80

2009年6月29日 連載

 田中とユウは互いに頭を上下させ、見失いそうなバイクを追う。車列は相変わらず両側へと。電光掲示に渋滞の距離変更。

 ユウはナビを指でたどった。
「このまま行けば、生駒山の坂を登ることになるぞ?」
「急カーブにさしかかりますか・・・」

 パコン!という音とともに、ボンネットが凹んだ。時差なく左のミラーが吹っ飛んだ。ユウは両目をつぶった。
「いたっ!」
「どうしまし?」田中が左を向いたところ、今度は天井がパアン!と小さく凹んだ。

 ユウは両手の下に隠れた。
「地震だ!地震だ!」
「ハンドルが!」あちこち、舵を取られる。

 バアン!と後ろのガラスが破裂し、固く分厚い粒が飛んできた。チクチクと首の方に飛んだが、妙に冷感を伴うものだった。

 突然、音響が大きくなる。サイレンも騒音に。

 田中はとうとう、コントロールを失った。
「うわああ!ぶつかるぶつかる!」

 何とか車の列を避け、左の街路樹に突っ込み芝生に乗り上げた。

ユウは、首の周辺のガラスを両手で払った。
「これ何だ。ガラスか。いてて・・・」両手に血が点在する。
「大丈夫・・じゃないですね・・・たた」田中の首の後ろにも血が少量。
「何だ・・・何が飛んできたんだ」

左のミラーは欠失しており、跡形もない。

 デッキの男は何のためらいもなく、弾を装填。瞬時に肩に構えた。道路から指さす通行人には目もくれず。

「出てこい。出てこい・・・」

 足津は次の指示を出している最中。

「株主の上甲さん。モニターは見られてますか?」
<ああ>

 上甲という中年は、赤いスポーツカーで現地に向かっていた。

「現金の振り込みは?」
<仕事が完了してからです>
「そおれにしても運がいいな俺は。あんたも。こんなチャンスが偶然、手に入るとはな」

 アクセルを思いっきり踏み、レッドゾーン一杯に叩き込む。

 それも知らず、デッキの男は余裕で照準をドクターカーの助手席へ。
「退屈だな・・・そうか。なら。これをお見舞いしてやる」

 特注の<散弾式>。かなり重い銃身を、今度は台によいしょと立て掛ける。ネジを回す。方位を決定。大砲とおぼしき黒い銃身は、光さえも受け付けないほどひたすら黒い。

「足津さん。有能な弁護士、お願いしますよ」

 引き金でなくリモコンに手をかけ、いつでも発射できる体制。ディスプレイの照準。素人でも打てる仕様だ。

 田中はミラーを見て、悟った。
「あっ!撃たれる!」
「ひっ!」ユウは思わずしゃがんだ。

 思いっきりアクセルを踏み込み、ドクターカーは右へ急にカーブした。するとゴオオ!と爆音が車列の間から現れた。何かが来る。危険。察知した。

「ユウ先生!当たったらすみません!」
 急発進し、ドクターカーの最後尾に<何か>が勢いよくぶつかった。と、後部の一部つまりバンパーがもっていかれ、赤い物体の後部が穴だらけに粉砕された。一瞬でケリがついた。

 デッキの男は顔をしかめた。

「オーマイ・・・」

 ドクターカーはよろよろと、それでもすぐに加速を再開した。







 




79

2009年6月29日 連載

 松田クリニックでは、院長がモニターで観戦中。

「やるな、あいつら・・・!」昼休みをかなり前倒しし、ソファで鑑賞中。

「そうやってまあ頑張ってろ。うちにはな、もうすぐ数十人という患者が運ばれてくるんだ。そうなればノルマは達成だ!」

 気分が高揚し、テレビ電話。
「足津さんに、つなげ」

<ご用でしょうか>横向きだ。
「足津さん。こっちだよこっち!」

<今は別件です>
「藤堂ナースは、かなりのやり手ですぜ?あとは時間の問題でしょうが?」
<そうでもありません>
「え?」

<怪しい車両が、どうもあとをつけているようです>
「まさか?」

足津は、やっと松田院長のほうを振り返った。

<あなた、そんなことも知らないんですか?>


 バイクにはすでに連絡が入り、藤堂ナースはジグザグ走行を開始した。車線を次々と変更していく。

「田中くん。ほら!気付かれたじゃないか!」ユウはベルトを締め直した。
「では仕方ない!」サイレンを鳴らす。一気に活気づく。

 一斉に、前方の列が両側に拡がりだした。それはまた、藤堂ナースらの道を作ることにもなるのだが・・・。

 シナジーは事務室で、ある程度のルートをしぼろうとしていた。
「袋小路の多い道に入っていく!でもあ!出てきた!」
 定まらない。

 田中くんは、路地には入ろうとしない。
「僕はこれでも地元民です!そこらの路地は行き止まり!入っても出る運命です!」
「さすがだな!地元民は!」ユウは複雑だった。

 足津はソファから身を乗り出し、右手で携帯を押した。
「株主の、和田様・・・・・画像は見ておられますか?」
<ああ>

 ごく普通の家、デッキで銃を組み立てる姿。正確にはエアガン。窓を通しての屋内には、数々の優勝トロフィー。

 淡々と広いデッキで組み立て・・・銃身を縦に。禿げた頭に昔の栄光はないようだが、眼力と欲望ははるか向こうを見つめる。

「こちらはいつでも準備オッケー」

 カチャン!と試し打ちの構え。照準で、前方の道路を右へ右へと追い詰める。

「サイレンが見えてきた。あれだな・・・」
<報酬はメールの通りで?>
「ああ」

 片目を閉じる。彼の人生はいろいろとやりすぎ、もう金への独占欲しか残っていなかった。すべて手にしたはずが、いつの間にかそれ以上を失った。彼は結論を出した。自分の欲望を邪魔する者を排除する。その正義のためなら・・・

