ドクターカーが1台、外で待機している。田中が、外で中腰。みなの姿を見て立ち上がった。
「あ!みなさん!」
綺麗に片付いた新玄関を出て、ユウとシナジーは先頭を歩いた。ユウの両側にはチューブが巻きついたまま。後ろでザッキーが車いすを漕ぐ。彼には元気が戻りつつある。
「3人・・・」
田中は不思議がったが、そういえば内訳は聞いていた。
「品川さん」田中は思い出した。
「なんだ」
「さっき、シロー先生が歩いてましたよ?」
「シロー先生が?」
「あとで知ったんですが。警察が捜してるようですね・・・」
ユウは、ドクターカーに乗り込んだ。
「あいつのことは、もう知らん」
ザッキーは車いすごと後部ハッチから。
「結局、奴らの目的も分からずじまいだねー!」
シナジーはハッチを閉めた。
「いや。大阪の警察が明らかにするでしょう」
「重要参考人が、何人か死んだんだぜ?」
「・・・・」
田中は運転席でシートベルトし、姿勢を直した。
「出ますよ・・・あれは・・・?」
「(一同)・・・?」
気がつくと、ドクターカーの周囲。数百人が黙祷を捧げている。みなこっちに捧げているのか、でもよそを向いている者も。誰かの指示なのか。
車は誰も起さないような気遣いで、ゆっくりとタイヤを滑らせた。
みな1人1人、眠りに落ちて行った。
大平らしき人間を乗せたパトカーが、あとを追うように赤いランプをともす。
(♪)
もう少し傍にいて・・・
幾つもの夜を・・・
ひとりきり過ごしてきた・・・
ぬくもり・・・
ほほえみ・・・
頬にかかる甘い吐息・・・
愛はいつも 悲しみだけを・・・
君のもとに残してきたけど・・・・
もう泣かないで
僕は君だけのもの・・・
別れたあの時と
同じように今夜
窓の外 静かな雨
いつでもポケットに
君の写真 抱いて寝たよ
人はいつも失くしたものの
重さだけを背負ってゆくけど
もう離さない
君は僕だけのもの
戦い疲れた兵士が今
帰って来たよ 帰って来たよ
愛はいつも 悲しみだけを
君のもとに残してきたけど・・・
人はいつも失くしたものの
重さだけを背負ってゆくけど・・・
遅れて到着した警察隊の2人は、駐車場で玄関から湧き出す煙を見上げていた。
「なんだ、ありゃあ・・・」
2人の間、水浸しで抱えられている大平には、かつての生き生きとした活気はなかった。
「俺。俺・・これからどうなるんですか」
「いったん、病院で確認してもらってからな」警官の1人がしゃべった。
「確認・・・」
うつむいたまま、玄関へと歩く。もう1人の控えめな警官がさっきからみている。
「なんで・・・こんなことしたの?あんたら。な」
「・・・・なんでって・・・」
「はーん?」
「あんたら、教えてくれよ・・・」
新玄関に近付くと、粉砕された噴水と2両ほど転倒したコンテナがある。近く、白衣を着ているゴリラ医者が、事情聴取を受けている。頭の怪我も、誰も気にしてない。このマーブルもまた・・・焦燥っしきった表情だ。
大平は、どこか心のとっかかりが外れたような気がしていた。むしろこうして捕まって、いわゆる歯止めをかけられたことが。やっと自分の感情にブレーキがかかったような。一区切りついたような。
周囲に医療を裏切られ、金しか信用できなくなりそれに振り回されていた、しかもそれを知ってるのに自らを解放できなかった。そういう人間は、他人の力で制裁を加えられるしかない。
無残に焼け焦がれた車両の残骸を横目で見ながら、彼らは階段を1段1段ずつ登って行った。彼の両手の上はタオルのようなもので見えないが・・・両側の警官から、逮捕者であることは周囲にはバレバレだ。
みな、親族への怒りのように彼を見る。だが白衣を着てもいるので複雑な反応でもある。
奇異な視線にさらされつつ、彼は歩き続けた。
ICUは超満床の状態で、医局員らが大勢詰め寄っていた。ほとんどが、今回の実戦に<参加できなかった>助手クラスらだ。奥のカンファレンス部屋では、今更ながら入院となった患者らの検討会。
ひっそりと個室のベッドには、病衣の若い女性がうっすらと天井を見ている。その両側、6人ほどが取り囲んでいた。
汚れたカッターシャツの品川は何か呟いた。彼女は数秒遅れで首を縦に振ったり、横に振ったり。桜田の表情には色がなかった。
車椅子でぐったり眠っているのは、先ほど退院となったザッキーだった。頭に包帯、あちこちに火傷用のガーゼ。
ユウはひたすら、目を強く閉じていた。何を話していいのか、わからず。一番言いたいのは、<こんなとこに助けに来るんじゃなかった>。でもそれを口にすれば、彼女の命がけの行動が無になる・・・。
個室のドアが開き、ざわめく声とともに警官が2人入ってきた。ズボンがそれなので分かった。清潔服などとっくに足りてなかった。
「真田病院のスタッフの方々は・・・?」
「え、はい」シナジーが、とっさに飛び起きるように反応した。
「確認して、いただけますかー?」
すると、大平がいつもと同じような表情で・・見え隠れする手錠を除いては。みな、溜息をついた。もちろん事情はユウから聞いている。ただ、桜田だけは。彼女にだけは・・・。
みな彼女を見た。彼女は横にわずかに一瞥し、相変わらず無表情のまま。石でも見たような表情だった。
「みんな、すみません・・・」大平は精一杯の言葉を出した。
「(一同)・・・・・・」
「ユウ」
「・・・?」ユウは戦闘のこともそっちのけし、いつも通りの表情で見た。
「どうかしてた、と言ったら変か?」
「さあな。どうなんだ?」
「・・・・」
「彼女に言えよ。何か」
シナジーは、みなを従えて外に出た。自然な成り行きだった。警官はしかし外すわけにはいかない。
個室の外、ユウはシナジーに向かった。
「もう何がどうなったって。事実は分かっても、ピンとこない。また明日から、普通の生活に戻るような気がして」
「・・・・・」
「大平だって、殺したいくらいの気持ちなのにな。それが、なんだ。いざ会ったらこっちはほんの無力で。一体何なんだ。大衆みたいに戦争存在のみを否定して、それで終わりか」
警官2人が大平を伴って、個室を出てきた。桜田は片腕で表情を隠し・・・
どんな会話だったのか、以後も誰も知らない。
それと、ユウも分からなかった。一体だれが自分を助けて、そうつまり自分は誰のおかげで、この世に存続しえたのか・・・。
「なんだ、ありゃあ・・・」
2人の間、水浸しで抱えられている大平には、かつての生き生きとした活気はなかった。
「俺。俺・・これからどうなるんですか」
「いったん、病院で確認してもらってからな」警官の1人がしゃべった。
「確認・・・」
うつむいたまま、玄関へと歩く。もう1人の控えめな警官がさっきからみている。
「なんで・・・こんなことしたの?あんたら。な」
「・・・・なんでって・・・」
「はーん?」
「あんたら、教えてくれよ・・・」
新玄関に近付くと、粉砕された噴水と2両ほど転倒したコンテナがある。近く、白衣を着ているゴリラ医者が、事情聴取を受けている。頭の怪我も、誰も気にしてない。このマーブルもまた・・・焦燥っしきった表情だ。
大平は、どこか心のとっかかりが外れたような気がしていた。むしろこうして捕まって、いわゆる歯止めをかけられたことが。やっと自分の感情にブレーキがかかったような。一区切りついたような。
周囲に医療を裏切られ、金しか信用できなくなりそれに振り回されていた、しかもそれを知ってるのに自らを解放できなかった。そういう人間は、他人の力で制裁を加えられるしかない。
無残に焼け焦がれた車両の残骸を横目で見ながら、彼らは階段を1段1段ずつ登って行った。彼の両手の上はタオルのようなもので見えないが・・・両側の警官から、逮捕者であることは周囲にはバレバレだ。
みな、親族への怒りのように彼を見る。だが白衣を着てもいるので複雑な反応でもある。
奇異な視線にさらされつつ、彼は歩き続けた。
ICUは超満床の状態で、医局員らが大勢詰め寄っていた。ほとんどが、今回の実戦に<参加できなかった>助手クラスらだ。奥のカンファレンス部屋では、今更ながら入院となった患者らの検討会。
ひっそりと個室のベッドには、病衣の若い女性がうっすらと天井を見ている。その両側、6人ほどが取り囲んでいた。
汚れたカッターシャツの品川は何か呟いた。彼女は数秒遅れで首を縦に振ったり、横に振ったり。桜田の表情には色がなかった。
車椅子でぐったり眠っているのは、先ほど退院となったザッキーだった。頭に包帯、あちこちに火傷用のガーゼ。
ユウはひたすら、目を強く閉じていた。何を話していいのか、わからず。一番言いたいのは、<こんなとこに助けに来るんじゃなかった>。でもそれを口にすれば、彼女の命がけの行動が無になる・・・。
個室のドアが開き、ざわめく声とともに警官が2人入ってきた。ズボンがそれなので分かった。清潔服などとっくに足りてなかった。
「真田病院のスタッフの方々は・・・?」
「え、はい」シナジーが、とっさに飛び起きるように反応した。
「確認して、いただけますかー?」
すると、大平がいつもと同じような表情で・・見え隠れする手錠を除いては。みな、溜息をついた。もちろん事情はユウから聞いている。ただ、桜田だけは。彼女にだけは・・・。
