない殺傷だけを目的とするもの、という完璧なマシーンだからだと思われる。まるで数式。

 そう思うと、原発を擁護している漠然とした世界そのものがエイリアンだ。情報が常に豊富でメディアをも操り、子供らへの配慮など微塵も感じることなく、原発維持のためなら手段を選ばない。

 見えないこと自体が恐怖という点で、共通する。やはり昔の田舎トイレだ。

地震について

2012年1月30日 連載

 なんかツイッターで地震予測している人が多い・・・。予想はかなりトラウマ的な内容。それが外れても、今度は○月だから、と平然とつぶやく。ちょっと、無神経。

 大阪人にとっても、東海・南海地震におびえる毎日だ。特に津波の情報は早めに入手したい。だが今年の教訓を考えると、必ずしも警報は速く伝わらない。

 自分のよく居合わせる場所をいくつかピックアップして、もしここで・・・となったとき次にどうすべきか、イメージトレーニングをしておいたほうがよさそうだ。

 少なくとも、太平洋側の旅行は謹みたい。金持ちはやたら白浜へ行きたがる。あれは皆けっこう<友の会>に入ってて、1口100万の投資で多い投資ほど招待状が多く来る、というもの。使い切るため、やたら知人を誘う輩が多い。

 白浜好きは、投資好きが多い。これは真実だ。で、1口いくらの投資は・・・持ち逃げされて手を上げられたらパー。一部しか戻ってこない。絶対にしてはいけない。人生の禁忌だ。





 当直業務も何年もやってきたし、ちょっとデューティーを減らしたい・・・と思ったが、これからかかる生活費のためもうちょっと頑張ろう、というのが医師の40代だ。と周囲を見回して勝手に決めつけている。

 確かに、それくらいなら衰えを感じる必要はない。心は健康だ。むしろ体力でなく心が不健康になりやすい時期だと考えている。病院では大役を任され、家庭でも期待される。しかしあるとき、それへの約束に応えられないと分かるときがくる。

 特に病院はそうで、じゃあこの仲間で頑張ろう、といっても数年もあれば誰かが辞めたり、病気だったり別のところに煙が出たりして期待は簡単に覆される。辞めることもままならず、とうとう疲れて妙なことを口走り始める。医師はこの時期に鬱になりやすいと思う(現に、なってる人は相当多い)。

 家庭で打ち明けろとか人は言うが、それこそ家族を犠牲にすることだ。それとの戦いだと思えば、(日頃の責任業務は)戦いがいのある相手ではないか。むしろヒーローではないか。

 


理解力

2012年1月29日 連載
 ・・という言葉を出したが、これは貴重だ。なぜなら<理解力>がないとすぐ情報操作に騙され、いいように利用されてしまうからだ。結果、金・時間などをむしり取られる。あとで残るのは後悔。

 たとえば仕事の就労時に難解な説明があって、適当に「はあ」と受け入れてしまったら、あとで話が違ってももう遅い。その間、あなた何してたの、ってことになる。

 病院の医師も説明に相当時間をかけて圧倒する者もいる。正しい内容ならいいが、一方的なものになり患者側もつい「はい」と同意してしまう。患者側も「はい」といって実は何も理解しておらず、あとで大挙押し寄せるというケースも増えている。

 必要なのは知識でなく、心のメモ。何が分かって、何が分かってないか。分かってなことは調べてでも解決。脳が納得するまで行動するのが当然。ここが適当だと、雰囲気とかルックスであやふやに納得してしまう。「いいとも」見て、観客の笑うとこで笑って安心する人間だ。世の中は厳しい。自分よりバカだと判明すれば利用される。

 心にメモしてもすぐ忘れる人は、不快感がられてもペン・メモ書きを持ち歩くべき。偉人の書いた本を1字1字食い入るよう読んできたらどうか。ごまかして通った部分はないか。なぜ、ごまかしたか。そこまで考えれるか。