「俺は、何でもやる・・・」

 バイクがけたたましく吠えてくるのが分かる。やがて左の耳を通り過ぎる。初老の男の能力はピークを持続した。

「カモーン、カモーン・・・」













78

2009年6月29日 連載

 横断歩道を隔てて、向かい合う2つの病院。静かなのは、互いの信号が赤だから。それもすぐ、青になる。

 バコーン!と生け垣の上半分がなぎ倒され、タイヤが宙でクルクル回り・・・着地した。

「イーハー!」運転手の藤堂ナースではなく・・後ろの外人だ。ヒッピーのような格好。藤堂ナースはゴーグルを深くかぶった。

 そのあとわずかに時差をつけ、田中とユウの乗るドクターカーが飛び出した。勢い余り、ガタンとバンパーが前面に火花を散らす。

「田中くん!そっちじゃない反対だ!」
「おっとそうだった!」急いで切り返す。
「大丈夫かな・・・」
「見失わなきゃ、いいんでしょ!」

 サイレンを鳴らせば気付かれるため、追跡は控え目で行くことに。

「だったらこの車じゃあ、余計目立つだろうよ・・」ユウは助手席で指摘した。
「塗装は変更してます!」

 事務室では、コールセンター並みの回線混雑。事務員らがワン切りのごとくかけまくる。
「失礼しました!」「そちらで、患者さんの受け入れ希望などは?失礼しました!」

 シナジーはパソコンで、ユウらの行方を見守る。GPSの表示が頼りだ。
「こうやって標的の病院を探しても、気休めにすぎんか・・・!」

 パッと横を見ると、ガラス窓ごしに次々と医師らが滑走台を降りていく。3人が今しがた滑り下り、さらに後ろ足で砂を蹴った。

 トシ坊はじめ3人が出て、視界を埋め尽くす救急車が出現。
「重症と思ったらまずそこから!」
 早速、トシ坊は背中のチューブをシャキーン!と抜き肩のパッドにひっつけた。肩のパッドは大きめだが、とりあえず準備物を置くのに便利だ。

 ザッキーは救急車の間を自転車であちこち走り、重症を1人とりかかる。眼科医は比較的軽症を。でも数をこなすよう努める。ピートは・・・検査と決めたのか、2人同時に運んで行く。

 最初に滑走した大平と、女医が蘇生中。大平は汗をぬぐう。
「これは・・ダメかもしれないな!」
「でも!」女医はパッドを構えた。
「おおっと!」大平は離れた。
「やってみないと!」

 ズバン!と高齢男性が浮いた。脈は・・

「そうだな!」触れる。一時的か・・・。
大平は近くのベッドを足で受け止めた。
「こっちは腹痛!押したら?」
「痛いってのに!」
「検査だ!桜田!」

桜田は、再び心停止の患者に再びDCを準備。
「ああ!もう1回!これしてから!」
「あとは俺が1人でやる!検査に連れてけ!あと1人もだ!」

大平はベッドにくっつけたメモに内容を記した。
「早く!運んだら戻ってこい!」
「ナースを来させたら!」ドスン!と試みるが・・戻らず。
「桜田・・・」

そのナースらは、びびってしまって玄関前でオドオドしている。

眼科医が別の2台を引っ張ってきた。軽症と分かり、ナースらは緊張が少し取れる。
「ブヒブヒ!」
運んで行く。眼科医は戻る。

 ピートは腰につけたモニターで、不整脈を確認。
「トシ坊!この不整脈を頼む!」
「はいっ!ザッキーは?」携帯をかける。「病院より向かって外側前方!」

 キイイ!と車輪のスリップ音。ザッキーのオバサン自転車が飛び越えてきた。
「すぐそこです!」
「DC!300ジュール!300!」
「離れて!」トシ坊離れ、ピート・トシ坊かわす。パン!と火花の音。

 桜田は、いっこうに戻らない蘇生をずっと続けていた。大平は次の重症にすでにとりかかっている。

「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
 尋常でないような表情で、彼女は両手をもう1回クロスさせた。ゼリーの上で滑る両手の上に、大粒の汗。

 照りつける太陽。













77

2009年6月25日 連載
 朝7時。テンションがいったん下がり、うつろとしそうになったその矢先だ。

<救急搬送!来ます!>
 アナウンスだ。

 地下エレベーター付近、トシ坊が物品整理を終わってドクターカー後ろを出る。

「呼び出し順では僕だ。ザッキーはあとを頼む」
「はいよ」
「呼吸器は3台。残りはトレーラーが追いかける。なるべくはそこの病院の呼吸器をそのまま借りればいい」
「ですね」

 トシ坊はダッシュし、地下エレベーター・・でなく、離れていくつか並ぶ小さなエレベーターへ。イスがあり、座る。

 滑走台の上、同型のイスにすでに人が座っている。大平が張り切っている。

「眠らなくてもいけるぜ。たとえ48時間でも。100時間でもな!」
 真横のイス、桜田が上目づかいに見る。恋をしている目だ。オークナースらは女だけに、気づいていた。

「ユウらの時代は、もう古いってことを教えてやるよ!」

 桜田の向こう、トシ坊の椅子がせり上がった。
「人の陰口は、良くないんじゃないんですか?」

「陰じゃないぞ!」
 大平の椅子が前傾した。ピーポー音がこだまする。

<大平先生。転倒に注意してください>田中が警告。

「早く!落とせってんだよ!」
 イスのベルトがいきなり解除され、滑り台に落とされた。
「ととっ!ぬぬぬぬぬ!」

 スキーヤーの格好で、彼はスイーッと走り始めた。

<救急車は3台。通常の救急。いずれも腹痛の集団発生。桜田先生お願いします>

 桜田の汗が落ちると同時、ベルトが外れた。
「たっ!」
 彼女は左足を前に右足を後ろに、ぎこちないポーズで。

 日系人のピートが、大平の座ってた椅子に腰掛け。

「もう1波、くるぜ」

<内容不明の救急搬送。6台が接近中・・・>

「ほらな」
「いかにも」ひょろっとして頼りない眼科医(修業中)が、女医のいた椅子に着席。

<訂正します。訂正。10・・・12台!>

「おいでなすった!」
ピートは読んでいた本を振り払った。
「ユウ!あとは頼んだぞ!」

 大平と桜田が玄関前を走る中、残り3人とも滑走を開始した。

 正面の松田クリニック、玄関横に待機する大型バイク。近未来的なデザインのものが支給された。メンテナンス終了次第、発進予定。

 ユウの乗るドクターカーもエンジンがかけられ、地下から地上へ向かうシャッターがゆっくりオープンしていく。運転手の田中は後部座席を振り返った。

「レディ?」
「ファースト・・・」

 存続をかけた、対決の時が迫っていた・・・。


 