みな彼女を見た。彼女は横にわずかに一瞥し、相変わらず無表情のまま。石でも見たような表情だった。
「みんな、すみません・・・」大平は精一杯の言葉を出した。
「(一同)・・・・・・」
「ユウ」
「・・・?」ユウは戦闘のこともそっちのけし、いつも通りの表情で見た。
「どうかしてた、と言ったら変か?」
「さあな。どうなんだ?」
「・・・・」
「彼女に言えよ。何か」
シナジーは、みなを従えて外に出た。自然な成り行きだった。警官はしかし外すわけにはいかない。
個室の外、ユウはシナジーに向かった。
「もう何がどうなったって。事実は分かっても、ピンとこない。また明日から、普通の生活に戻るような気がして」
「・・・・・」
「大平だって、殺したいくらいの気持ちなのにな。それが、なんだ。いざ会ったらこっちはほんの無力で。一体何なんだ。大衆みたいに戦争存在のみを否定して、それで終わりか」
警官2人が大平を伴って、個室を出てきた。桜田は片腕で表情を隠し・・・
どんな会話だったのか、以後も誰も知らない。
それと、ユウも分からなかった。一体だれが自分を助けて、そうつまり自分は誰のおかげで、この世に存続しえたのか・・・。
新玄関の前、小さな噴水。その直前にトレーラーはさしかかっていた。
隊長は、その1行を見て観念した。
<夫の希望により、蘇生処置を行わず>
時間が止まった。
「わしは。後悔しなかった日などない・・あの女医が死んだことも」
「うわあああああ!」
娘は興奮したのか、ハンドル操作を誤ったのか・・・正気になったとき、すでに噴水を乗り上げていた。車体は竜のように、あちこち折れ曲がった。
ユウは動く歩道を渡り終え、滑走台の手前に来た。
「俺もどうしていいか分からん!けどこのままじゃ、気が済まない!」
「先生!やめろおおおお!」シナジーが後ろから。
ダン!と滑走台の1歩前でジャンプしたと同時に・・・
バアアアン!と新玄関のガラス張りが激しい高音ととともに粉砕された。全てのガラスがいろんな形を伴って・・・重力を無視したように降り注いできた。
「な?」
ユウはすでに、滑走台に着地したちょうどその時。数コンマ秒遅れで、何かクジラのようなものが台の下半分、数メートル分にタックルしてきた。
「ち・・!」
体が浮き、滑走台の下半分にのめりこんだのがトラックの先頭車両ということに気付いたのは・・・さらにその数コンマ秒後。
「わああ!」
慌てて尻もちをつき、両手をついた。ブレーキをかけた格好だが、足がバタバタして固定しない。ツルツルと下へ落ちていく。衝撃は続き、外れかけたフロントガラスとハンドルが直下に見えた。
「ここまで来る?」
ひしゃげた先頭車両は、ねじれた笑顔のように斜め情報へと昇ってくるように思えた。ユウは振り向き、手を斜面に打ち立てた。滑走台の最上縁には・・・
「届かない!」
「さあ!」シナジーが、寝そべって手を差し出した。
「品川!」
ユウの後ろ、大きな爆発音と爆風が轟いた。何が何に引火してそうなったのか考える暇もない。とにかくユウの両足が、もう無くなった覚悟までするしかなかった。
「ひいい!」
「先生!離すな!手を!離すな!」シナジーは目を閉じふんばった。
ドコオオオ!と炎の熱さが現実感として伝わった。ユウは足が・・いや、感覚はある。確認のため振り向いた。足はある。その下方・・・
「あれは!」
運転席ハンドルから上半身をこちらにのめり込む人間・・なのだろう、炎に包まれた黒い影。だが表情は見えた。
「つかまるか?俺の足に!」ユウは小さく呟いた。
「・・・・・・」
その表情は、むしろほほ笑んだような。いや笑ったのか。次第に先頭車両は力なくしたように、その場に沈んでいった。
ズドドド・・・と爆弾の煙のように余韻を残していった。
真珠会、事務室。みな、険悪なムードに包まれている。
ハッカーは口から汚い分泌物。モニターも横にそっぽを向いている。
「ヒゲエ、フゲエ・・・なんで。なんでここまで売られるんだ・・・?」
足津は力が抜けたように、ドカッとソファに腰かけた。
「・・・・・・・・・もう手立ては、なしですか・・・」
ハッカーや事務員は、あちこち電話をかけまくった。誰も出ない。あるいは出ない振りをしているのか。故障しているのか。
ハッカーは立ち上がった。
「もーダメ!嘘!俺、もう認めない!もうこれ以上追証払えない!足津さん!」
「・・・・・」
「足津さん!いったいこれ、どうしてくれんっすか!なあ!」
他の事務員らも立ち上がり、オーナーを睨みつけた。
「家も買って、外車も買って会社も立ちあげて俺名義の・・・ですよ?あんたのおかげで、そのアンタにさ?名義まで預けてすなわちこの・・いわゆる魂すら売ったってわけじゃん?」
「・・・・・・抗議なら、弁護士を通じてもらえませんか?」足津は冷たくあしらった。
グラフがどんどん、下がっていく。
ハッカーが地面にひれ伏し、ただただ祈るように何度も頭を下げる。
「売らんといてくれ~・・・みんな。売らんといてくれぇ~・・・くくく」
みな興味のなくしたモニター画面の1つに映る、大学病院駐車場のトレーラーが行き場なく停まっている。
合流した藤堂親子は、運転席と助手席に乗るべく車両前方で2手に別れた。
運転席に、ボロボロになったレザーの藤堂ナースがやっと腰かけた。座ったとたん走る激痛。背中も腰もやられたらしい。肋骨もおそらく骨折している。
「つ・・・!」
「いけるか?」助手席に、無傷の父親。
「どこへ行ってた・・・?」
「わしか?これでも医療のはしくれだ。患者の処置を見届けにな」
「見届け・・・?」
トレーラーの周囲、野次馬が次々と集まってきた。
「ああいう組織に手を染めても、わしは患者を犠牲にするのは真っ平だ。もしものときは、医療スタッフのヘルプをするつもりだった」
駐車場の奥、長い通路のさらに奥に新玄関が見える。そこから蟻のように出てくるスタッフら。
「警察も、もうそこに来とるらしい。わしらはまあ、大丈夫だ。お前はわしが弁護してやる。優秀な弁護士も知っとる」
娘の唇が、わなわなと震えているのに気づいた。
「どうした?寒いのか?」
「ふん!」いきなりエンジンが始動、ハンドルがいっぱいに切られた。
「うぐっ!」
野次馬を数人蹴散らし、トレーラーはゆっくりうねりを始めた。
「ば!バカが!」父親は体勢を立て直そうとした。
「これを読んでみな」バサッ、と父親の膝に雑誌のようなものが置かれた。
「なにい?」
手に取ると、それが入院カルテであることは分かった。
「これは・・・!」
「お母さんが亡くなったときの」
「お前、こんなものを・・・!なぜ?」
だが、言いかけたのをやめた。
「やっぱりそうか。気になっていたのか」
「・・・・・・」
ドカン!と潰れたテントや学祭用のハリボテを、タイヤが踏みつぶす。
「お前の母親は病気で亡くなった。人は病気で亡くなる。なぜそれを掘り返す?」
「大学に殺されたと、貴様は言ってたな!」
「貴様とか、そういう口のきき方はいかん!うわっ!」
ドオン!と軽乗用車が数メートル飛ばされた。助手席側ドアがへこんだ。
「ぬぬ!カルテに、一体何が書かれているというんだ!」
震える手で、パラパラめくる。前方の視界も気になる。
「その、ページ折ったところ」
「なに?」
所定のページを、開く。新玄関が、いよいよと迫る。
ユウはちょうど、2階のICUを出た。怒りに顔が引きつっていた。
「あいつら!あいつら!」
「どこに行くんです!」品川が追いかける。
「許さん!絶対に許さん!」
「先生!何をして、彼女が戻ってくるというんですか!亡くなった人間はもう!」
「うるせえ!」
滑走台の手前、動く歩道に飛び乗った。
男は暑苦しいスーツを脱ぎ、そこらに放った。
「あーあ。まあ聞け。俺は医療を、常に監視する立場にあったんだけどな?信じられないだろうが、最初は農家やってたんだ。農家」
ジージー・・と蝉の鳴く声。
「都会から来た俺の家族を迎えてくれた農家の人たちは・・優しかったよそれで一生ものだと思った。大地に根を張る生き方だよ男には分かるだろエーッ?」
ゴロンゴロン、と1缶転がった。
「そしたらなんだ?農協に全て吸い上げられるんだよ。みるみるうちにさ。高額なローン組まれて農機や外車買わされてさ・・・働いても、働いても奴らは搾取するばかり。何の罪のない人間が吸い取られる。おいこれってどういうことだ?」
頭をドテッと打ちつつ、彼は寝そべった。
「てめえのかつていた、真田のやつらは勇敢だった。ちょっと前まではな。実験台にされそうな自治体の新興病院を追い出し、てめえらで村民のための分院を打ち出した。あれはすげえ、俺は思ったよ。ちょうどこの職についたころだ」
恐ろしいほど、周囲は静かになった。
「だけどよ。てめえらの仲間は仲間で引き揚げて、知らんふり・・・あの事務長は、品川は知ってたはずなんだよ。どういう運命が待ってたかなんてな」
ピクッと何かに気づいた。しかし彼はつづけた。
「結局、搾取する人間の手助けをしただけなんだ・・・過保護の振りしてる親みたいにな!」
「そうじゃない!」シローが叫びながら、廊下を突進した。