① 30代男性、肥満で息切れ。喘鳴あり。

 ⇒ 医師、喘息と診断しステロイド点滴。採血結果待たずして呼吸困難が増悪。人工呼吸器管理へ。

 ⇒ 実際は、糖尿病あっての心筋梗塞・心不全だったケース。最近は30代でも心筋梗塞は念頭に入れるべき。

② 40代女性、精神疾患あり。パニック発作と血圧上昇。

 ⇒ 暴れぎみのため鎮静剤、降圧剤。モニターなく、ナース訪室時に呼吸停止。

 ⇒ 実際は、くも膜下出血。精神疾患にとらわれてしまったケース。

③ 60代男性。数日間の倦怠感にて受診。食事もろくにとってない。診察でこれといった特徴なし。情報もなく、わがまま。検査はいやだから点滴してまた明日来ると約束。

 ⇒ 患者の希望に合わせ、点滴。約束もつかの間、夜間に徐脈で搬送。

 ⇒ 高カリウム血症。病気(腎不全)は患者がよく知らず報告してなかったわけだが、見落とした理由にならない。さっきいったん帰ったのは、脱水の部分が改善されただけだった。

④ 50代肥満女性。呼吸困難。

 ⇒ 医師、心電図で陰性Tにて即座に心筋梗塞と診断、採血待たずして心臓センターへ紹介。酸素全開でも飽和度上昇なし。

 ⇒ 心筋梗塞でなく、肺血栓塞栓症。たしかに心電図の所見はそれだが、超音波などで正しく診断。

⑤ 60代男性、肩の痛み。

 ⇒ 医師、鎮痛剤を処方。痛みが日々増すとのことで、平日のMRIを予約し帰宅。1時間後に死亡。

 ⇒ 実際は、大動脈の解離が枝→本幹に及んだもの。非常にやらしいパターン。訴訟となったが結果は知らない。

 

 ・・・ いずれのトラブル、誤診も医師の未熟さというより、可能な検査を怠ったことによる鑑別の失敗、が原因として大きい。それと背景の見落とし。不自然さの見落としでもある。

 日頃、自己満足で診療していると陥りやすい(開業医の当直業務とかね)。



 




 重症患者が多い時期。当直が暇な病院でも、この時期だけは不眠になりがち。たとえば1年も当直業務をしていれば、軽症の訴えといえど<本物>に遭遇することがあってもおかしくない。不思議と、症例は確率のように当たってくる。まれなものは、まれ。されど、まれ。

 よくあるトラブルというのは、当直医師と事務当直の間のもの。救急車は電話がまず入って医師が判断するが、ときに<駆け込み>がある。病院の外のインターホン、あるいは病院事務の窓口で「診てもらえませんか」と声がかかる。

 しかし当直医もふつうオールマイティではないので、その訴えによっては正直責任が持てない。なので診断が遅れたり誤診したりで、患者の不利益につながりそうな場合は、やはりお断りすることになる。

 ところが病院によっては事務が自動的に<受付>をしてしまい、そのあと医師に電話するパターンの病院もある。通常、医師はまず診てみるわけだが(その上で診れるかの判断でもいいと思うが)、中には「ちょっと待て?なんで受けたんだ?無理だってそれ」と当直医師が取り乱す場面がある。

 たとえば、新米の内科の医師に「骨折したかどうか見てください」というような。

 しかし受付はもうしてある。ここで医師が電話で「診ない」と言って、結果的に患者が怒って他院へ行くとする。ところが他院へ行く間に重症化してしまう。

 実際、これで訴訟になったケースがあった(背部痛を断って、他院への途中で大動脈解離)。

 なので・・・当直業務に入るけども自信のない医師は、こういったところも確認しておいたほうがいい。








医局の雰囲気

2012年1月28日 連載
 非常勤や臨時バイトで、いろんな医局を目にする。それにしてもパソコンの普及や時代の流れで、医局の雰囲気も変わったものだ。


・ 無口な医者が増えた(無口でも平気のよう)
・ YAHOOばかり見ている医者が増えた
・ ヘッドホンしている医者が増えた

 このため、医局での会話がどこも少なくなっているように思える。テレビはテレビでついてても、近くのソファには誰も座らず。みな机でパソコンに向かう。

 このため、医局員どうしの会話が少ない。いや、むしろ会話するとその声がやけに目立ってパソコンの動きが気になってしようがない。で、パソコンの彼らは実は耳ダンボだったりする。

 だがやはり医局員どうしの会話は貴重だ。ただ、症例の話だけでは物足りない。昔話や、苦労話などの知らない世界を耳にて体感したい。パソコンからの情報は脳を通り過ぎるだけで、思い出にならない。人と人の対話は思い出となり、古本のようにあとで読める。

 会話や本音が途切れない、そんな医局をめざす。

 


 