 

76

2009年6月25日 連載

 ユウは揺り動かされた。テントの外に出るとまだ真夜中のようだが・・・

 田中だけでなく、シナジーも薄着で立っている。大平も来ている。

「もうすぐ夜明けだ!ユウ!」大平が仕切っている。そういう男だと雑誌で読んだが。
「何かあったのか?」
「田中に礼を言わなきゃいかんぞ!」
「えっ?ああ、ありがとう」
「理由を聞かないのか?」

 田中は先ほどの音声の内容を伝えた。

「つまり、今日の午前中・・・朝一番っていうのがいつかは知りませんが。とある病院まで女医が直接出かけるそうなんです」
「病院へ?受診しに行くのか?」
「おい!真面目に聞け!」大平が怒った。
「すまへん・・」

トシ坊が隅に座っている。
「その病院がどこか分かれば、僕らも一足先に駆け付けたいところですね」
「患者を他院に紹介でなく、むしろ手放すことになる状況といえば・・・」

 シナジーは考えた。
「倒産しそうな、ブラックリスト病院のチェックを!」

 朝5時だが、活気がみなぎった。大平は白板に計画を立て始めた。

「まず、松田クリニックからの車庫の出入れを確認!事務員2名!」
「朝からうるせえな、お前・・・」ユウは頭をかいた。

 トン、と大平はステップした。
「<お前>はやめてください!」

 腰からジュースを取り出しストローで吸い・・・

「ブーッ!」
「うわあああ!」
「目が覚めたろ?」

 ユウの見えないところで、桜田がせせら笑った。嘲笑ではない。

 大平は次々と指令を出した。
「地下にあるトレーラーを時間差で出発させて!おいおいガソリンは満タンなんだろな?」

 トシ坊はザッキーの肩をたたいた。
「僕たちは、物品を用意しよう」
「イエッサー!」
 2人、物品倉庫へと向かう。

 ユウは、すんなりいく計画とは予感しなかった。

「でも、ついていくのなら・・・良くても同時到着じゃないのか?うちには優位にならないぞ?」
「大丈夫」シナジーは笑顔だった。
「なに?」
「交渉は任せてください。信用度は当院のほうが上です」
「松田クリニックが空床にしたのに、入院が入らないとなると・・・そうか。あいつら困るな」

 ユウは今さらのように納得した。

「よし!で!誰が行く?」

 みな静まった。どうやら皆の目線は・・・

「お・・・おれ?」


75

2009年6月25日 連載

 真夜中。事務室では田中と・・・ムンテラを0時に終えたユウが白衣のままテントの中で眠っている。省エネ対策のため、明かりはパソコンのディスプレイのみ。

 向かいの松田クリニックは依然として輝いている。

「・・・む!これは!」

 田中はマウスを動かし、ちょっと前の時間の音声記録。

<俺ってラッキー!>院長の声。
<乾杯ですね>あの女の声。

<早速、行動開始や!>
<出発は午後?>
<他の病院に知れたらどうすんねん。朝一や!アサイチ!>

 何の話をしてるんだ・・・・。

<院長。明日の午前診を休まれては困ります>
<でもやな。こいこいこい>
<あっ。ちょっと。ダメ。ダメだから>

 何をしているんだ・・・?

<ええやないけ!ええやないけ!>
<明日。明日だったら・・>
<えっ?ホンマ?>院長は弾んだ調子。
<明日、ひと仕事終わったら、ね・・・>

 田中はイライラし始めた。
「院長の奴・・・!」
 うらやましいと言ってしまえば、男として負けだった。

<なので、明日はあたしが行きますね>藤堂ナースは会話でリードしてきた。
<そっか?いけるか?>
<現場で直接交渉なら、相手の信用も得られます>
<へへ。じゃ、よろしく頼むで>
<当院のベッド。空けといてください>
<慢性期っぽいのは全部転院や。カラにして待ってるで!>

 どうやら・・どこかの病院から、患者を調達してくる話らしい。

 院長はしつこく迫る。

<なあなあ、そしたらええんやな。ええんやな?>
<ええ>
<よしゃあ!>

 田中はどこか、鬱になった。



74

2009年6月25日 連載

 ユウはふたたび事務室に入った。

「おい田中くん!今の、大平のアイデアなんだって?」
「ええ!」

 画面のようなものがパソコンに浮上した。動画ソフトの再生のようだ。

「でもユウ先生。オフレコですよ!」
 田中はボタンをクリックし、再生を待った。

 だが・・・画面はいっこうに映らない。

「田中くん。何も映ってないけど」
「ああ、音だけです」
「隠しマイクか?」
「ビデオのような予算はとても・・・」

 音声もノイズが多く、田中は音声をギリギリ一杯にまで上げた。

<ジジジジ・・・・・・シャ、シャ・・・シュ>

 ユウは田中の後ろからのぞきこんだ。
「目には目を、か。さすが大平。僻地で頑張っただけはある!」
「皮肉ですか?」
「・・・・・・」
「事務室内スピーカーに、つなぎますね!」

 そのとき、

<ワン!ブー!>

「(一同)うわああああっ!」みな、のけぞった。

どうやら犬の鳴き声と、その・・・

「オナラか?」ユウは指摘したが、周囲が「シー!」と促した。
「(一同)・・・・・」

<トン・・・トン・・・ドサッ・・・・あ~!疲れたぁ・・・>

 女の声だ。

 ザッキーが興奮した。
「この声!ねえこの声!」
「うるさいぞザッキー!」ユウは張り上げた。
「あの声ですよあの声!」
「るせえ!」
「僕が胸をつかんだ、あの女ですよ!」

 周囲がギクリと固まった。

「あ。いや。そうじゃなくて」ザッキーはうろたえた。
「知ってる。僻地にいた不審者だろ?」ユウは答えた。
「そう、そいつの声ですって。なんでここに・・・?」
「さあ」
「さあって・・・」