「そうだとも!」振りかぶってたナイフを一直線、投げる。
「ぎゃ!」
刺さってはないが、当たってはじかれた。シローの体も。
「いつつつ!」シローはそのまま横向きで廊下をスライディングした。
男はユラッと立ち上がった。
「刺さった?大丈夫か?」
シローの膝下から流れる血。手でおさえる。
「足津さんの周囲は、オリンピック候補しか雇わないんだよ・・・」
彼は余裕で近づいた。
「ま。おまえはクマリン、飲んでないからいけるだろ?」膝の上に足で押す。
「いたたた!」
「監視する仕事で、俺はとりあえず満足してた・・?いやいや、ノーノーノー。現物がないと、何も手にした人生にはならない。現物こそが、俺の永遠のテーマだ」
「か、金か・・・!」
シローは大汗で睨んだ。
「そうだよ。お前だって、それで仲間を裏切ったんだろー?」
「違う!」
「家族だろ?しょうがねえだろ、捨てられたんじゃーな。だいいちおい、嫁がそんな宗教団体に入るようじゃあ、てめえのお勤めが上手くいってなかったからじゃあ、ねーの?ま、知らんけど・・・」
ピピッ!と携帯で画像を撮影。さまざまな角度から。足津や株主への報告用。
ところがバシッ!とその携帯が吹き飛んだ。
「てえっ?なに・・・」
見下ろすと、シローが左手にパッドを持っている。
「ほ~。未来の軍事用品か。赤外線なしで、よく当たったな!」
シローは少しあわてた。ターゲットポイント用のパッドが・・・どうやら、廊下を走ったときに落としていたようなのだ。
「じゃ。俺を当ててみなよ」両手を上げる。
「ひっ・・・」
「俺を当ててみろってんだよこの!ボウズ!」
「ひゃああっ!」
シローは両手を後ろにまわし、ズルズルと後ろに這い戻った。
「これはね。当てないほうがね難しいんだ」スカッ、と当たり前のようにシローの腕と腰の間にナイフが落下し、床に刺さった。
「わあっ!」バシュ!とパッドから火花が出たが、天井に向かう。
「ヘタクソが!もっと狙わんかい!」
抜き出したナイフを、またわざとシローの股間の近傍へ。
「わっ!」
「まだだって。まだまだ!」
彼はいったん立ち止まり、<タイム>のポーズをとった。
「はーい。足津?チョロイちょろいの、なんの。ナイフは証拠がつくしな。彼、ちょうどパッド持ってるから。あんたら、ホントはこれを取り戻したかったんだろ?」
「ちいっ!」シローは何度かボタンを押すが、すべて窓や天井にぶち当たった。
「3000?ノーノー。少ない少ない。まだまだ・・・ま、その額でいいわ。なら、持っていったる!」
彼は心を決め、携帯をパタンと閉じた。
「シロー。お遊びは終わりだ。刺されたくなかったら、そのパッドをこっちに放って・・・」
彼の瞳孔が固まった。
「て?」
彼の眼球に映ったのは、チラチラする赤外線だった。
「ちょ、ま・・・」
シローはよそを向き、ピイーンという音とともにボタンをプッシュした。バリバリバリ!と一直線の閃光が男の体を貫いた。
「がが・・・・が!」
シローは何度も何度も押し続けた。そこらの壁、床に次々と穴が開いていく。やがて閃光の威力は途絶え、豆電球ほどの光がともる程度に。
「う!う!」
カシャン、カシャンとボタンを押すその指にも、もう力は残ってなかった。
ドサッ、と男の体が倒れた。
ごった返していた駐車場も静かになり、空っぽとなったトレーラーだけが端にたたずんでいる。
その最後尾のドアから、背をかがめて入り込んでいくスーツ姿の男。今しがた、医療対策課を<自己退職>したばかり。
「オイオイ・・・もう終ってんじぇねえかよ・・・」
トレーラーの車両はすべて、もぬけの殻。3両目に入ると、白衣のゴリラ医者が1人眠っている。
「ああ?あんた・・・」
「う・・・?」マーブルはうっすら目を開けた。
「真珠会の?」
「あ、ああ。お、終わったか?」
「医者がおい、寝てたんじゃあどうするよ?」
マーブルは、絶望した体をまともに動かせていなかった。携帯も壊れており、命令も来ない。運転もできない。
もと対策課は、ずんずんと前に進んだ。先頭車両の運転席、助手席も・・・誰もいない。ナビの端末、その前のキーボードを確認。
「どのテレビカメラも・・・真田の奴らはいないってことかぁ・・・」
携帯を鳴らす。
「足津さんよぉ?」
<はい>
「どうやら、真田の医師らは全員倒したようだぜ?あとのまあ、事務長をやっても・・・しょうがないしな」
ドカッと運転席に腰掛ける。そこらのビールを適当にあける。
「何?裏切り者だと?ターゲットがそれに変わったのか?やれやれ・・・」
<身体的なダメージで結構です>
男は、さきほどホームセンターで購入した刃物を、そっとズボンのポッケからのぞかせた。
「脅して、殴るだけだぞ。捕まるわけにはいかんからな」
<カメラで確認次第、振り込みます>
「おい。待て」
ふてぶてしく、男は端末を操作。ナイフでキーボードを押す。
「俺のパスワードで、自社株を倍増・・よし!した!俺が株主様らの、ヒーローになるわけだもんな!」
と、近くのモニター画面の1つの周囲が赤く光った。
「と、噂をすれば・・・」
送られてきた画像の人間、とおぼしき男。ヨレヨレで歩くシローがコマ送り状態で、旧館の近くに現れた。
「なあんだ。弱そうなやつだ」
足でドカン、とドアを蹴って降り立った。西日が強くなっており、株の取引もタイムリミットに近付く。
「いいんだよ。売れよ。お前ら・・でも俺は買い続ける・・・」
ズボンからまたナイフを出した。1歩ずつ1歩ずつ、駐車場を斜めに横切る。
「でな。いいとこでまた売るんだよ。足津らの情報流せば一発だぁへへへ・・・」
老朽化した6階ほどの建物。旧館と呼ばれるその建物のドアは斜めに開いている。内部の廊下が見通せる。
「ここだな・・・シローってっかな・・・ヘイ!シロー!」
ヘイシロー!ヘイシロー!・・・と空虚ないくつもの講堂にエコーしていく。
「お前、裏切ったろシロー!」シローシロー・・と響く。
ふん!と部屋の中に押し入りがちに入り込む。
「ここもカラか・・・」
凶器のようなものがない分、彼には楽だった。
「そこで聞いてんだろ?まあ聞いとけや・・・お前のことはさっき、メールで見たけどよ・・・」
ナイフを、カカー・・・と壁を切り裂くように沿わせる。
「悲しい思いをしてんのは、何もお前だけじゃないぜ・・・?ええ?」
ビール缶をポッケから取り出し、開けた。
「俺だってなあ!これまでどんだけ、つらかったか・・・!ちょっと飲んでいい?なあ飲んでいいんだろシロー!」
かなり酔っているようだった。
真っ白な2人部屋。カーテンで、2人の医者のベッドが分け隔てられている。
ぼんやりとしていた天井が、やっとハッキリしてきた。ポコッ、ポコッという音とモニター音。
ユウは目が覚めた。
「・・・・あ?ああ、そっか。それで俺は・・・」
最後に気を失ったのは・・・・
「オンギャー!って倒れて、なんか焦げくさくて・・・」
誰かが助けてくれてた。誰なのか覚えてない。だがそのおかげで、ここに運ばれたんだろう・・まあ、そういうことだろう。
カーテンの向こう、手で泳ぐような、探るようなしぐさ。もう1人のベッドだ。
「ユウ・・・」
間違いない。この声は・・・
「のな・・・ノナキーか・・・その声は」
「ああ・・・」
「(2人同時)いてててて!」
お互い、顔は見えない。
「はぁはぁ。野中。大丈夫か?」
「生きてる。生きてるんだよクッソー!」
「な・・なに?」
どうやら、野中は泣いている。
「チキショウ、チキショウ。結局、何にもやり遂げれなかったじゃねえかよ・・・何にもだよ!」
「どうしよう。ノナキー・・おれどうしよう。人、殺したかもしれん。それが悪人でも、実際はやばいよな」
「だいたい無理な話だよ!無理だってんだよ!上の奴らが全部押し付けたんだ!」
お互い、聞いてない。ユウは聞きに徹した。
「お前にだって、いつ話していいか分からなかった。医局一同、全力は尽くしたつもりなんだ!しかし・・・これは話して許されることでもない!」
何を話しているんだ・・・?
「彼女をああ!殺したのはああ!俺でいい俺で!なんなら殺せ!だから死んでたらよかった俺!」
ユウは、不穏の症状と思いナースコールを何度も押した。
<・・はい>
「暴れてるぞ!来てくれ!」
<・・・(プッ)>
「うあああ!うおおおお!」
これが、エリート街道を突き進んでいたもと同僚の姿か・・・。見たくはなかったが、これを転落と位置付けたくもない。
ユウには、いろいろ分かってきた。
この10年ほどこの仕事をしてきて、最初はまあ学生の延長だった。患者にはりつき、真理を探究するなどすべてが自由。しかしそれはあくまで強固な地盤があってこそのものだった。
それがいつからか・・・責任問題への重圧がのしかかった。一生懸命すればするほど、抱えきれないほどの重圧が押し付けられ、気がつけば全く違う次元の<何か>に利用されている。
誰かのために一生懸命になるほど、仇で返されていくのは何故だ・・・?
「うひいいい!ひいいい!」
「医局長!おさえて!」医局員が数人、おさえにかかる。
ひょっとして、僻地にしろ何にしても・・・一掃されていく運命にあったのではないか?その運命を知らんふり背負ってたのではないか?
