そろそろ、各医局で行われているであろう歓迎会。4月に新入医局員を迎え入れ、聞きたかったその好奇心が一気に爆発する。酒の席で。

 みんなの関心事はこうだ。いずれも、答えを準備しておく必要がある(くれぐれも、やめた病院の愚痴や別れた女関係の経歴はご法度)。

・ 家族構成
・ 経歴
・ 知り合い・コネ
・ 自分との接点
・ 特技
・ 医局の印象

 そう!「この医局の印象」!これだ!

「まだ来たばっかでして・・・」

 そんなわけないだろ!と、誰も言えない。

「みなさん、非常に個性に溢れていて自分についていけるかどうか」

 いやいやいやいや!

 関西人のテレの言葉が、この「いやいやいやいや!」4連発。

 思わず言わされるほうは、妙な満足感を感じる作用がある。

 歓迎されたほうは、逆にどんどん酔わせてやれ!

 ま、新人がそのあとどう化けるかはいろいろ。

例)1年後の飲み会

「俺、びっくりしたよ最初!みんな妙に優しくて、ほんとマジかって。そのあと?騙されました!以上!」

 こうやって、過去をどんどんネタにしていけば面白い。何度も裏返す卵焼きみたいに、どんどん味が変わっていく。焦げ付く前に、当直除隊だ!

 

仲直り

2012年4月15日 連載

 君らはたとえば仕事をしてきて、<仲直り>をしたことはあるだろうか。仲直りというからには、その前に争いがある。争うのは意見の相違があるから。ただし不倫などのトラブル類は除く。

 自分は病院で仲直りの場面とか、そうなったという話を聞いたことがない。1つはもう反省すること自体が年齢的にもはや不可能である、ということ。尾崎の歌にもあるが「従うとは負けること」なのだ。

 ならなぜ争うのか、という疑問がわく。しかしそれが必然なら、争う時間は長いだけ無駄だ。しかし争うのは醜いものであり、幼稚であり今後の周囲を遠ざける。

 ならどうやって争うかだが、こちらがアグレッシブなほうが有力に思えるがどうせ決着が着かぬのならパワーの無駄だ。いっそ放たれる矢だけ冷静に叩き落とせば十分だ。そうすれば争うことなく、相手もあきらめようぞ。

 そういう話をして気を鎮めさせ、争いを避けさせた事例があった(数年前)。その友人がその数か月後に語った言葉。

「あのときはやられた気分だった。先生がそう説得すると、ああそうかと納得してしまう。そして家に帰って、あれっ?と気づく」

 いたく感動した。しかしそのあと、余計な一言。

「先生には、その才能を別の仕事に生かせばと思う」

 うわぁ。
 


よぎり

2012年4月15日 連載

 情報の意外な収穫は<放課後>に残されている。放課後は学校生活でもそうだと思うが、1日でテンションが高い時間帯だ。朝11時が頭脳明晰とかいうが、それは仕事が片付く前の話。病院の診療でいったんカタがつくのが夕方の申し送り前。4~5時頃だ。

 ところが5時くらいになると、秒針とともにゆっくり立ち上がり「じゃ・・・・お疲れでーすピッ(タイムカード)」と帰ってしまう。医局が空っぽになり、当直医が1人で無言でウロウロしだす。

 自分はいつもではないが、この当直医を相手に数十分ダラダラと話す。常勤であったり、非常勤であったりもする。今日の診療であったことを、ひけらかしてみる。すると相手も話す。

 よく考えれば、自分の話を1対1で聞いてもらうのはありがたい。家でワイフにといっても、女の受け止め方は違う。仕事内容はやはり同業者に。

 なぜありがたいかというと、その日のわだかまりなど精神的な<よぎり>を吸い取ってくれるからだ。何も病院の仕事だけではないと思う。しかし、病院ではいろいろある。周囲の医原的な失態、患者家族の心ない対応、割の合わなさなど・・・これをそのまま家に持ち帰ると、話さずとも頭をよぎる。

 この<よぎりの中和>が重要だと思う。よぎり続ける医師は、長年見てたらわかるがたいてい陰の方向に向かう。陰はやがて悲観・妄想を生み、無気力という形に昇華される。無気力は集中力を欠如させミスの温床となり、周囲より不要とみなされる。

 <よぎり>を持って帰らない毎日が、理想的。
 





 医大から中堅病院を経て、大学民間病院へ・・・それが自然な転勤の流れだと勝手に思う。最近は転勤が自由すぎて、医大から突然(関連病院でもない)民間病院へやってくる医師が目立ってきた。