 女医が耳を澄ましていた。目を閉じている。

「だとしたら、ファンドの部隊員かもしれません」
「えっ?」シナジーは眼を丸くした。
「手から電気を出すのが得意技とか」

シナジー、ザッキー、ユウ、田中は目を合わせた。

「(4人)あのときの奴だ・・・!」

ユウはザッキーに問いかけた。

「ザッキー。他に何か特徴はなかったか?」
「胸がDカップくらいってことしか」
「おい!真剣に聞いてんだぞ!」

さらにミチル師長が入ってきた。
「お前ら患者さんもろくに診ずに、ここで何がDカップや!」

田中はパソコンソフトを閉じ、音声は終了した。ユウはミチルに首をつかまれた。

「今日は患者さんの家族が、はるばる静岡からお越しや!」
「き、今日はいないと言ってくれよ!」
「あと3時間したら着くから、それまで回診しときいや!」
「うわあああっ!」

師長とユウは消えた。田中はイヤホンで聞いていくことに。

大平は、近くに立っている女医を気遣った。

「しんどい?」
「いえ・・大丈夫です」
「ユウに、かなり言われてんだろ?トロいとか」腰のペットボトルにストローを通す。
「はいでも・・・大丈夫です!」

大平は飲んだ後、一息ついた。

「俺は絶対に、ここの病院を仕切ってみせる」
「はい・・・」
「それくらい背負うつもりで!頑張るんだよ!」

彼女の肩を叩いた。

「大平さんは・・・どうしていつも前向きなんですか」
心臓が張り裂けそうなほど、やっと言葉が出た。

「えー?俺かー?照れるなー!」
「どこからそういう力が出るのかうらやましくって・・・あっ!決して変な意味じゃ!」
「こう見えても、腹の中では何考えてんのか」
「・・・・・」
「骨盤部のCT取ったら、けっこう黒いかもしれないよ。こいつはやっぱり腹黒いってね。あっはは!」

桜田は照れて、うつむいた。

「あたしはここで、空気のような存在になってる。それでも誰かに・・誰かに気にされてたい・・・」


 




73

2009年6月25日 連載

 仕事が終わり、ユウはいつものように事務室に寄った。冷やかし目的だ。事務員らはレセプト業務に追われている。ドクターらの汚い字とパソコンとを交互に睨む日々が、1週間続く。

「もう終わったか?」ユウは空いている椅子に腰かけた。
「今日でまあ、なんとか」田中君はパソコンに向かっていた。
「なんか、情報はないか?」
「ないですねえ・・・」

 シナジーは書類をまとめにかかった。

「もう帰るんですか?先生!」
「帰らせてくれ・・・今日はもう。しんどい」
「目標人数、入院させてない!」

 ノルマが書かれた手帳を見て、シナジーはまた現実に困った。
「入院患者が足りないんですよ・・・」
「そんなこといったって、調子悪い人を入院さすわけにもいかんだろ?」
「糖尿病の療養目的とか、確認造影とかあるでしょうに・・・ぶつぶつ」

 滑り台の下から、声が聞こえる。シナジーは駆け付けた。

「あ?大平先生?」
「おーい!犬が入ってきたぞ!」

 例の新任ドクターが、チワワを抱えてなでている。

「ここの犬か?」
「先生!それは相手の偵察機です!もとに戻してください!」
「ここで飼ったらダメか?」
「ダメダメ!絶対に!ダ!メ!」

 人だかりが増えてきた。シナジーは犬の首輪を指さす。

「ここに、精巧なビデオカメラがありまして・・」
「鈴かと思ったら・・へぇ」

 勝気な大平は、離さない。

「じゃ、俺たちの会話も奴らが聞いてるってこと?これで?」
「はいはいはい。外でとにかく」
「へー・・・」

 近く、腰に両手を当てている師長が巡回している。
「ユウはどこ行ったんや!なあどこへ消えたんや!」
 ミチルのこれは、いつものことだ。
「まだ申し送ることが千ほどあるんや!ガーッ!」

 見届けたあと、大平は首輪を軽くつかんだ。

「おい聞こえるか!松田クリニックの院長さんよ!」
「あわわ!」
 シナジーは奪い取ろうとするが、かわされる。

「ここの事務長が、さっさと決着つけろってよ!それとも決め手がないのか?え?俺は世界医師会の大平だ!」
「せかいいしかい・・・ヒー!」

 シナジーは気分が悪くなり、そこへうずくまった。大平は手を放し、犬は走り去った。

 陽気な表情をしていたのは、補佐の田中だけだった。ユウが後ろに立って耳打ちした。
「田中。犬の首輪に、何かひっかけたか?」
「ええ」
「?」

 何か、ワッペンのようなものを。田中は自慢げに、皆と階段を登った。シナジーは2人に抱えられていた。

「あの先生。やばい、やばいよ~・・・田中」
「いえ。ケガの巧妙ということも」
「ケガというより、致命傷だろうが!」

 田中は事務室に入り、パソコンソフトを起動した。

「まあ、見ていてください・・・!」




 

72

2009年6月24日 連載

ユウと品川、その後ろに新入りの大平。ユウは煙が薄くなるのを待った。

「シナジー。この助っ人なら大丈夫だよ」

 さらに後ろに立っていた女医の表情が陰った。
「・・・・・」

 シナジーは頭を抱えた。

「買い取るとは言うものの。ファンドというのはあれですよ。買い取ったあとは、病院を潰そうがどうしようが勝手ですから」
「病院のことなんか分からん集団だろ?」

「いや、彼らは調べつくしてますよ」彼は周囲をキョロキョロ見まわした。
「犬なら、いないよ」ユウはスタッフらと1人ずつ握手した。

<この前はすまん。だからチャラな>という意味も含んでいた。病院では常に人と人がぶつかり潤滑油が必要だが・・・そんな便利なものはない。次の機会が犠牲にならぬよう、数々のわだかまりをリセットしていく必要がある。曇った人間関係はこうして早めにチャラにしていく。