認めない力

2012年1月26日 連載
 アイアム寒!な1日だった。インフルだけでなく胃腸炎も出だした。みんな、この冬を乗り越えよう。

 素人的だが、カゼは認めたら負けたようなもの。「あ、悪寒がする」とか「風邪かな?」とか口に出した時点でアウトだ。認める前に、腹いっぱいにして寝るべきだ。

 自分はもしや?(喉違和感、悪寒など)と思ったら・・・

・ 熱いうどんに生姜をたっぷりかけて食う
・ 首にタオルを巻く
・ 抗生剤など病院処方のキープ薬を飲む
・ ゼリーなど摂取
・ 分厚い寝間着、毛布を顎まで着込む
・ 思い込みで体を発熱させようとする
・ 暖房は決してかけない
・ 以上、したことを満足しながら20-21時には寝る。遅い時間なら時計は見ない

 次の日、調子が悪かったことは一度もない。


 

 言わずもがな流行しているが、検査を希望するなら問診の段階でドクターに示唆するべし。

・ あちこち痛い
・ 寒気がする
・ とにかくだるい

 それでも検査してくれないようなら

・ 家族がみなインフルで、自分も熱
・ インフル調べてこいと家族・会社に言われた
・ 昨年インフルにかかったときと同じ症状

 とでも言うべし。子の親なら

・ もしあとでインフルとわかって髄膜炎にでもなったら大変だし(先生も)。

 そこまで言うべし?

 流行すると、検査キットが不足してくる。するとなかなか検査しなくなるので(ビップや身内は別だったりする)。

 あ、それとこういう発言はやめてくれ。お母さん。

「ここでワクチン受けたのに、それでもインフルかかることって、あるんですか?(腕組み)」

 キャー!(モンスターの出だし)

文化への影響

2012年1月22日 連載
 放射能汚染による、文化そのものへの影響もかなりあると思うが・・・偉人たちが書いてきた小説を読んでいると、いろいろと感じることがある。

 夏目漱石などは夏に読むにはピッタリで、夏のあの暑苦しい光景がそのまま体に伝わるほどの表現力だ。しかしそこに映る(想像させる)日本の自然の光景が、読者の心で深呼吸させる。

 だがどうも放射能汚染があって以来、このような情景描写そのものが物凄くはかなく見えて、私にはつらいのです。それに君、漱石は目の前の自然を、哲学など介さない無加工なものと褒めたたえるが・・・実は目に見えぬ元素の雨で筆致を加えたものなのだ。想像が芸術なら、その恐怖は如何ほどか。それに君、こんなことを云うと私を不埒な者と思うかもしれないが・・・これ自体歪んだ哲学によりもたらされたものである可能性が高いのだ。一生懸命に受験戦争を勝抜いて、神の権限すら譲渡された者たちの恩返しがこれなのだ。これが日本の平和の正体だ。我々は掌の孫悟空同然だ。だが落とされてはならぬ。もしこれにムカついて吐き気を催したのなら掌より私を吹きさらせ。なお数秒後この部屋は半径数メートル吹き飛ぶ。私の勝ちだプツッ。

 知らない間に「こころ」の先生みたいな文章になってきたので、ここでやめておく。

誰か作ってくれ

2012年1月22日 連載
 自分の提唱する医療用トレーラーは、8~10両編成の巨大な輸送用トレーラーだ。

 真ん中へんの車両2つが医療スタッフの宿舎、食堂車。最後尾は出撃用の救急車収納コンテナだ。各コンテナはベッド2段、集中治療可能でありサイドから外界との搬送入が可能。各地を回り、専門医師が必要により一定区間に移乗。

 各コンテナは切り離しが自由で、自衛隊ヘリとのドッキングも可能。

 緊急時は自衛隊車両に接続され、新幹線の線路で基幹病院へ素早く搬送。

 これに伴い、今年開通予定の第2東名は一般使用を見合わせ。リニア新幹線経路も使用。

 ああ、財源が財源が・・・。

相互過保護

2012年1月21日 連載

 大阪の都会で勤務しているが、都会の賃貸でも高齢者は多い。実際は、青年~中年で住み始めそのまま子供が巣立って自分は高齢者のままその土地に・・・という時を経ている。持ち家の人々もそこを動くことなく、子供らは別で所帯を作る。

 歴然としたことだが、子は親とは住みたがらない。地元を離れて夫婦生活が始まったら、自分の好きなようにしたいのが本音だ。金に困った場合を除いて、高齢者との同居は正直苦痛だろう。