 民間病院はたいてい人手に困っているから、ラブコールは念入りだ。そしてあれこれ意見を聞いてあげようと思う。しかし経営側が歓迎的であっても「あとはよろしく」で、主には現場の医師との連携が中心となる。

 連携というのは協力という意味ではなく(同じ患者を共観とかあるだろうが)、いやむしろお互い補い合う力を指す。この補い合うというのができるかどうか。

 具体的には、自分が胸部専門だとして消化器の先生の患者からの流れを作ったり、ならばその逆もお願いできる関係。こっちが休んだら相手にも休んでもらう関係。ちょっと遅く残って無理する関係。IVHや挿管がうまくいかないとき、あるいは不在時にお願いする関係。困った症例の相談。聞き役。愚痴。メシ。

 失礼だが、医大からいきなり民間病院に来ると「これは僕の専門じゃないから」と突っぱね1本で自ら孤立してしまう先生が多い。周りがバタバタしていても入っていかない、でも呼ばれたら行くというのも感じが悪い。

 まずは何かをお願いして、お願いされる関係。逆でもいい。

 医学生の時では(部活含め)決して学ぶことのできない貴重な関係だ。



 37歳で研修医・・・というのをやっていて半分で寝てしまったが、よくぞ描いたという描写があった。

 それは、医者が怒ってその怒りでまた怒りしまいには譲れなくなってくる描写だった。草なぎを怒鳴る医者。淡々とする草なぎに、ますます腹が立ち所構わず怒る医者。

 いやまさしく、現場はこれとの戦いだ。草なぎではなく、怒りで一段上がるそのプライドに対してだ。

 医者という仕事をすると、毎年何かを達成していく。そのほとんどが自己満足だ。しかし達成感というのは恐ろしいもので、個人によって伸びが全然違ってくる。達成しない者は毎年同じ、する者は次々進む。いずれも直線で向きは同じのまま年を取る。

 しかし、経験があればあるほど思わぬ事態に出くわす場面に遭遇する率が高くなる。絶対優位なはずの自分が、見下ろせるはずの立場の人間に正面から批判・否定されたときだ。そこで、同じ目線で考えることができるかどうか。それを越えて、お互い武士のように仲良くなれるか。

 自分はちょっとまずいと思ったら、その一寸前で修復にかかる。1歩、まあ2歩までは譲る。そこからはケースバイケース。争うのは周囲の評価を得てからだ。

 それにしても、医者の喧嘩は女と同じだ。合わなければ、もう会わない。








医療ドラマ

2012年4月8日 連載
 最近の医療系ドラマが、派手な演出ものでなく死期に近い段階をじっくり描くものに変わってきているという。

 人生を4期に分けるなら、1期が独身編、2期が夫婦・子育て編、3期が引退老後編、4期が養老編。4期は体が不自由となり、いかに生きるか、その生きる(食べる・歩くなど)そのものがテーマになる。

 この4期はどうしても<死>を身近なものとしてとらえる必要があり、でもできればそれ(その考え)から逃げたいと思ってしまう。だがそれで自然と解決できるものではない。誰かの手が必要だ。

 ただ、今は高齢者に財力がかなり集中していて家族のレスポンスも早い。今のところ医療も手厚いので、サービスはかなりのところまで受けられる。

 自分が描いてほしいのは、今から数十年後・・・医療の自己負担分が増え、その家族も困窮しているさらにその上で発生する医療の必要性。人間性の低下した医療。そのとき選択される手段とは。そう考えると、今のドラマはまだまだ甘いものかもしれない。





 医療訴訟以前に、(看護側の)発見が遅れた・報告が遅れたという事象がよく存在する。それにはさらに背景があって、「発見したがよしとした」「報告しようと思ったがしなかった」という単純な内容に行きつくことも多い。

 さらにその背景を探ると、ナース側からドクターへの遠慮のバランンスの乱れがある。ナースからの報告は逐一全てではなく、必要な情報を必要な時に素早く与える必要がある。しかしドクター側に対して最初から距離があるとなると、その過程に支障を生じる。

 さらに、その背景。そのドクターへの距離は、その威圧感に比例する。威圧感というのは何もふんぞりかえっている意味だけではなく、相手の聞く耳を持たない人格だ。それは言葉でなくても態度で伝わる。女性らは本能的にそれを察知する。