 こうして何とか、仕事への悪影響は回避できていた。

 一方の大平は、あちらのほうで士気を高めようとしていた。

「大平!わたしは世界の大平です!これからは俺が来たから!もう安心だから!みんな頑張ろうな!」

 大平は背負った小包を、地面で拡げた。

「これ、勤めてた僻地から届いた食糧。みんなで食べてくれ!」

「(オーク一同)グオオオオオオオ!」
「なにやっ?うわあっ!」

大平の姿がオークらの間に吸いこまれ、消えては隠れた。

「うわああ!踏むな踏むな!感謝の念はないのか!いてえ!」

ユウは遠くから見ていた。

「うちは、ちょっと違うよ。よそとは・・・」

女医は少し微笑んだが、それもすぐかき消された。

みな、持ち場に戻る。




71

2009年6月24日 連載
真田病院の駐車場では、シナジーが演説中。

「皆さん、ご覧のとおり。正面にそびえ立つは、医師会の反対をも押し切って進出した巨大なクリニック。往診関係でかつて当院とつきあいのあった先生が・・・正直ショックを隠しきれません」

オークナースらがそわそわと大勢立っている。

「ま、嘆いてもしょうがありません。当院の収益はここ1ヵ月でかなり落ち込んでいますし、挽回をはからないと。リストラが新たに発表され私も正直心苦しい。しかし小泉政権同様、痛みを伴う改革は必要です」

(無言。冷たい視線)

「ですがこちらも黙ってはいません。女医の桜田先生の他にもう1名の助っ人が新任で入ってくれまして。まだお目見えには・・・おかしいな。ここは心機一転をはかろうと・・・?」

 シナジーの言葉が詰まったのは、何もユウ・大平が向こうからやってきた、つまり遅刻してきたことではなかった。

 いきなり乗り付けてきた、黒い救急車だ。サイレンは回ってない。

「あの・・・・・」エンジンが止まる。

 いきなりヤクザ風の大男が降りてきた。以前、トシ坊のケツを棒でねじった男だ。トシ坊は反射的に尻を隠した。その顔はどこか赤かった。

「(一同)うわあああ!」
「・・・・・・・」サングラスの向こうは見えない。

 続いて降りて来たのは、例の会長だった。

「品川!」
「はい?」
「・・・・・・こりゃ、ちょうどいい。はっは!」

 みな、ざわめきが起こった。

「怖がるな。助言に来た。私はもう、真珠会のオーナーではない」

詳細は違う。自らファンドに譲り、株主になった。

会長はマイクなしでも、声が通っていた。

「コンスタントに収益をあげていたとはいえ、となりのたかがクリニックに押されて利益が落ち込むとはなぁ」

大平は片手にさきほどのジュースをまだ持っていた。

「ユウ。大丈夫なのかここは?俺まだ来たばかりだぞ・・・?」
「借金でもせびりに来たのかな・・・?」

もとオーナーは主題に入った。

「当院、真珠会は本年度より、海外資本と手を組むことになった。ほれそこ、拍手してどうする。その海外ファンドの助言により、数々の病院を買い取ることに決めた!」

品川は腕組みした。

「足津のスポークスマンが・・・!」

会長は続けた。

「だが、貴院はもともとこちらとの付き合いがあるだけに、こちらとしても手荒なまねはしたくない」

トシ坊を棒でつついた大男が、拡声器を渡す。

<2週間以内に、ここを明け渡すことを勧める!その間、諸君らは次の職場に身を固めろ!その後は、当院のスタッフがここに結集することになる!・・・お前らの居場所はない>

 松田クリニックのノルマ達成期限も、あと2週間。どうやら何か最後のイベントが起きそうな予感。

 会長はすでに車。大男も片足突っ込んだ。

<あるいは激安の月給ででも、ここで骨埋めるか選べ!>

 ブウ~と、車は走り去った。


70

2009年6月24日 連載

 2週間後。

 松田クリニックは大盛況だった。患者の口コミ効果は絶大だった。会計がなぜか安いし、手続きも早い。イケメン外国人ぞろいのリハビリ室というのも効果があった。ポイントが高いほど優遇されるのも画期的だった。これら人件費、PRもすべてファンドに頼るところが大きかった。

「と~ど~ちゃん!」院長は意味もなく、藤堂ナースの名を叫んだ。

「はい」
「横の2診、シローちゃんとこ患者増えてない?」
「見てきます」

意図的なのか、下着が透けて見える白衣だ。院長が血眼で追う。

しばらくして戻ってきた。
「ここより10冊増えてます」
「そっか・・・増えてきたな」
「嫌がらせしましょうか?いつものように」
「いや・・・やるな。あいつ」

 藤堂はなぜか、気を良くしていた。待ちに待った<機会>が近づいてきたからなのか。とにかくここでの仕事はどうでもよくなった。命令である<シロー>の評価も終わったし、<次の作業>が終わればおさらばだ。

 老師長はつまらなさそうにシローの介助についていた。立場は逆転、シローに有利だった。外来がいったん終わり病棟、すぐにまた外来その繰り返し。

 そうこうするうち、病院が次第に彼のペースと化していた。これはユウのやり方なのだが・・・<最初>と<最後>をおさえること。たとえば月曜日の早朝の時点で情報をすでに一手に集め、総合的な検査もここで再評価。週末にはすべての情報をまとめ、スタッフ居残りの最後の最後まで帰らない。有力な情報が見つかることがあるためだ。

 そうすると自分のペースで物事が進み、誰も文句を言わなくなる。ただしユウは1人でこれをするのを嫌い、トシ坊との1日1日隔日体制でやっていた。

 松田院長もいつしか、彼のそんな姿を認めるようになっていた。売上も好調。これで入院患者が爆発的に増えれば、ノルマは達成できる。

「松田院長。昼休みに銀行に行きたいのですが」シローが願い出る。
「う?う。ああ」


近くのATMで、シローは入金を確認していた。

「・・・・入ってる。よかった・・・」
いつものように、妻への振込み。給与の大半がそこへいく。

「おい」
「うわ?」

ユウが立っていた。

「この客遅いな~と思ったら。お前かよ?」
「先輩・・・この前は、どうも」
「どうもじゃねえよ。5分くらいはあるだろ。来い!」

近くのファーストフード店。

「シロー。さっきからずっと黙ったままだな・・・」
「・・・・・・・」
「いや俺が聞きたいのはな。なにかこう、ホントはお前何か伝えたいことがあったんじゃないかって」
「・・・・・・・」
「こっちも、いろいろと考えるんだよ」
「・・・・・・・」
「ズバリ聞くが。あいつらに弱みを握られてるのか?」
「・・・・・・・」