「なら、逃げた者が勝ちってことか・・・!」
ユウは、両側のチューブをクランプし、中途で外した。ガーゼで覆い、胸に当てテープ。気胸自体はかなりおさまっているのは確かだ。
ユウはだいたいの予測をし、暴れるノナキーに叫んだ。
「おい!野中!しっかりしろ!ほんとは聞こえてんだろ!」
「ううううう!」
「芝居だろ野中!そろそろ白状しろ!」
カーテンが引っ張られ、見知らぬ助手が叫んだ。
「この真田の医者が!お前らがしっかりしなかったから!」
「るせえよ」
「ミタライは、もうICUを出たんだ!済んだことをもう言うな!」
「出た・・・?ICUを?」
どういう意味かもわからず、ユウはスリッパを履いて病室を飛び出した。
藤堂ナースすらギョッとさせるような、シローの叫び声。よけた勢いで、DCベルトが腰からドサッ落ち、どこかへバウンドした。
・・だがもういい。彼女にはもう、目標とするものはない。
ヒュウ!と大量の風により、室内から外へ一掃されていくハウスダスト。1つずつ開けられた窓から、大きな西日と大量の風が入って、また出ていった。
藤堂ナースが、碁盤目の通路のど真ん中に現れた。片手はカルテの束を握っている。
「・・・・・・」
その真後ろ、無息でシローは睨んでいた。パッドが2つ転がっている。使い方は説明を聞いて知っている。
「(くそ・・・届かない・・・!)」
目の前、黒いレザーを着た女は棒立ちしたまま、まるで魂を抜かれたかのように突っ立っていた。
「・・・・・・・」
パラ、パラと行き来するページ。どうやら、何かの核心部分を繰り返しては閲覧しているようだ。
シローは手を伸ばした。が、パッドには届かない。ゴトッと女の足が浮いたとたん・・いや、それは1歩ずつ歩き始めた。
携帯を取り出し・・
「おやじ?今どこ?」
彼女が振り向き、シローは観念した。
「(やられる!)」
だが彼女は目もくれず・・・そのまま歩いて行った。
「帰ろうよ。うん。みんな倒した。そっちは?」
シローの喘息発作は、何とかほぼ治まった。頻拍だが仕方ない。
「・・・・・あの女。帰るのか?だいいち、帰れるのか?」
自分も含めて、の話だが。
「・・・心筋炎で入院。それは知ってる。これも・・・」
看護記録に移る。処置後にまとめた走り書きだろうが、じっくり読む。
「おい!シロー!シロー!」
返事がない。
「シロー!こっち来て読むんだよ!おいシロー!」
無言。
「チッ・・」
続きを読む。
<酸素飽和度低下、85%。心室性不整脈出現、リドカイン投与・・・・>
目を閉じ、状況を飲み込んでいく。
<酸素投与量マックス(限界)、主治医によるムンテラ>
不思議と、ミタライが慌てているような記載はない。
<ムンテラ内容:非常に危険な状態。蘇生に移る可能性高い。家族に同意と付き添いを希望・・・>
「シロー!」
「あ、現れませんよ僕は!」
「どこ?」
「医療側の記録を読めってことでしょう?」
「裏切る気?」
ズバアア!と閃光が放たれると同時、書庫からおびただしい量の書類が一斉に空中へと散らばった。
バサバサバサ・・・と紙の間に紙が滑り込むように。
シローは、いきなり喉の違和感を悟った。
「うっ・・・?」
「シロー!手伝わないと!アレルゲン、浴びせるわよ!」
散っているのはカルテの切れ端だけじゃない・・・長年ここに蓄積されたのは、シローにとっては大敵の・・・
「ハウスダストか!」
叫んだとき、シローは気道の狭窄感を感じ始めていた。サッとマスクを装着。しかしすでに暴露はかなりされている。
「く、苦しい・・・!」
目を開けられないほどの粉吹雪。シローは窒息感を覚え、あちこち棚の脚をかきむしった。
「ゼェ!ゼェ!」
ユウら、かつての仲間の優しそうな表情が浮かんだ。
<シロー。恥は一時の掻き捨て。また俺たちの仲間になれる>
<家族のことは任せろ。俺たちが何とかする>
「ゼエ・・そうだよね。そうだよね・・・仲間なら、頼っていいんだよね!ゼエ!」
ウエストポーチから、やっと取り出した注射器。
「ゲポオ!」床に吐く。
ボスミンのアンプルを切る。指をかすり、飛び散る鮮血。ものともせず、突っ込む注射針。
「こんな所で、こんな所で・・・」
注射器、反対側の上腕へ。
「死んでたまるかーー!」
ブスッと刺すが、深すぎた。
「ぐあああああ!」
こんな時だけだが、今こそ神よ・・・!
看護記録に移る。処置後にまとめた走り書きだろうが、じっくり読む。
「おい!シロー!シロー!」
返事がない。
「シロー!こっち来て読むんだよ!おいシロー!」
無言。
「チッ・・」
続きを読む。
<酸素飽和度低下、85%。心室性不整脈出現、リドカイン投与・・・・>
目を閉じ、状況を飲み込んでいく。
<酸素投与量マックス(限界)、主治医によるムンテラ>
不思議と、ミタライが慌てているような記載はない。
<ムンテラ内容:非常に危険な状態。蘇生に移る可能性高い。家族に同意と付き添いを希望・・・>
「シロー!」
「あ、現れませんよ僕は!」
「どこ?」
「医療側の記録を読めってことでしょう?」
「裏切る気?」
ズバアア!と閃光が放たれると同時、書庫からおびただしい量の書類が一斉に空中へと散らばった。
バサバサバサ・・・と紙の間に紙が滑り込むように。
シローは、いきなり喉の違和感を悟った。
「うっ・・・?」
「シロー!手伝わないと!アレルゲン、浴びせるわよ!」
散っているのはカルテの切れ端だけじゃない・・・長年ここに蓄積されたのは、シローにとっては大敵の・・・
「ハウスダストか!」
叫んだとき、シローは気道の狭窄感を感じ始めていた。サッとマスクを装着。しかしすでに暴露はかなりされている。
「く、苦しい・・・!」
目を開けられないほどの粉吹雪。シローは窒息感を覚え、あちこち棚の脚をかきむしった。
「ゼェ!ゼェ!」
ユウら、かつての仲間の優しそうな表情が浮かんだ。
<シロー。恥は一時の掻き捨て。また俺たちの仲間になれる>
<家族のことは任せろ。俺たちが何とかする>
「ゼエ・・そうだよね。そうだよね・・・仲間なら、頼っていいんだよね!ゼエ!」
ウエストポーチから、やっと取り出した注射器。
「ゲポオ!」床に吐く。
ボスミンのアンプルを切る。指をかすり、飛び散る鮮血。ものともせず、突っ込む注射針。
「こんな所で、こんな所で・・・」
注射器、反対側の上腕へ。
「死んでたまるかーー!」
ブスッと刺すが、深すぎた。
「ぐあああああ!」
こんな時だけだが、今こそ神よ・・・!
朝飯前のカギ外しののち、ギイ・・・と開いた南京錠。薄暗い部屋の中、レーザーのように差し込む無数の光。光の1本1本が塵によって象られている。
今さら木造の床を、ミシ、ミシと数ミリ沈下させつつ、4本の足が交互に動く。
シローは、いきなりくしゃみした。
「くしゅ!」
「シロー?あんた確か・・・アレルギー体質で」
しばらく考え、藤堂ナースはニヤリと微笑んだ。
「(そうか・・・!)」
シローは動くとも分からない、旧型パソコンの前に座らされた。
「ゴホッ・・・パフォーマ630?動くのかこれ?」
予想に反し、普通に起動する。
「・・・・・・」
出てくるアイコンを、1つずつ目で追う。
「だがIDが僕には」
藤堂ナースは、ほれっと奪っておいた名札を差し出した。
「うっ・・・なんて用意周到な」
藤堂ナースが歪んだ画面に反射している。
「探してほしいのは、あたしの母親だ」
「・・・・・」名簿ソフトを立ち上げ、検索。
「体験発表では、そう話してないけどな」
おびただしい数の中から探し当てるのは簡単だったが・・・彼はゆっくり時間をかせいだ。
「母親がこの病院のせいで死んだんだって。父の話があたしにはどうしてもね」
「隊長が・・・?」
「担当の主治医が、あたふたしてるうちに重症化して。でもね父も父だよ。あいつも医療のはしくれだ。何か援助が出来てたはずだ」
「・・・・・・担当医っていうのはもしや・・」
「ミタライっていう女医だよ。あたしは復讐するつもりだったけど」
キーが止まった。
「復讐ってそんな!」
「だからしてない!直前で踏みとどまった!でもさ!でも父は・・お前がやらんのなら、わしがするって・・・!」
「隊長だったのか・・・送り込んだのは」
しかし、シローに口にする資格はなかった。そのあと、そんな彼らに加担している。
「あたしは、どちらかというと・・・復讐心から解き放たれたかった。病院への乗っ取りという名目で、それが置き換えられると思っていた・・・」
「藤堂・・・」
「あった?あったか?」
ガバッ、と顔をモニターにくぎ付けた。
「・・・・J-43857439。どこだ?待て!」
「?」
「探してくる!ここで待て!」
シローはまた腰かけた。
「(これなら。わざわざ、僕に頼まなくたって・・・・)」
真珠会より割り当ての携帯が鳴る。シローはさっきから取ってないが・・・今度はメールだ。
< 真田のスタッフ医師ほぼ全滅、了解した。至急シローの行方を探し連行すること >
「連行・・・」
バッ、と周囲を見回すと・・・暗いが光の筋の反射で何となく、藤堂ナースの居場所が分かる。
彼女はすでに、カルテを見つけていた。分厚くもない、外来分と入院分。厚みにケチをつけるつもりはないが、こんなにもアッサリとしたものとは・・・。
入院カルテのほう、1ページずつめくる。
主治医、御手洗洋子。患者名・・・彼女はそこで泣きそうになった。再会したような気分からか。
「・・・・・・・」
現病歴から。ミタライの、まだあどけない研修医らしい字体。何度か修正したようなペン跡。詳細すぎる家族歴。
<上気道炎症状あり、軽快しないため再受診。聴診上、右背部のラ音認め心不全が疑われ・・・>
ボオオオ・・・と燃え上がる、よく出来ていた人型のハリボテ・・ガタン、ガタンと1枚ずつ落ちてくる板。
ときに、ガシャン!と飛び散っていくガラス。風の向きにより、煙の向きもいろいろ変わる。
その前方で、シローは背中をこづかれていた。
「さ、早く終わらせろ」
「ま、待ってください。まだ・・まだ!」
シローは胸腔チューブをユウの両胸に入れ終えて・・・・そのチューブの両端を一手につかんだ。