 社会自体がコミュニケーション不足で、格差の距離も広がっている。上が下を威圧すると、下はもう近づけない。命令系統にも同じことが言える。したがって、これを変えられるのは上流の者ということになる。


孤立という危険

2012年4月1日 連載

 医師もだんだんスタッフと打ち解けてくると、次第に本当の仲間ができていく。飲みに行ったり相談事も受け医療の枠も超えるだろう。

 しかし医師はあくまでチームの一員であって、技術が上達してもそれは成長とは言わない。業者はそれを成長と取るが、奴らは医師を商品としか見ていない。技術が上達しても周囲とのやり取りが潤滑に行えないと、いざというときに患者が助からない。自分も患者も孤立するからだ。

 残念なことに、自分の周囲の訴訟問題などの原因のほとんどは、医師の孤立がからんでいる。孤立しているため相談せず、ひたすら独立思考のため周囲を寄せ付けず、また周囲も寄りつかない。プライドから家族への説明や治療すら曖昧になり、結局どこかに穴があく。驚いたことに、わりと技術崇拝系の先生(内科でも)に多い。

 ただ、特定の仲間ができればいいというものではない。限定された仲間は限定されてるだけに孤立した思想を持っている。これは周囲に壁を作ってあらぬ偏見さえ培養される危険を持つ。

 そうすると医師の人付き合いというのは、あくまでも各部署まんべんなく、広く浅くオープンに、というのが理想だと思われる。特定の部署に固執しない。診療でも、好きなものばかりに固執しない。










自己紹介

2012年4月1日 連載

 新卒・転職入りはみんなの前で、まず晒されるのが常。自己紹介を短くでも頼まれる。ささいなことだが、みんなが注目するだけに今後ずっとそれが語り草になる(良くも悪くも)。

 不器用なのはいいとして、ときにかなり傲慢なプロフィールをしてくる輩がいる。やはり医師に多い。

「こういう病院にしたい」とか「バリバリやります」「体力には自信があります」「お手柔らかにお願いします」とか、挑戦的な文面はやめよう。病院スタッフらが、何より嫌うものだからだ。病院スタッフらは、旧体制が強制的に変えられることを何より望まない。

 「宜しくお願いします」だけではつまらん奴と思われるし、長いのも論外。せめて出身地だけでも。同郷の者が1人はいたりして、あとはそこに話題をふれるからだ。



 久しぶりのスタートだ。昨年の3.11以降、なかなか新たな気持ちで踏み出せる雰囲気ではなかったように思う。正月も世間はどこかソワソワしていた。未解決の問題もありすぎるが、少なくとも昨年よりは欺かれないよう頑張ろう。

 病院でも新スタッフが揃う、ところは揃う。試験に受かった余韻も過去の栄光、イエスマンからの出発だ。新卒にしても転職にしても最初は何も分からないわけだから、上目使い目線でやるしかない。上の、旧来の人間が新入りをまず見るのは・・・素直かどうか。自分にとってどうか。豊かにしてくれるのか。その逆か。

 まずは有無を言わさず、イエスマンから始めることだ。間髪入れず、上目遣いで顎を引き「やります」と即答することだ。

カレー

2012年3月31日 連載

 僕がカレーを好きになったキッカケは、小学生のときに読んだジャンプの「包丁人味平」だ。いろんな料理に挑戦するが、中でもカレーを研究する場面は興味深かった。

 大阪でカレーのうまい店・・・は、さあはて、そんな有名なところは聞かない。あっても順番待ちだろうし、主婦らが先に店に座ってる。大衆的でそこそこ旨いところとなると・・・たいていCoCo壱番屋ということになる。

 うちの病院の近くにもあり、新入り医師に「先生らはどこで外食されるんですか?」と聞かれたら、みんなでポーズをとり

「ココイチ!ココイチ!」

 と賑わう。

「行こうよ今度!ココイチ!」「昨日もココイチ!今日もココイチ!ココイチ!ココイチ!」

 叫び続けるほど、ますます行きたくなる不思議な魅力はある。

花見

2012年3月31日 連載

 各病院も、以前ほどイベントをやってないような雰囲気がある。民間病院ほどナースは肉食系だが、医師は草食系の傾向がある。最近の医師ら特に40代以下は団体行動をさほど好まず、イベントの参加にも積極的ではない。