 このため、高齢者の方が入院するとキーパーソンはその配偶者または近隣の親戚。これもまた高齢者。説明しても、やはり理解が今一つ。いや理解できたとしても、決断に関しては全く権限を持たないケースが増えてきた。

 権限はわりと遠隔の<長男>がもつ。明らかに時代が変わってきたと思われる。以前は地元のキーパーソンは地元民が決めてきたふしがある。

 遠隔の長男はたいてい仕事が忙しいので、日曜日くらいしか来れない。無理して平日でも月1回で日帰りとか。ネットでいろいろ調べてきて、偏った考えにも影響されていることが多い。

 説明が終わっても病態はまた変化するため、また説明の余地が生じるが駆けつけて説明を聞くのは、また理解力の今一つの家族。家族からの長男への連絡も曖昧で独りよがりになっていく。医療スタッフとの解離が生じやすくなる。

 これからますますこの解離が進むと思われる。これは、両親が・・・長男なり自分なりを立てすぎてしまうために、悪く言えばお互いを過保護にしていった結果、家族の遠い精神的距離そのものを露呈してしまうことが背景にある。

 物理的距離が、そのまま精神的距離へと反映される・・・現代日本の精神病巣の1つと考える。


 





 きみ。人の愚痴を思わず聞いてしまう癖はないかい?一緒になって頷いてしまうかもしれないが、そう簡単に同じ意見はならんだろう。相手は愚痴に達するまで相当の時間をかけている。ならばこちらは何も数時間や数日で結論を出せるものでもあるまい。

 病院で聞く愚痴というのは、たいていが病院の経営側に対する不満だ。あるいは医者個人のこともある。愚痴を発するのは常にその下と相場が決まっている。下が理論的に正しいことは多いのだが、即座に物理的に変えられるものでもなかろう。なら「愚痴そのものが、非生産的行為なことに、異論はない。

 友好的な会話と言われればそれまでだが、相手の会話が愚痴ならば短く切ろう。長い一方的な会話ほど、人生で無駄なものはない。まるで極度に伸びた、1本の白髪のようにね。

 会話をどうやって切るかって?そうだな。僕なら・・・(携帯)あーもしもし?いま、行く。会話の中断は、僕らスタッフの特権だからね。

 

 関東からの先生が来ると、まずその喋りセンスに関西人が驚く。関西人は愛想で機嫌取りながら喋るが、関東人はそうではない。

「いえ、僕はそう思いませんが」
「それは必要だとあなたが思うなら、自分は構いませんけど」

 こういうのに、関西人は「ナニッ」となる。「ザ・シェフ」の味沢をみるといい。

『ご用件は何ですかな?』『私の知ったことではない』

 医師やナースらはそれもいい持ち味として慣れていくけれども、トラブルは多発することが多い。患者・またはその家族の話だ。

 関西の家族が詰所に寄って「先生から話が聞きたいのですが」と非・具体的によく要望する。非・具体的。これが関西なのだ。「どうなってんねや」というわけだ。

 関西風医師なら「そうやえ。まずは・・・」と順を追ってサービス的に説明するが、自分の知ってる関東医師らはみなこうだった。

「はい。話があるとは、何に関しての話ですか」
「どうなのかなと思って」
「いや、どうかなって。今は治療中で、判定がまだできてないんですけど」
「いや、今の先生がどう思ってらっしゃるか」
「それは分からないでしょう。結果も出てないのに」
「病気の状態は・・・」

パラパラ、とカルテの前ページ。

「ほら。この前、あなたに説明してます。病名はこれ。状態はこれ。次の判定がこれ。今話してくれと言われても、話せません。だっていきなりあなたが来るんだから」

 ここで、家族は「ナニッ」と思う。この「あなた」に。

 したたかな関西人は、ナニッ・レセプターをたくさん表面に出している。親しみのない人間にほど向けられ、時間の問題でそれに何かが引っ掛かる。

 しかし、家族も動揺して思わぬ質問が出たりする。

「家族としてはね。一刻も知りたいんです」
「あなたが知りたくても、分からないことは分からないんです。そうしか言いようがないでしょう。違いますか?」
「(ナニッ)」

 そこで、長男とかが登場する。関西の長男は手ごわいぞ!