後ろの藤堂ナースは、さきほど地面の油に叩き込んだDCベルトパッドを、シローの背中数センチに近づけていた。
「だが、あんたがここを通りかかって良かったよ」
「・・・・・」
「かつての先輩が心配で、探しに来てたんだろ?」
「・・・・・」Y字管に2本をつなぐ。両肺からの空気を一本にまとめ・・・圧を用いて外へ持続的に漏れる空気を引っ張る。
「甘いねえ男は。だから、こんな世になる。さ、まだか!」
シローはヒイヒイ言いながら、気を失いかけのユウの横でセッティングを続けた。
「吸引、開始・・・!」
ボタンを押し、ボコッ!ボコボコ・・・と液体の下から上に湧き上がる空気。
ユウは眼をやや見開いた。
「し・・・・しろ・・・シロー・・・?え?」
「先生。動かないでください!動かないで!」
線路の向こう、白衣が満杯に乗ったトロッコがゆっくり近づく。
シローは背中をつかまれ、立ちあがった。
「どこへ案内しろと?」
「場所は知ってる。中に入ってからが問題だ」
白衣らがこちらへ走ってくる。やっと駆けつけにきた助手クラスだ。
シローは引っ張られながら、思いっきり叫んだ。
「りょ・・・両側気胸です!うわ!」
膝の後ろを何度も突かれながら、彼は前のめりに小走った。
後ろの大きな模型は蜃気楼を立てながらズズズ、と崩れていき・・・
そのまま地へと還るように地鳴りを轟かせた。
シローは何度も転倒しながら、<目的>の場所まで向かった。
「僕は、もう目が覚めたんです!協力はしませんよ!」
「家族を捨ててもか・・・」
「法的にやります!」
「その<法>によってこれから捕まろうとしている、お前の言うセリフか・・・?」
頭をよぎった。確かに、警察の介入することにはなろう・・・。おびえていたとはいえ、何かに加担したことに間違いはない。
「ここか・・・!」
シローは見上げて分かった。
「ここは。ここはカルテ庫じゃないか・・・」
ときに、ガシャン!と飛び散っていくガラス。風の向きにより、煙の向きもいろいろ変わる。
その前方で、シローは背中をこづかれていた。
「さ、早く終わらせろ」
「ま、待ってください。まだ・・まだ!」
シローは胸腔チューブをユウの両胸に入れ終えて・・・・そのチューブの両端を一手につかんだ。
後ろの藤堂ナースは、さきほど地面の油に叩き込んだDCベルトパッドを、シローの背中数センチに近づけていた。
「だが、あんたがここを通りかかって良かったよ」
「・・・・・」
「かつての先輩が心配で、探しに来てたんだろ?」
「・・・・・」Y字管に2本をつなぐ。両肺からの空気を一本にまとめ・・・圧を用いて外へ持続的に漏れる空気を引っ張る。
「甘いねえ男は。だから、こんな世になる。さ、まだか!」
シローはヒイヒイ言いながら、気を失いかけのユウの横でセッティングを続けた。
「吸引、開始・・・!」
ボタンを押し、ボコッ!ボコボコ・・・と液体の下から上に湧き上がる空気。
ユウは眼をやや見開いた。
「し・・・・しろ・・・シロー・・・?え?」
「先生。動かないでください!動かないで!」
線路の向こう、白衣が満杯に乗ったトロッコがゆっくり近づく。
シローは背中をつかまれ、立ちあがった。
「どこへ案内しろと?」
「場所は知ってる。中に入ってからが問題だ」
白衣らがこちらへ走ってくる。やっと駆けつけにきた助手クラスだ。
シローは引っ張られながら、思いっきり叫んだ。
「りょ・・・両側気胸です!うわ!」
膝の後ろを何度も突かれながら、彼は前のめりに小走った。
後ろの大きな模型は蜃気楼を立てながらズズズ、と崩れていき・・・
そのまま地へと還るように地鳴りを轟かせた。
シローは何度も転倒しながら、<目的>の場所まで向かった。
「僕は、もう目が覚めたんです!協力はしませんよ!」
「家族を捨ててもか・・・」
「法的にやります!」
「その<法>によってこれから捕まろうとしている、お前の言うセリフか・・・?」
頭をよぎった。確かに、警察の介入することにはなろう・・・。おびえていたとはいえ、何かに加担したことに間違いはない。
「ここか・・・!」
シローは見上げて分かった。
「ここは。ここはカルテ庫じゃないか・・・」
見上げると、人体の模型。さきほどいたところだ。後ろ向きなのを見ると、どうやら肛門のほうから出たようだ。
「う・・や、やっぱりオンギャー!オンギャー!」
液体は臭くない。そこまで徹底したリアルではない。
「サラダ油か何かか・・・」
起き上がろうとしたが、激痛で立てない。それどころか、呼吸がかなり浅促性なのに今更気づいた。
「酸素飽和度は・・・」
指で測定、76。
「指が冷たいからかな・・・いやいや。ま、そういうことに」
しかし、息苦しさが加速する。言葉を発すること自体が苦痛になり、独り言をいいつつ倒れた。
「・・・・・」
手探りすると、どうもおかしいと思った通りだ。左の背中にも、針が刺さっている。右に刺さってるのと同じタイプだ。
だが注射器で引こうにも・・届かない。右の針も、引きが悪くなっている。血液で詰まりかけているものと思われる。
「(こ、このまま死ぬのか・・・・空はこんなに青いのに・・・)」
死というものが、こんなに苦しい末に到来するのなら・・・自分らが診てきた人たちはそこで何を考えたろう。そんなことが頭を平気でよぎる。
大学病院、救急室の外に<立ち入り禁止>の大きな張り紙。
「入れない入れない!」
中年の助手ら数名が、通行人を威嚇する。
担架で運ばれていくノナキーを、教授が見下ろした。
「野中くん!ちょっと野中くん!」
「・・・・・」薄眼を開ける。
「これで終わりなんだな?もう来ないんだな?搬送は?」
「・・・・・」なんとか、こっくりと頷いた。
「よし分かった!あとはやっとく!」
新教授は人波をかきわけ、無条件に救急室のドアを開けた。助手らは道を開けていた。
「こりゃあ・・・!」
顔だけ壁にもたれ、両脚を伸ばしきった白衣の・・死体だった。目が半開きになっている。
蘇生に使用した機器の残骸も散らばる。
「なんでそこまで・・・」
名札を確認する。
「わずか3年目の医者が・・・」
敬意からか安心感なのか、新教授は涙を抑えきれなった。はたまた、自分のふがいなさを嘆いてか。
「・・・・・・・」
「真田病院から、援軍の到着予定です!」と助手。
「お、遅すぎると言っておけ!」
タンタンタン!と新教授はれまでにない勢いで、出口へと出て行った。
玄関の外、駐車場ではケガ人の救護、機器の回収が続けられている。真昼間のせいか、あまり悲壮感がない。
「真田の奴ら。真田の奴ら・・・!」
左の遠方、空がややオレンジ色に見える。だがそれは、夕日ではなかった。
「う・・や、やっぱりオンギャー!オンギャー!」
液体は臭くない。そこまで徹底したリアルではない。
「サラダ油か何かか・・・」
起き上がろうとしたが、激痛で立てない。それどころか、呼吸がかなり浅促性なのに今更気づいた。
「酸素飽和度は・・・」
指で測定、76。
「指が冷たいからかな・・・いやいや。ま、そういうことに」
しかし、息苦しさが加速する。言葉を発すること自体が苦痛になり、独り言をいいつつ倒れた。
「・・・・・」
手探りすると、どうもおかしいと思った通りだ。左の背中にも、針が刺さっている。右に刺さってるのと同じタイプだ。
だが注射器で引こうにも・・届かない。右の針も、引きが悪くなっている。血液で詰まりかけているものと思われる。
「(こ、このまま死ぬのか・・・・空はこんなに青いのに・・・)」
死というものが、こんなに苦しい末に到来するのなら・・・自分らが診てきた人たちはそこで何を考えたろう。そんなことが頭を平気でよぎる。
大学病院、救急室の外に<立ち入り禁止>の大きな張り紙。
「入れない入れない!」
中年の助手ら数名が、通行人を威嚇する。
担架で運ばれていくノナキーを、教授が見下ろした。
「野中くん!ちょっと野中くん!」
「・・・・・」薄眼を開ける。
「これで終わりなんだな?もう来ないんだな?搬送は?」
「・・・・・」なんとか、こっくりと頷いた。
「よし分かった!あとはやっとく!」
新教授は人波をかきわけ、無条件に救急室のドアを開けた。助手らは道を開けていた。
「こりゃあ・・・!」
顔だけ壁にもたれ、両脚を伸ばしきった白衣の・・死体だった。目が半開きになっている。
蘇生に使用した機器の残骸も散らばる。
「なんでそこまで・・・」
名札を確認する。
「わずか3年目の医者が・・・」
敬意からか安心感なのか、新教授は涙を抑えきれなった。はたまた、自分のふがいなさを嘆いてか。
「・・・・・・・」
「真田病院から、援軍の到着予定です!」と助手。
「お、遅すぎると言っておけ!」
タンタンタン!と新教授はれまでにない勢いで、出口へと出て行った。
玄関の外、駐車場ではケガ人の救護、機器の回収が続けられている。真昼間のせいか、あまり悲壮感がない。
「真田の奴ら。真田の奴ら・・・!」
左の遠方、空がややオレンジ色に見える。だがそれは、夕日ではなかった。
拳でキーボードのキーがあちこちに散乱し、それでもハッカーは興奮・絶望がおさまらなかった。
「なんでだよ・・?なんで誰からも連絡がない?ええ?」
「・・・・・」足津は溜息をつくこともなく、携帯を耳にあてた。
医療対策課の彼に、また連絡がかかってきた。デスクで荷物の取りまとめをしている。
「おっ・・・もしもし!」
<足津です。お願いがあります>
「あー。あー・・・もうこれ以上は・・・」
打って変って冷淡な口調の彼は、隠れ場所をトイレに見つけた。ここなら大丈夫だ。
「これ以上はちょっと。それより、振り込みのほうがまだみたいですが」
<本日は多忙につき、明日以降とさせていただきます>
「困ったな。そりゃ困る。返済は早いほうがいいんだよ。いや、いいんですよ」
<今度の依頼を聞いてくだされば、本日中にでもそちらに>
「キャッシュで・・・持ってきてくれる?くれます?マジで?」
職員はじっと耳を澄ました。