 ただ忘年会だけは最低でも参加すべき行事だ。忘年会がひとまず終わると「ふー・・」と一息。これでしばらく、よそ行きの恰好しないで済む。と思いきや春。花見の時期がやってくる。ナースらは各詰所単位で行うことが多いが、医師らがご招待されるケースもある。

 ところがやはりこれも最近の傾向だが、「酒は飲めません」「2時間だけいます」「明日は外来なので、この辺で」「芸は、ありません」などと雰囲気を興ざめる者も多い。これは何も病院関係者にとどまらない。もしソーシャル的に上な立場なら、こういうときくらい気前の良さを見せたいもの。不器用で芸なしでも、何か差し入れするとか。

 



 予告編で流れたセリフだが、これが本編で流れて鳥肌が立った。

 WOWOWでようやく観ることができた。公開当時は中学2年あたりでアイドル全盛期。アニメはガンダム、999も山場を迎えており、いきなりハーロックではテンションが足りなかった。主題歌が渋谷哲平http://www.aigumi.com/man/shibuya_teppei/st_p.htmlというのも、今一つインパクトに欠けた。

 ところが今見ると・・まぁ確かに地味な作りになっているのだが、松本零士の庶民性がほどよく生かされた作品になっていて(しかも商業的でない)感心した。子供には正直退屈な展開ではあるものの、友情というテーマを時間をかけてじっくりと大人向けに描いている。

 ハーロックはヒーローなのに孤独だ。せっかく人類のための正義をなしても、逆に迷惑がられてしまう。バットマンにも通じる人間像。だがさらにハーロックは1対1の友情にもかなり固執する。この友情は今のスポ根にある建前的なものではなく、自己犠牲にまで通じるものだ。

 君は患者のためにどこまでできるか・・・?そんな声が聞こえてきそうだ。当然、井上真樹夫の声で。

 星くん。




自分のいた寮

2012年3月23日 連載

 予備校専属の寮の試験にさえ落ちてしまい、仕方なく探して見つかったボロい寮。ここでの経験は、今でも生きている。退屈だが、聞いてくれ。

 その寮はおよそ10人ほど収容できるもので、家主はそこのおかみさん。おかみさんの主人はエリートで、寮の真横にその豪邸がある。

 初日つまり4月、一斉に僕らは集められる。このときのおかみさんから叱咤を受ける。そこに激励はない。

「みんなは、勉強をしにきたんや。勘違いせんといて。すでにご両親に迷惑かけとんや。勉強して見返すつもりでやらんと!」

 こうして、僕らの寮生活が始まった。

 続くのか?

落ちたときこそ

2012年3月23日 連載

 いま各地でいろんな合格発表が相次いでいるが、もちろん不合格も大勢いるわけだ。不合格が決まったら、仕方ない。次の機会に向けてすでに揃ったライバルに差をつけなくては。そう、も、今から。もう始まってるんだよ、競争は!

 確かに失敗したばかりの受験のテキストを読み返すのは悔しくて仕方ないが、よく考えてみて欲しい。人生でもそうだと思うが、間違えたり嘆かわしいことほど、記憶が鮮明なことはない。女に振られたり、人前で恥ずかしいことほどよく覚えてないか・・・?

 向かい合って葛藤しながら勉強できる姿は、人生でそうあるものではない。合格の後に待つものは、惰性だ。惰性はダセい。坂を転がるだけ。でも目標が高いほど険しいほど、後で豪快に転がることができる。

 好き勝手にブログ書けたりできるわけだから、今の苦労を合格後にストーリー化してみる、その1ページの価値のつもりでやってほしい。

 今、第何話あたりかぁ・・・。第2シーズンあり?い、いやいや。



真の孤独

2012年3月22日 連載

 若い世代に心配することの1つに、果たして恥をかくほどの苦い体験をすることができるのか・・・?というのがある。

 もちろん、人生うまくいくにこしたことはない。勉強やスポーツができてモテれば不満はないかもしれない。しかし、必然のようで偶然なのが人生だ。これを必然にすべく努力がいる。1から2にするためには、まず0から1というつらい修行が必要だ。

 1からの出発というのは全体で同じ条件から始めるもので、(平等という点で)出発点からして皆恵まれている。しかし競争社会において落ちこぼれた場合、やり直しを迫られる。その際、自分がすでに遅れているという劣等感から始めることになる。

 その劣等感の中、それでも目の前の1つを独りでやり遂げる訓練が必要になる。自分の経験では予備校生活がそうだが、それにしても一番つらかったのは、つい面接で突っ張ったために予備校の寮の試験にすら落とされたことだ。