 東北・関東から様々な事情で関西へ引っ越しを考えている医師たちへ。

 病院には全国チェーンもあるが、それは一部。関西にあるのは関西内チェーン店がほとんどで、そのチェーン店の数は少ない。グループ病院に面接したら、まず人手不足の部署にあてられる(後になって)可能性があるから、働きたい地方はハッキリさせときたい。少々遠くても、と言えば墓穴を掘る。地下鉄代の安い交通費で済まされる。

 じゃあ業者を通して、ということが一番安易ではあるが、依然述べたように芸能人と事務所の関係になるので、医師が事務所のマージンのために働かされてもいいのなら登録すればいい(そのマージンのための配置換えもありうる)。

 なのでまず居住区域をはっきりさせ(もちろん家族中心に)、その近辺での勤務をおすすめする。子供の教育水準・治安を考えるなら、大阪なら淀川以北(十三・三国のぞく)、神戸なら住吉・夙川など。いずれも緑地公園などに恵まれる。なお彩都は企業誘致の失敗で予定人口が激減で店舗も少なく、将来性はない。

 勤務体制に関しては大阪は夕方の診療がほぼルーチンにあり、終了は遅くて19-20時あたり。研修日を最初から1日取っておかないと、給与は足元をみられる。研修日に関しては常勤先の友人のコネで探していき、なるべくおいしいのを頂く。

 家族や自分の将来を考えるなら、価値の高い居住地を選び、その新天地(病院)では足元を見られないこと。

 自分の日記の過去分も、役に立つと思う。

 


 

たとえば・・・

2012年1月15日 連載

 循環器領域に関して勉強したいと、もう10年以上経験のある消化器医師が相談に来たことがある。同僚の医者だ。内視鏡以外あまり忙しくないから、という。

 まず病棟の患者を一緒にみることに。カルテ上の共観にして、毎日その動きを評価。検査所見、病態の解釈をまねてもらう。治療計画を立て直し続けるわけだが、教える側にとっては非常にやりがいがある。

 しかし、治療計画そのものが立てられないことがある。目の前の病態が流動的なときだ。循環器領域はそれが多い。絶えず変化する。なので「こういうときはこうする」的なことばかりしつこく公然と断言するスタッフは、実は無能と判断しマークする。

 同僚が言う。「何か特別な治療はないのか」。「いや、ない。こうやって随時、病棟をのぞくか問い合わせして、治療の変更の時期を伺う」「それはいつ決めるのか」「自分が見習った医師なりを参考に、自分の責任として行う」「どうやったら身に着くのか」「教えてくれるのは医師でなくその病態。なのでつきっきりになること」

 こういった段階で、彼は学習を諦めた。検査手技はとりあえず教わったからだという。検査手技か。しかし、こういったものは全病態の理解に比べれば部品のようでしかない。部品の寄せ集めで動く機関はない。統括する頭脳いわゆるシステムと、(労)動力が必要だ。

  

 

試験について

2012年1月15日 連載

 センター試験に限らず、ある程度試験勉強を進めてきた人間にとっては・・・すでに分かっている。どういう問題が来たら自分はお手上げか。ヤマが当たれば満点。外せば賭け。ダメなところは捨てて、基本問題を着実に・・・。

 なので、ある程度以上の点がとれない人はいつも同じ難問から逃げている傾向にある。いや、その難問については知ってるが自らの頭でじっくり(悩んで悩んで)取り組んだことがないので、ちょっと手を加えられると全く歯が立たない。

 医療の現場でも「ああ、その分野は俺ダメだから」という医師が割と多い。苦手なら恥かいてでも教えてもらったらいいのに、その労力そのものが嫌なのだ。これがまた、優秀な者に限ってきわめて多い。

 そのため、意外と<優秀な>医師に限ってその<ダメ>を避けてしまい、結局患者・自分にかえってくる。試験ではないので埋め合わせもできず、再試もない。これは訴訟・解雇理由の焦点にもなりやすい。

 この「ダメだから」と理由にしてしまうところが、医師のエリート意識の弱点だと思われる。




20%のゆとり

2012年1月8日 連載
 学生自分の勉強はあまり役には立たないが、試験というものはそれ相応のトレーニングだと感じる。

 テストは時間が限られていて、難しいものほど時間の割き方が重要になる。簡単なところはチョチョイと進んで、比重の高い文章題にゆっくり時間をかけるのが理想だ。

 しかも見直しの時間も重要なため、ある程度のたとえば試験時間の1~2割は残しておきたい。「あっ!」と思わず声が出て消しゴム取った経験は誰でもあるだろう。

 要領が悪い人ほど馬鹿正直に1から同じペースでやっていくから、時間も足りないし文章題もおろそかになる。結果的に、いい点数が取れない。日頃の勉強も1ページから丁寧すぎる。