「はいはい・・・・うーん。でもどうやって・・・はあ、それだけですか。はい・・・報酬は上乗せあるんでしょうね?」
<・・・・・>
「は?ははっ?やや、やります!やりますとも!」
どうやら、天文学的な数字が出たようだ。
電話を切り、彼は心が大きくなった。机の荷物もどうでもいい。一目散に、対策課を出ようとする。
「全部やるから、とっときな!」
「待て!理由を話せ!」上司の声。
「知るかボケ!」
そのまま大通りに躍り出て、タクシーを拾う。
「ホームセンター。どこでもいい」
「・・・・」疲れ切った運転手は、つまらなさそうにハンドルを切った。
走り去るタクシーの画面をパソコン上で見届け、ハッカーはメールを打ちつけた。
「よっし!これで最後の刺客の登場だ!頭いいっすよ足津さん!」
「・・・・・」
「でも彼、正気じゃないっすよ?知りませんよ?」
パチパチ・・とキーを打ち終わり、Enterをパシッ!と押した。
「これで株主様らの期待も高まった!これで売りも阻止できる!」
「目的は2つ。彼らの今後の士気を失わせること。我々の力を世に広めること」
患者はすべて、何とかなった。医療スタッフは多大な打撃、信頼を大きく失った。しかし、彼らとしては大きな<安打>が欲しかった。
彼らの利益を震撼させた、<しぶとい医師>の存在だ。
足津は掌の蚊をパシッとはたき、手を洗いに洗面所へと向かった。
「・・・・・・」
蛇口をひねり、まとまった水がドバッと落ちてくる。
「ぎゃあああ!」
そのままドバッと管から、ユウが空中へ舞い落ちてきた。無重力空間と思うほどだったが・・・地面に転げ落ちるまで時間はかからなかった。
ドテン、と耳から落ち続いて液体が降り注いだ。
「う・・・うう!オンギャー!」
ガイーン、とノナキーが両手を天井に向けて入ってきた。
「PCIするぞ!PCI!」
2人の研修医は技師になんとか頼み、準備をこぎつけた。
「先生。僕ら2人はどうしても・・?」1人が呟く。
「お前らはここにいろ!あっちはなんとかなるだろ!」
「2人、要るって消化器の先生が・・」
ノナキーは透視画面に見入った。
「あっ?あ、そうか」
「聞いてないし・・・!」
1人は無断で救急室へ戻った。もう統制も取れてない。
ガラガラ、ガラガラとベッドが運ばれていく。
救急室となった部屋では、急変した患者の処置を行っている。
「おい!早く帰ってこないか!」中堅の消化器医。
「は、はぁ・・」
「はー。おい変われ!マッサージ!」
「・・・・」
うつろな目で、交代する心臓マッサージ。
「あの・・・消化器の部長先生は」
「なに?痔の出血が止まらんまま・・なんだろ!」
「応援、どうしても来ないんですか・・・」
患者はあと6人残る。ここの医者は彼ら含め3人。残り1人がデータ・画像をパソコンで照会中。
「おれIVH入れるから!」
マッサージ続けながら、研修医は見届けた。もちろんモニターも見る。
「(もう、こんなところは、出よう・・・もうよく分かった)」
「上のやつらは怖いんだよ。自分に責任が降りかかるのがな!」中堅がDC用意。
「(いざというときに、守ってもらえないってことが・・・)」
「おいどけ!」
DCで患者が浮く。またマッサージ再開。
「(よくわかったよ・・・・)」
循環器の研修医のもう1人がドアを乱暴に開けた。
「おい!野中先生が戻ってこいって!」
「マッサージしてるから!」
「僕は機械を操作してるから!ヘルプをって!」
「だから!この通りだから!」
中堅はしかし、この患者をあきらめた。
「・・・・俺、なんとかやるわ。行け」
「で、でも先生。体が・・・」
壁にもたれていた中堅は、つぶっていた目をギン!と開け放った。
「いいから。行け。しゃあない」
「もちますか・・・?」
「患者のことか?それとも・・俺か?」
ズン!と中堅は上半身を傾け、マッサージを再開した。顔色が悪い。
研修医は礼をして、立ち去った。IVH入れている医師は・・・目が死んでいるようだった。
カテーテル室では、ノナキーが患者の横で立っていた。
「血管3本のうち、2本に狭窄。そのうち1本に閉塞。これは解除した」
「では、そのまま病室へ」操作の研修医。
「お前が判断するな!で、どうなった病棟は!救急室の患者の行先は!」
彼は、まるで人が変ったようになっていた。
「し・・・知りません詳しくは」と後で入った研修医。
「何人残ってんだ!」
「ろ・・6人ほど」
「じゃあ楽勝だな」
「病名不明がまだ3名、CPAが1名」
「ステント挿入!拡張!」
また間ができる。ノナキーは頭をうなだれた。
「・・・・・・ミタライ・・・」
研修医は後ろでモニターを見ていた。
「野中先生!心室性不整脈!頻発です!DCが!」
「うっ・・・?」
「自分がしますから!」
インターベンション中断、除細動。脈は戻った。
研修医は汗をぬぐった。
「医局長!しっかりしてくださいよ!」
「あ、ああ・・・」
彼は、さっき聞いたのだ。ついさっき・・・報告を受けたのだ。こっそりひっそりと・・・一番<あってはならない>ことだった。
造影。ステントで1枝を拡張。心電図も改善傾向。
「角度変更。撮影する・・・」
手元の注射器、グイッと押し出される。画面上、シューと流れるように太→細血管が造影。
「よし・・・これで、終わる」
力が抜けたとたん、ツルっと足が滑った。横の研修医が守備交代した。
「野中せ・・・」
「・・・・・・」
ダダーン、と医局長は準備物ごと転倒した。薄めた血液もろとも。
「野中先生!野中先生!」
天井のまぶしい光の中、彼はゆっくり目を・・・伏せるように閉じた。
新玄関近くの、大部屋。講演などを行う会議室を、そのまま救急部屋として使用。
「病棟へ、どんどん上げればいいだろ!」消化器の中堅ドクター。
「看護部長から許可が出てない!」責任者のノナキーが叫び返す。
その周囲、ベッドが21台。残ったスタッフは彼ら入れて8人。真田のスタッフは品川事務長のみ。
「私も掛け合いましたが、ダメでした」とシナジー。
「でしょう?」ノナキーは同調した。
「助手の先生方も、病棟にこもって。なぜ・・」
「彼らの言い分は、まず1つ。入院させた患者のしりぬぐい」
「なっ・・・そんな」
「言い方はともかく。もう1つ。先ほど救援に滑走台に向かった方々への電撃攻撃」
消化器の中堅は内視鏡を覗いていた。
「ふん!腰抜け!俺だってちょっと浴びたぞ!」
「・・・・・」ノナキーは次々と診療にあたった。
男性の研修医。倒れかけている。
「あっあの。心筋梗塞で」
「なぜ、そうわかるんだ!安易に言うな!」ノナキーがイライラしている。
「これ・・・」
患者のベッドの上。心電図やデータ。
「・・・ま、そうなんだろうな!」
自分の胸をつかんだと思うと、板が・・いや、モニター画面が傾いた。
「超音波で見る!」
隅にいるシナジーに、今度は別の医者から声がかかる。ノナキーの手下、島助手だ。車いすで診療。
「品川さん。刺すから、持ってて」
「さす?」
「この角度で。ずれて、下手したら死ぬから」
管の先、患者のみぞおち部。
「・・・・し!」
同時に、数センチ奥へ。やがて黄色い液体。
シナジーはこわばったように管を支え続けた。
「あの、もう」
「まだだ!はなすな!」
「・・・・」1分。
島はマスクを外した。
「よし。もういい。フー・・・」
うつむき、声もない。
「フー、フー・・・よし!」
次の処置にとりかかる。
ノナキーは心筋梗塞と確認。
「研修医。カテーテル室の準備を!」
「ぼ、僕は違いますから」近くの消化器研修医が答えた。
「うちの同門はいるか?」
「(2人)はい・・・」覇気がない。
「カテーテル室、近くにあるので準備してこい。技師も捕まえて」
中堅の消化器医が、心臓マッサージにかかる。
「おい循環器!人手を勝手に向かわすな!」
「逃げるみたいなこと言うな!心筋梗塞の急性期だぞ!」
「こっちだって出血性ショックの処置で人手がいるんだ!」
だが、どうやらその患者は絶望的のようだ・・・。
シナジーは周囲を見回した。
「半数は病棟に上げれますね!こうなったらかまいません!連れて行きましょう!」
「看護部長が!」ノナキーがまた止めに入った。
「ええいもう!あなたは看護部長が死ねと言ったら死にますか!」
ノナキーは妙に戸惑った。
「う・・・いや」
「じゃ、行きますよ!行きましょう!」シナジーは1台ずつ、研修医らと搬送を開始した。
真珠会病院、事務室。雇われハッカーが頭をかきむしり、4台のパソコンの分割画面を切り替えまくる。
「おいおいおいおいおい!」
手元には携帯が数台。押しても押しても、つながらないものばかり。
「ちょっとおちょっとお!」
「山吹さん。株主様からの問い合・・」とヒラの女性事務員より子機。
「うるっせえってんだよお!」
「ひいっ!」
ハッカーの顔は青ざめ、動悸で心臓が飛び出しそうだった。
「どうなってんだあ?藤堂ナースも、長期も、大平もマーブルもみーんな・・・」
バン!とつく両手。
「どうしてじゃあ!」
「静かにお願いします」と横の足津。
「あっああ・・・どうも」
気を取り直し、また電話。
「藤堂隊長?隊長?バー・・いやいや、何してんの?様子はどうなってんのー?ねえ」
隊長はトレーラーの運転席にいた。
「・・・・スタッフらは、みな患者持って引き揚げたよ・・・」
<まだ働いてるスタッフがいたのか?>
「ああ。10人はまだいる」
<それでさーその。大平たちに連絡がいっこーにつかねーんだけど?>
「トロッコで走ってった」
「トロッコだぁ?」
ハッカーは目を丸くした。
「真田の医者は、みな倒したんだろな?」
<いや・・・>
隊長は無線を握った。
「あと1人、しぶといのがいる。たぶん娘が処理したと思う」
<隊長!大学の様子を見てこい!やつらの奮闘ぶりをな!>
「・・・・・」
<書類、持って行けと足津さんからの命令だ!>
隊長は、ダッシュボードのボックスから契約書類を出した。それと、取り付け用カメラ。何を思ってか、必然からか隊員用の服を脱ぐ。白シャツ+ダブダブズボンと化した。工事現場と変わらない。
「・・・・・」