遠くから、ストローをくわえたままの長身男が近づいた。

「ユウ先生?ですよね?」
「えっ?そうだけど?おたくは?」

体格のいい山嵐のような男はぶっきらぼうに、ガタンと横に座った。

「面接!」
「あ、その関係な」

シローは不思議がった。

「シロー。これはオフレコでな。このドクターは、今後うちで勤務する、大平くんだ。医師会が回してくれた。女医だけでは仕事が回らん」
「・・・どうも。松田クリニックの」

大平はストローをくわえたまま、そっぽを向いた。
「アンタ。とんでもない医者なんだってな」

 ユウは慌てた。

「やめろ大平!シローがそりゃ戻ってくれれば俺たちは嬉しいが、失くした人手の問題はそうはいかん。なので医師会にお願いして、使えそうな人材を補充させてもらった。救急も当直も、何でもござれだよな?」

シローは顔で何か思い出した。

「あっ。あなたは・・・たしか、医療の番組で・・・ドキュメントの?」
「そ!あったり!ハッタリじゃないで」大平の笑顔がはじけた。
「実質1人で僻地の病院を引き取って、3年ももたせたという!」

 その医師は本まで書いていた。医療の現場を描いてきたが、ある日突然出版しなくなった。

 ユウはゴミを捨て、戻ってきた。

「ま、3年でポシャッたわけだが」
「るせえな!あれは自治体が!」大平は眉をしかめた。
「でもよくやったよ。大阪の医師会は、その根性を買ってるらしい」
「僻地は難しいんだよ!」
「それは俺たちも知ってる」

大平は好戦的に身を乗り出した。飲み物を持って離さない。腰にそれ用のトレイまである。

「ああ、これか?実は糖を補給してないと、もたない体なんだよな」
「インスリノーマ?膵臓に腫瘍が?」シローが聞いた。
「代謝関係。小さい時からでな。それが医者になった理由だがな」
「そうですか・・・」

3人はジョジョジョ・・・と残りを飲み干した。

ユウはいきなり立ち上がった。

「大平。土曜日だよな今日!恒例の集会だ!」
「オレ採用?」大平は自分を指さす。
「もう決まってんだよ!」
「なんだよ無駄足か?」

シローは小さくおじぎをし、出て行った。2人も続いた。

ユウは、道路を渡ろうとしたシローの背後から声をかけた。

「シロー!」
「はい?」
「魂だけは、売るなよ!」

シローは変わりかけの青信号を、飛び出した。





69

2009年6月24日 連載

 ユウはアパートに着いたとたん、床にドサッと荷物を落とした。同時に襲う安堵感に、脱力感。

「ひっさしぶりに帰ったな~!」

 持って上がった伝票は宅急便や光熱費関係。宅急便はすでに引き揚げられている。経済的に困ることはなくなったが、思わぬ出費や催促もある。学会費や税金関係だ。

「銀行に支払いか・・・いつ行けるんだよ?」

 風呂に入るためお湯がザー!と出ているが、体が重くて起き上がれない。

 天井を見つめ、いろいろ考える。

 僻地の病院のことは悩んでも仕方がない。友人の行き先不明が心配だが・・とりあえず生き残りの女医を育てる必要がある。大学の人員が減るということは、関連病院への人員も渋られる。

 なので、大学医局への入局者人数はかなり気になる話題だ。

「そういや、メール来てたな・・・」

 携帯のメールをかざす。大学の医局長、ノナキーの分だ。

< 大学スタッフを一堂に集め、来るべき救急ラッシュに備えての学長演説が行われた。スタッフには十分余裕はあるものの、教授会によるとあくまで当院スタッフは自己の業務を優先し、プライマリ的なものに関しては関連病院の力をメインとし・・・>

 文章に強引さと不器用さが混在する。あれこれ手直ししてるってことは・・・

「お前、よっぽど困ってるんだな・・・」

 携帯を閉じた。

<「僻地から戻って、人が変わったことに気づいてないの先生?」>
 さきほどの言葉を思い出す。

「気づいてないわけねえだろ!ちくしょう・・・」
 思い出すほど傷つくことが増える。何をもっても、それが隠せない。

ダダダ、と風呂が溢れそうになっている。

「ふろ、風呂に入らないと・・・ふ・・・ろ・・・」

 死んだように、寝入った。



♪ 

戦い疲れた兵士が今
帰って来たよ 帰って来たよ・・・・・・・




68

2009年6月22日 連載

 お互いに頭を冷やすべく、ユウらはみな散会させられ、異なった時間帯で帰宅の途についた。

 シナジーは、おそらく皆が帰って確認するであろうメールの内容を打ちながら考えていた。

<医療のことはとやかく言えませんが・・・。病院としての存続も考えてもらいたい。いずれにしても諸君のチームワークが不可欠なのであり、それがなければこの病院は死んだも同然。リストラされた方々も浮かばれません>

 シナジーは両手で顔を覆った。
「そうだよそうだよ!その通りだ!」

 暗くなった事務から、サンサンと電気がついてる正面のクリニックを眺めた。

「はぁ・・・」

 シャン!とメールの入電。

「?これは・・・そうか!」

 シナジーは立ち上がった。

「これに・・・これに賭けよう!」

 まだ明日がある・・・!