 研修医時代でも、いくら徹夜してボロボロになってもそれでも技術や能力が上がらず、上から見切りをいったんつけられた経験がある。このあと原点に戻ってやり直したことも記憶している。いずれも孤独から掘り起こされたものだ。

 こういった経験があるかどうか。いや、今は、むしろさせてもらえない状況にあるのではないか、と思う。

 何がって、真の意味での孤独のことだよ。


医者とアイテム

2012年3月22日 連載

 医者が好きなものは以前も挙げたが、外車にゴルフ、ワイン、競馬、若い女、そして電子機器。以前はマック、今はiPad。全てに共通するものは、何だろう。

 ちょっと無理はあるが、自分は<操作性>と断言する。それはその、つまり・・・人間様が支配しているという実感をこよなく(第3者へ)見せつけることができるアイテム、ということだ。

 難解な<それ>を操作することでそれに命を吹き込み、思いのまま操る。男のエゴイズムの行きつく先だと思わんか。何?思わん?ワンワン!

 ただし、女は違う。扱ってるつもりが、知らない間に自分が扱われている・・・そう、アイパッドのように気分でチョチョイと、クルクル回して翻弄・自由自在。キャッシュの引き出し、ヘソクリも思いのまま。夫のスケジュールも全把握。相続問題も事前に解決。

 この逆転現象は、医師年齢40前後に多発しているものと推察される・・・!



人柄

2012年3月18日 連載

 医師の人柄像はどこか共通してそうな部分がある。山田洋二が描く医者像、あれはかなり勉強している。上から目線で、冷酷<冷却でクール、守り姿勢で寡黙、見るからに<勝てそうにない>第一印象。

 一匹狼ならそれでもありだが、年月がたつほど医師はチーム、人間関係を要求される場面に出くわす。たとえばどんな平和な病院でその医師が適切な診断を下していても、最悪の状況におかれることがある。どう診ても軽症なのが、実は難治性疾患だったりして毎年訴訟がある。

 その内訳をみていると、多くのケースが医師とその他スタッフとの解離だ。医師はたしかに診察、検査、診断、治療はした。ただ問診票など自分の手元にきたものだけが材料だ。周囲のスタッフが気づいた点や患者・家族側の情報が十分渡ってない。検査・治療でも、一匹狼の視点だけでやる。些細なミスもダダ漏れる。

 さらにその裏を覗くと、やはりふだんの雰囲気にも問題があるケースも多い。すぐ怒ったり、周囲の意見をバカにしたり、ただひたすら暗かったり。こうなるとサポートもされることなく、裸で医療をすることになる。

 人柄はオーラに出る。それが患者の不利益にまでつながることがあるということだ。



 

 




評判

2012年3月18日 連載

 それまでの評判は変えることはできないし、まして嘘を吹きこんでもその後の評価が矛盾する。なのでここは敢えて矛盾を作らず、ありのままで始めるしかない。

 ただ、もしそれまでの悪い点が反省できてそれを直すようにしたいというアピールができれば大したものだ。ま、そういう医者に会ったことはないが。

 面接の前後、事務らはあちこちに電話してその医師の評判を聞いている。人柄(短気か優しいか)、能力(積極的に数こなすか)、売上げなど。自分も雇う際は必ず調べている。当然、女性関係や医療ミスなども耳に入る。履歴は消されてないと思っていい。

 自分でも気づかなかった悪い評判もあった可能性も考え、面接時のアピールがその後と矛盾しないようにしよう。


独身

2012年3月18日 連載

 民間病院は、熟練医師が多いその分既婚者も多い。既婚者だと家族の病気など都合ごとが多く、出勤面での臨時アクシデントが多い。運動会や参観日、法事、子供の病気など。

 医局で雇う医師数がギリギリだったり上層部がサボりだと、必ず誰かが無理係になる。いわゆる留守番係、待機など。たとえば外から来るはずのドクターがいきなり来れなくなったり、当直の医師が見つからない時。

 常勤医師に相談が来るわけだが、上記の理由で既婚者ほど気を遣われるし理由もある。独身ほど断れないのは明らかだ。でも独身でも実はそれなりの事情は持っているものだ。

 なので面接時にはフリーっぽいイメージは持たせないことだ。フリーは無料であり、それ以上安いものはないってことだ。

 例:親類医師から頼まれたバイトを不定期にやってます。など。

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