医師が現場を放棄するとき用に、用意した。スタッフを人質に調印をもらい、これで委託を受ければ・・・実質的な業務がこちらの手に入る。
「すべては、株主のため、か・・・」
彼はしかし言い聞かせた。この長い人生、残ったものは娘と金しかない。
「気が進まないが、行くとするか・・・」
エンジンを切り、スタッと地面に降り立った。駐車場は荒涼としていて、気絶からやや起き上がりつつあるスタッフ、また壊れた物品などが散乱していた。
間後ろを青白く太い閃光がズビビッ!と素通り、そのまま大平の胸を貫通した。
「ぐぬぬぬぬ!」
ナースの持っているパッドの端のダイヤル数字が<MAX>となっている。
大平は顔を上下にガクンガクンと震わせ始め、両耳から煙を発した。
静寂の中、ドクン、ドクンという振動のみ。
藤堂はやっと我に帰り・・・スチャ、と腰にしまった。
「ちっ・・・あわよくば共倒れをと」
座って煙まみれの大平に近寄り、足でポンと蹴った。彼はそのまま転がり、蟻地獄のごとく床の穴へと吸い込まれていった。
藤堂は引き続き、ユウの突き破った壁の向こう・・いやその下方を見下ろした。暗闇で見えない。
「へえ・・・まさか心臓の裏に逃げ場とはね。盲点だった」
左パッドをいきなり取り出し、無造作にスイッチを押し始めた。
バリバリ!バリバリ!
下方の闇に、あちこち果てしなく突き刺さる。
彼女の興奮は、徐々におさまってきた。
「フウ・・・」
彼女はいったん目を閉じ、携帯をパカッと開けた。
何やら入力。
< 足津様へ 大平を予定通り処理 >
どういうわけか・・・そんな内容だ。
< ユウによる大学への支援を阻止の上、私事にあたらせて頂きます >
携帯をたたんだ。上下に裂けた板を、バリバリとさらに上下にはがす。
スー・・と深呼吸。プールに飛び込む格好で・・・
「てや!」
サッ、と暗闇に飛び込んだ。数秒、風を縦に切る。
「・・・なに?」
ポヨーン、と数メートルバウンドした際に気づいた。視界に入ったものが、彼女にとって非常に危険なものだったからだ。
「な、なにい?」
胃の中を模した部屋の出口・・・坂の上、トンネルからこっちを見ているユウ・・いや、見ていない。必死でゴシゴシ、円を描いている。円を書いている?
「やめ・・やめな!」
藤堂ナースはパッドをまた取り出し、ポヨーンとまたリバウンドした空中でイナズマを発した。当たりをつけていないため、青白い光はランダムにあちこち火花を立てる。
「やめっていうのに!バカ医者!」
バウンドが小さくなってきた。横になった態勢で、落ち着くのを待つ。しかしユウは円をトンネルに沿って・・・ほぼ1周、描き終えていた。
ユウはディバイダーを持った手を放し、思わずうなった。
「はああ!いてえ!いてえよ!」
描かれた円の部分、ミシミシと線が揺れ始め・・・そのトンネルがユウの手前で切り離された。
藤堂は起き上がったが、時すでに遅かった。
「ちょっと待て!」
「うるせえ!」
グググ・・・と、彼女の乗っかった<胃>は大きく傾いた。足がぬるっと滑る。倒れても手が取っかからない。
「ひぃ!ひぃ!」
ユウは、やがて垂直に傾く<胃>を見下ろした。
「・・・胃切除してやった。はあ」
「キャアァァァァ!」
とうとう、彼女が暗闇へと落ちていく声が聞こえた。
やっと静寂が・・と思ったが、<心臓>の音がガガグン、ガガグンと駆け足調に鳴っているのに気づいた。
「ギャロップか・・・心臓もお疲れのようで」
坂になった<十二指腸>を登りきる。呼吸がいっそう苦しくなっている。脱気をまたする必要が出てきた。
「あ~。どこまで続くんだろ。う!」
上半身が、いきなり急斜面へと落ち込んだ。
「しまった!うわあああ!」
全身が<腸管>に入り、そのまま滑り台のごとく滑り始めた。
「ぎゃああああ!」
目の前、スターゲイト状態でブウン、ブウンと円の連続。<小腸>はそれだけ長かった。
背中を引っ張られつつ大穴に入ると、サイコロのような部屋に入る。大穴が「1」の黒字にあたる。やや明るいが、正面は壁。
「ここで、監禁すんのか?」
「シッ!」また引っ張られる。
「よいしょっ・・」
「座るな!落ちる!」
「っと!」
確かに、床の中央部には先ほどの大穴程度の穴があり・・・下は暗黒で見えない。
「俺が今いるのは、心臓の右側か・・・」
向かいの壁、バアン、バアンと叩く音で揺れる。メキメキメキ・・・とバルサ板のような脆さで、こちらへ曲がってきた。
「そういうこと!たあ!」
やがて壁が2つに割れ、あとはバリバリと上下に分けられた。向こうの部屋が現れ、大平の狂ったような形相が飛び込んだ。
「あー!大動脈系から回ったからこれだー!ぺっぺっ!」
「・・・・・」
「おっ!ユウ!おいおいDC打つなよ!」
藤堂ナースが腰のパッドを見せた。大平はひとまず安心した。
「おっ・・やるねえ。な!ところでユウ!」
よほど困難な道中だったのか、彼はハイテンションだった。
「あと25分。ここでじっとしといてくれんかな?」
「するかいな。そんなん・・・」
大平は壁のスイッチを押した。
「よっと・・・これかな?」
押したとたん、床下からギギ・・ドクン、ドクンと大きな音が鳴り響いた。
「俺たちがいるのは、心臓のスケールモデルだ。前もって調べておいた」
「貴様ら・・・!」
「おいおい。穴に落ちたら心室に押しつぶされて、一巻の終わりだぞ?」
破れた壁の向こう、ユウは引っ張られ大平の両腕に・・後ろから巻かれた。
「ユウ。それ、右胸の針・・・俺の?」
「クソ!そうだよ!てめえ・・・」
「もう腕力もないみたいだな。でな!おい!」
いきなり小声になる。
「勘違いすんな俺は!あいつらの仲間じゃないから。基本的にはお前らの仲間だ。でもなシッ!聞けよ!」
「・・・・・」
「大学が主導権を渡せば、それで株主らに大金が転がり込むんだ!」
「かぶぬ・・」
「シッ!だからお前はここで休んでろ!お前だって大学は嫌いだったろ?」
「何をお前・・」
大平は平常心ではなかった。とりつかれたような目だ。
「聞いたところ、俺の女もやられた」
「それは事故・・」
「絶対に違う。大学の奴らのせいだ。俺を見捨てた事は許しても、彼女にまで」
「勘違い野郎が!」と力を入れるが、入らない。
大穴ぬすぐ向こう、藤堂ナースが赤外線ビームを放出。赤い光が、ユウら2人の周囲でうろつく。ドクン、ドクンと激しさを増す床下の振動。
大平は一瞬ためらったが、喋り続けた。
「ユウ。なぜお前ら民間の奴隷は怒らない?お前らが未だに団結しないせいで、上層部は好き勝手、地域の医療は崩壊した!」
「したか?」
「間もなくな!増えた女医を甘やかして医師数の絶対数減少を招き、残った者には自己責任という口実だ!」
「自己責任だと?それが不満なのか?」
ピュイイン・・・・と充電がみなぎる音。大平は戸惑った。
「おいナース藤堂!俺に今マーキングしただろ?標的を選び直せ!」
「・・・・・」彼女は無表情にパッドを向けている。
「俺をおい倒したら・・・大学スタッフへのとどめはどうする?」
「あたしがやるから、いい」
ユウは必死にもがいた。手を伸ばすが、スイッチにはほど遠い。
「医者やるとき!肝には銘じていただろ大平!」
「何を?くっ・・・」
「人間どこへ行ったって!試されるときが来る!」
「打つなよ!藤堂!」
「それを乗り越えるかどうかだよ!」
「藤堂!こいつも道連れだぞ!」
会話が成立しない中、ユウは右の壁を見た。
「はぁ、はぁ・・・大平。死ぬ前に教えてくれ」
「な、なんだ?」
「この塔の構造は、人体に忠実なんだよな?」
「工学部の学生が加わってるからな。おいおい、そんな話」
「ならよっしゃやあ!」エルボーで腹を蹴った。
「ぐわっ!」
ユウは大平を突き放した反動で思いっきりタックルし、柔い壁をバキッと突き破った。
「うおおおっ!」
砂利のような粉砕物をゆっくり踏みながら・・・出口をさぐる。暗闇ながら、目が慣れてきて明るい方へと自らを導く。景色の変化のある方向に。
「・・・・・あいつら。どっか消えたのか・・・」
伸ばした腕がやや曲がった。行き止まりのようだが・・・どうやら腕が入る。いや、かなり大きい穴・・・穴だ。斜め上に向かってポッカリ開いた穴。
「解剖からすると、肝臓内の静脈か?」
何本かあるうちの1本か。両腕を伸ばし、そのまま斜め上めがけて入る。片脚をかけ、もう1本。管の中に入った。
「すべらんように、登らないと・・・!」
管の壁は厚紙のようなもので、さらに補強がしてある。弾力がないのも、学生らの徹底した設計なのか。斜め45度、徐々に登る。出口の向こうは明らかに明るい。
「・・・・・」
管の外側、ヌッとユウの顔だけが現れた。周囲は、縦に走るより巨大な管の中。これまた管の内部、ポッカリ開いた穴がある。
「心臓への入口か・・・」
「行け」
後ろから突かれたと思ったら、知らない間に藤堂ナースのドラゴ頭だった。額のシワが逆への字複数。思いっきり上目遣いだった。
「あの穴に。入れ」
「わ!」両ポケットのDCパドルをむしり取られた。
「返してもらう!ったく・・・」
彼女は腰に当て、キュイイインと充電音。わずかに緑に光る。ユウは穴を出て飛び降りたかった。
「うう・・・」
「落ちたら死ぬぞ。どれくらいの高さかは、見当がつくだろう?」ナースは意地悪に背中をつかんでいた。
ユウは仕方なく、小さな踏み段を1段ずつ、心臓へと通じる穴の入口まで近づいた。藤堂ナースは背中を引っ張りつつ、携帯で何かを入力。
「・・・・・」
「あの・・・行ってもいい?」
「待て。あーオヤジ。あたし・・・そっちは?なに、まだ働いてるのがいる?」
大学病院のスタッフらの話だ。
「フンフン。重症患者に追われること・・・・5名?5名ね。ファイブ。時間の問題?マジかよ」忙しく電話を再入力。「大平!」
<なんだ?もう心臓か?>
「間もなくだ。残存スタッフはヘルプないまま限界に来ているようだ」
<俺の出番だな?>
「あと10分もすれば、くたばる。そのタイミングで」
<じゃ、早いとこ片付けようぞ!>
ユウはギクッとなった。何を片付けようという話なんだ・・・・?