 ユウは高速道路を異常なスピードで走っていた。いろいろ考えた。1人で考えれば、許せないこともだんだん許せるようになってきた。だがそのことがまた許せない。

 だがまたそれを許してそれを許せない、またそれを蒸し返して・・・

「うわっ!」

 急カーブ、もう少しで激突するところだった。以前ともに働いた循環器の医者が過労のせいか、並行していたバイクをそのまま巻き込み重傷を負わせた。医療ミスを乗り越え、立ち直った矢先の出来事だった。

 ユウは停車したまま、横を殺人的に通り過ぎる車の風圧に体を揺らされた。

「・・・・・・・疲れてる。疲れてるだけなんだ。俺も。お前らも・・・」

 そうだった。松田らとの違いを忘れていた。

 疑いもする。怒りもする。でも本当は仲間を信じている。だからこそ・・・

 疑いもする。怒りもする。

 車は闇へと消えていった。




 




67

2009年6月22日 連載

 4時間後。

 カンファレンスルームで、ザッキーと桜田はうつむいて座っていた。何度かドアの開け閉めがあり、ユウが入ってきた。続いてトシ坊。

 4人がけ、2人と2人が向かい合った。

 ユウは言葉をなくしそうになった。

「桜田・・・」
「は、はい」涙がこぼれた。反省の涙なのだろうが・・・
「桜田・・・」

 ユウも泣きそうだった。妙な虚無感だった。救急で大勢を救った自負もここにはない。

「スーパーで倒れてたそうだ。さきほどの中年女性・・」

 うわっと女医はその場で椅子ごと横に倒れた。ザッキーは無念という風に拳を握り締めた。

「脳外科のある病院へ転送された。その後の経過はまだ分からん」
一瞬ザッキーと目が合った。双方、にらみ合った様子。

 トシ坊はやっと目を開いた。
「誤診をした経験がないといえばウソになる。どの医者でもある、とは言わないまでも、あった可能性がある」
「そうだ。確実なものなど、この世にはない」ユウは誇張した。

 女医は、彼らの声が聞こえないほどオエッ、オエッと吐きそうに泣いた。

 夕日はとっくに沈み、電気のない部屋はいっそう暗く。しかしお互いの表情は見通せる。それで充分だ。トシ坊は続ける。

「問題点はむしろ他にある。僕らがこうして話し合うのは、君らがこの病院でこのまま、ここで・・・ここで継続して勤務したのなら。同じ過ちを繰り返さないためにすることが、あるだろう」

 疑問とも感想とも取れないぎこちない口調。トシ坊も純粋に責めたくはなかった。

 ドアの向こう、シナジーがもたれている。彼は・・・内容を知りながらも遠くの問題を考えていた。
「・・・・・・」

 ユウは口を開けた。

「桜田。俺が言っただろ。入院が決定した患者のフォローをしろと」
「うっく・・・ふぁい」
「なんで守らなかった?」

 鎮まった。

「黙ってても分からん。なんで?」
「次々と。次々と救急が」
「ハッタリ前だろが。だから何でかと聞いてる」
「お、落ち着いてたんで」
「だから!そこで勝手に判断するなボケ!」

 ユウは異常に机をたたいた。トシ坊までのけぞった。

 ユウは一瞬感じた。
「(怒りが・・・異常な怒りは何なんだ・・・あ、相手の意見を否定するときは、 まず相手を認めてから・・そうじゃなかったのか・・・)」

 桜田はうつむいた人形と化した。

「ちっ・・・ザッキー。おいお前」
「・・・・」うらめしそうにユウを見る。
「お前。俺に恨みでもあんのか?」
「先生こそ。何の怒りをぶつけてるんです?」
「なにぃ?」

 にらんだ2人は同時に立ち上がった。

 シナジーが、たまらず入ってきた。

「やめなさいって!今、喧嘩してどうすんです!」

ユウは怒りが治まらなかった。ザッキーの指摘は間違いではなかった。

「俺が、何に怒ってるか知ってるのか!お前!お前だよ・・・!」
「僻地から戻って、人が変わったことに気づいてないの先生?」
「俺が変わった?」
「理由は分かってますよ。自分らが今まで築いたものに、裏切られたからだ!」

ユウは背中から取り出したチューブで、ズバーン!とザッキーの腕を叩いた。

「うわああああ!」

シナジーはユウの膝を蹴った。
「暴力医者!」
「いつっ!」

女医以外、みな床に倒れてしまった。

女医の泣き声が、だんだん高鳴っていった。






66

2009年6月22日 連載

 ザッキーが事務所に転がり込んだ。本当に前転し、シナジーとぶつかった。

「いたぁ!」
「頭痛!頭痛で来た中年女性の!」
「何すんだよ・・・いや、するんですか」
「中年女性の!行き先は!」

 田中は処理後のカルテを取り出した。
「住所と電話番号はここに」
 ザッキーは電話した。
「・・・いないよ。家に帰ってないんだ!」

 撮影に加わった技師が呼ばれ、やってきた。
「桜田先生が帰宅を許可して。何でもかかりつけの医者へ行くとか」
「あっちゃー」
「どうしたんです?ザッキー先生」

ザッキーは事務のパソコンを使ってCT画像を呼び出した。

「やってくれるぜ。あいつ!」
指さすが、シナジーには皆目分からない。
「何か、異常が?」

技師の顔が、次第に青ざめた。
「ザーは、否定できないかもですね」
「ザー?」シナジーは手帳を調べた。

 SAH・・・クモ膜下出血・・・。

 CTでは、通常脳のど真ん中に白い5角形を認めるが・・・よく見ると、このケースでは脳の下方、延髄の上部にあたる<橋>という場所の後ろから小脳の中心にうっすらと白い線が・・・。


ザッキーは技師の頭を丸めた新聞紙で叩いた。
「分からなかったのか?」
「すみません・・・」
「ここを出て30分以上たってるか・・・何とかなってるかな」

ザッキーはカルテを見た。
「桜田っちは、丁寧に<正常所見>と書いてら。俺、知ーらね!」
「何を<知らねえ>だと?」

 カテーテルを終えたトシ坊が、仁王立ちしていた。脱ぎ忘れた防護服が、ザッキーの頭に被せられた。

「てっ!医長先生!おつかれです!」
「さっきは何なんだ?自分だけは内視鏡に専念して、緊急でみんな必死だったんだぞ!」
「・・・・・」
「君には前から言いたかったが、症例を重ねることしか頭にないのか!」
「なんですかそれ!言いなおしてください!」
「と、ユウ先生がこの前」