 予備校でもいいクラスにいるのに毎年うまくいかない人もいる。不思議だがそういった現実がある。

 病院でもそういう医者は・・いやむしろ多い。外来にしても1つずつ、1つずつ、救急受け入れも時間があれば取る、空いてないからダメ。カテーテルなど処置も、今日は枠が一杯だからもう無理、というふうに。自分のペースでキャパを読んでしまう。経営的にはマイナスだ。

 経営者にはゴマをする必要はないが、それではむしろ相手側に読まれてしまい、他の医者との有意差が出ない。与えられた時間が限られているなら、ほぼ有効に使う姿勢は貫きたい。

 ほお、ならすべてやってやるというのも不正解。大事なのはいやそれでもと、枠だろうと時間だろうと「今のペースをちょっとずらしてもう一声」といった気持ち120%の精神が、行動が取れるかどうか。非常によいバランスだと感じる。

 つまり、日頃は制限時間のうち80%ぐらいで仕上げる試験のつもりで。残りの20%が余力。ここを<無理して>利用できるようにしておく。

 ワイフに対するサイフ事情も実は・・・。5万持ってて外では6万。それくらいが理想と感じる今日この頃。

 だがみんな。女性は男性が思ってる以上に、多くヘソクリしていることもお忘れなく。









 セクハラのニュースが賑わっている。

 病院でもセクハラ話は多い。不思議だが医者同士というケースはまれで、あったとしてもそれは冒険的でなく<慎重に>行われている。社会的な影響を考慮してなのか・・・。

 恋愛なら、やはり医者+ナースの組み合わせが多い。セクハラのケースも多いが、それとなるとむしろ医者+事務員・技師らのパターンが多くなる。

 これはつまり、ナースらはなかなか「孤立させにくい」「徒党を組む」「仕事にけじめがつかない」ような理由があり、事務員・技師らだとその逆が期待しやすい。孤立しやすい立場にあれば、日頃の不満が多いことも背景にある。もちろん、その対象は若い女性に限る。

 でもその末路を見ていると、こういったケースになるのがオチだ。

① うまくいった場合

 不倫・掛け持ちで継続⇒そのうち子供ができる⇒揉め事⇒お互い仕事に支障⇒女性側が退職、医師は厳重注意⇒居づらくなり退職

② うまくいかなかった場合

 女性側からの訴訟騒動⇒病院側による隠ぺい努力⇒時間による風化または医師退職⇒医師、同じ過ち再び(同院か他院にて)

 そう、いずれも仕事に支障をきたすんだ。キモは①の「子供ができる」、ここにある。不思議なことに、子供が多くいる医師ほど、よそで子供を作っている。





 ・・がやってきた。インフルや胃腸炎、気胸に胆のう炎、入院適応の患者がどっと増えてきた。よく患者が集まる医師ほど重症患者が増え、さらに仕事が増えるジレンマに陥りそうになる。

 医者はたいてい春から勤務してくるから、ここらで真に試される。何を試されるかというと、いかに割に合わない自己犠牲を出しつつも粘り強く戦うか・・・そこにある。上も、それを見ている。カッコよさは関係ない。でもテンションは高くなる。そのテンションを大事にしないと・・・!

 冬に敗れた者は・・というと、ちょうどこの頃考える。ああ、もっと楽な職場はないか、と。敗れたことにしたくにからだ。オンラインゲームの終盤で電源切るような。いや、この逃避感は敗れてなくてもふと頭をよぎるかもしれない。

 ああ、でも去年そう思いつつ、今もまたここにいれたんだ。それでよかったよく頑張った・・・と思ったとき初めて自分に敬礼できる。<自分が好きかどうか>女どものセリフによくあるが、自分はそういうことだと思う。

 最初から重傷を想定してとりかかろう。風邪は肺炎、頻呼吸は心不全・喘息、腹痛は穿孔、激しい頭痛はクモ膜下、というふうに。思ったほどでないと確認できたらそのテンションで、すぐ次へ。


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