藤堂ナースは携帯にメール入力。
「あとは、株主らに報告を、と・・・!さ、行くぞ!」今度は足で押しだした。
「てっ!」
ユウの顔が心臓入口に乗り上げられた。
ザッ、ザッ・・・と黒レザーの藤堂ナース、白衣の大平と一見ナイスカップルな男女が、人間型の塔の右真横にたどり着いた。近くで倒れた自転車のタイヤが虚しく空回っている。
そのタイヤに太い針がプス、と刺さり、空気が抜けていった。大平は伏し目がちに話した。
「株主の標的は、おそらく肝臓あたりだろう。隠れ家というのは、心理的に頂上でも入口でもないからな」
「・・・・・・もうあと、45分しかないよ?」
「俺は今・・・」
携帯をいじる。何やら送信した。
「全予算をつぎこんだ。これで、警察の世話になっても資産は守られる」
「他名義で?」
「俺の名義での株主が、実はごまんといるのさ」
「欲のタマネギでできてんのね。あんたは」
「なんとでも・・・」
彼はベルトの横、コップの蓋を開けて中にある注射針をジャラ、ジャラとストローでかき回した。
「言えよ。何事もオールオアナッシング。それがあるべき人生だ」
藤堂ナースは無言で裏へと回った。大平も・・・中へと入り込む。
ユウは、<類洞>と書かれた大きな部屋にいる。どんな広さなのか、彼にはつかめなかった。なにせ・・
「ここは、鏡だらけだからだ」
ドーン、と周囲は皆ユウだらけ。ユウが映った鏡が無限にある。ユウが右に出ると、大勢のユウが右に出る。まるで1列に並んだニワトリの群れだ。
「どこがおい・・・通路なんだいたっ!」
鏡に当たった。薄暗く、見通しも不明。
「そりゃ、肝臓の細胞はどれも同じだよ・・・だからといって。こりゃないぞ・・・ヒー」
また息苦しくなる。注射器で空気を引くが・・・カテラン針が皮膚を行き来して、常に痛い。
「ぷ!はーっ!はーっ!なんとかならんのかこれは!」
キィ・・・という音にぶったまげ、ユウは押し黙った。体の容積をなるべく小さめに。
(外側)「返せ。命がおしければね・・・」女の声。
(内側)「ユウ。彼女を怒らせない方がいい」大平。
女は入口、大平は奥深くにいる・・・。
(外側)「アンタが持ってても、猫に小判だよ」
(内側)「ユウ。彼女を責めてもどうしようもないぞ」
「どういう意味だ?」ユウの声がこだまする。
(内側)「ミタライは確かにつぐないを受け過ぎた。計算外のことだったんだ」
「ミタライ・・・やはりまたミタライか。俺の元コベンが、何だってんだ!何をした!」
(内側)「やはり大学医局は、情報を封じたか・・・」
「なに?」
(内側)「利用されたんだ。お前は。ユウ。大学の人間は、危機に瀕したミタライをすぐには助けにはいかなかった」
「危機だって・・・?分からん。何のことなのか」
ユウは髪の毛を思いっきりつかんだ。
「くそ・・・!」
遠くに移る他人の影。ユウは赤外線を当て、すかさず右手パッドのボタンを押した。
「人殺し!」
ズギャーン、と一条の青い光線が斜めに走った。ナイフで刻むように、稲妻は鏡を端から端まで破っていった。
(外側)「ギャアア!」
「・・・・・・・・・」
(外側)「なーんちゃって」
(内側)「もう、俺は知らないからな」
フッ、と静寂に戻った。ユウはまた反対側へとパッドを向けた。
「貴様ら!」
バリバリバリ!と常に興奮した破壊力で、周囲の鏡は粉砕されていく。
「何か言え!ちきしょう何か言え!」
この沈黙。この冷酷。何よりも耐えがたい<単調>だった。
そのタイヤに太い針がプス、と刺さり、空気が抜けていった。大平は伏し目がちに話した。
「株主の標的は、おそらく肝臓あたりだろう。隠れ家というのは、心理的に頂上でも入口でもないからな」
「・・・・・・もうあと、45分しかないよ?」
「俺は今・・・」
携帯をいじる。何やら送信した。
「全予算をつぎこんだ。これで、警察の世話になっても資産は守られる」
「他名義で?」
「俺の名義での株主が、実はごまんといるのさ」
「欲のタマネギでできてんのね。あんたは」
「なんとでも・・・」
彼はベルトの横、コップの蓋を開けて中にある注射針をジャラ、ジャラとストローでかき回した。
「言えよ。何事もオールオアナッシング。それがあるべき人生だ」
藤堂ナースは無言で裏へと回った。大平も・・・中へと入り込む。
ユウは、<類洞>と書かれた大きな部屋にいる。どんな広さなのか、彼にはつかめなかった。なにせ・・
「ここは、鏡だらけだからだ」
ドーン、と周囲は皆ユウだらけ。ユウが映った鏡が無限にある。ユウが右に出ると、大勢のユウが右に出る。まるで1列に並んだニワトリの群れだ。
「どこがおい・・・通路なんだいたっ!」
鏡に当たった。薄暗く、見通しも不明。
「そりゃ、肝臓の細胞はどれも同じだよ・・・だからといって。こりゃないぞ・・・ヒー」
また息苦しくなる。注射器で空気を引くが・・・カテラン針が皮膚を行き来して、常に痛い。
「ぷ!はーっ!はーっ!なんとかならんのかこれは!」
キィ・・・という音にぶったまげ、ユウは押し黙った。体の容積をなるべく小さめに。
(外側)「返せ。命がおしければね・・・」女の声。
(内側)「ユウ。彼女を怒らせない方がいい」大平。
女は入口、大平は奥深くにいる・・・。
(外側)「アンタが持ってても、猫に小判だよ」
(内側)「ユウ。彼女を責めてもどうしようもないぞ」
「どういう意味だ?」ユウの声がこだまする。
(内側)「ミタライは確かにつぐないを受け過ぎた。計算外のことだったんだ」
「ミタライ・・・やはりまたミタライか。俺の元コベンが、何だってんだ!何をした!」
(内側)「やはり大学医局は、情報を封じたか・・・」
「なに?」
(内側)「利用されたんだ。お前は。ユウ。大学の人間は、危機に瀕したミタライをすぐには助けにはいかなかった」
「危機だって・・・?分からん。何のことなのか」
ユウは髪の毛を思いっきりつかんだ。
「くそ・・・!」
遠くに移る他人の影。ユウは赤外線を当て、すかさず右手パッドのボタンを押した。
「人殺し!」
ズギャーン、と一条の青い光線が斜めに走った。ナイフで刻むように、稲妻は鏡を端から端まで破っていった。
(外側)「ギャアア!」
「・・・・・・・・・」
(外側)「なーんちゃって」
(内側)「もう、俺は知らないからな」
フッ、と静寂に戻った。ユウはまた反対側へとパッドを向けた。
「貴様ら!」
バリバリバリ!と常に興奮した破壊力で、周囲の鏡は粉砕されていく。
「何か言え!ちきしょう何か言え!」
この沈黙。この冷酷。何よりも耐えがたい<単調>だった。