 トシ坊は怖気づいた。実は気が小さい。だがザッキーは堪忍袋が破裂した。

「言いなおせ!言いなおせよ!」
「ちち・・」
「ここの収益の主要部分を売り上げてるのが誰なのか、あんたは知ってるのか!ええ知ってるのかよ!」

 疲れ切ったユウは、脚を組んでさきほどのCTを見ていた。
「おい・・・この症例は・・・この人は?」

 ザッキーは押し黙り、技師が口を開いた。
「不在で」
「じゃなくて。どこの部屋?」
「ささ、桜田先生が」

 技師は震えた。それだけ最近のユウは怖かった。

「意味が分からん!」
「桜田先生が帰らせてしまいました!」
「バカヤロー!」

 机が蹴りあげられ、シナジーら事務員は床へと倒れ込んだ。

 ユウは外へ指さした。

「いまから!さがしにいけええええええ!」


65

2009年6月22日 連載

 トシ坊は依然として、ひとりカテ状態だった。

「ステント挿入後の、確認造影!なにっ・・」
 モニターが心室頻拍。拳で叩くが同じ。うしろ両側に手を伸ばし、パッドを持つ。
「200ジュール!」

 ズドン、と打ち込まれ脈は正常化。患者目覚める。強い虚血変化。
「反対の冠動脈が・・・そうか!」
 左の冠動脈、造影するが枝のように細くなっている。
「血管の痙攣・・・スパズムか!ニトロ剤を注入!」

 独り芝居のように進んでいく。患者はちょっと楽になり、頭を少し持ち上げた。
「今は何を・・・?」
「血管を、守ってます!」
「あ、ありがとう」
「いいえ」

 ユウはCOPDの患者・・・ニップネーザルをつけた患者を運んできた。
「これをしてて・・苦しくなった?」
「う!うう!」高齢男性は一生懸命頷いた。
「血液ガス!ちょっとチクッとするけど!」

 腕の動脈血。色でかなり重症と分かる。

「ピート!俺はCTまで行ってくる!」
「ニップネーザルのマスク、外れてるぞ?」
「陽圧のかけすぎかもしれん!」
「どこで?」
「例のグループさ!」

 ザッキーはユウがいないと分かり、制限がなくなった。
「陽圧のかけすぎかもね!ってか!あれ?」

 パソコンの患者リストを確認。
「頭痛の患者が・・いない?」
「ブヒブヒ!」ナースが寄ってきた。
「処方もなし?」
「桜田先生が、帰しました!」

 さきほどのCT画像に戻した。

「・・・・やばいぞ!」

 ザッキーはダッシュした。
 
 

64

2009年6月22日 連載

 トシ坊は防護服、ゴーグル。手袋の両手でバサッ、と水色の布をかぶせた。
「透視!」
 腕から入ったカテーテルを、技師のサイドから追う。トシ坊の手元でも微妙に視野を操作する。

 両目が画像、モニターの心電図を交互に行き来する。一瞥ごとのフィルムを頭で積み重ね、違いを認知しつつ次の行動に出る。

 カテーテルが大動脈に当たる。あるはずの冠動脈の入口。右の冠動脈の入り口。造影剤が若干入る。中途で途絶。左の冠動脈も狭窄はあるが・・・

「ここが今回の病変だ。ダイレクトにステンティングする!」

 ワイヤーで若干の開存。技師の捜査で造影部がプレイバックされ、拡大投影。コンピューターで径が確認。狭窄部が数センチ。

「こりゃ長めのステントだな・・・!」

 不整脈が頻発。手もとのキシロカイン注射を取り上げた。


 ユウらは4人の処置を終え、2人が入院決定。4人とも、同室で桜田が診ている。ピートは2台のベッドを両手で引っ張ってきた。

「腹部に圧痛か!」超音波の写真をユウが確認。
「膵炎!」叫んだのは遅れたザッキーだった。
「きさま!どこ行ってた!」
「内視鏡、けっこう難渋してて!」
「どけ!」

ユウはザッキーを蹴とばした。
「ピート!膵炎だ!FOYあるか!」
「フサンなら!」ポーチからバイアルを投げ、ユウが受け取る。

ユウは腹に当てがったノートパソコン、それ経由のプローブで確認。
「心不全も合併・・・いや基礎疾患としてか」
輸液をやや少なめに調節。

 不整脈の患者がまた1人。PSVTだ。注射で通常、何とかなる。
 桜田が点滴をとっている。ユウの目に入った。

「桜田!それは後回しだ!フォローの続きはどうした?」
「落ち着いてます!」
 持ってきたアンプルを取りだした。

 近くのパソコン、ザッキーがマウスで操作。
「頭痛の患者の画像はと・・・!」

 桜田が手をパーにして戸惑っている。
「あああ!あ!」
「え?」
ザッキーがパソコンから飛び出した。

 桜田が診た不整脈のモニターが止まりかけ・・いや、動き出した。
振り上げた拳を元にもどし、ザッキーは脈を確認した。
「いったい、何をしたんだ?」
「こ、これ・・・」

 どうやらATPを使用した。間違いではないが。

「いきなり全部を?きつすぎたんじゃないの?」
患者によると、苦痛はなんとか消失へと向かっていた。

 ザッキーはパソコンへ戻ろうとしたが、次の患者が来た。喘息発作だ。
「血管が見つからねぇ!」
 しかし、ナースが慎重に確保していた。
「すごいな。あんたはリストラさせないよ!」

 桜田は、パソコンを確認。
「頭痛の患者・・・血圧は高いようだけど。画像は正常」
 近くに技師が来た。
「血圧は若干、良くなったようだけど。患者さんは帰りたいって」
「帰るのは・・」
「近くの開業医にかかりつけがあると」
「な、なら・・・」

周囲の混乱ぶりを確認。

「なら、いいです」

別ウインドウを開示。





63

2009年6月22日 連載

<救急要請、2名。トシキ医師、桜田医師。お願いします>

 事務、田中よりアナウンス。斜め前方、滑り台の頂上で待機する2名。うち1台の椅子が、斜め下に傾いた。トシ坊が座ってる椅子だ。

「情報からすると、CO2ナルコーシスだ。君が新米だから言っとくが、むやみに挿管ばかりにこだわるな」
「はい」間横に、まだ椅子が傾いてない女医・・・新入りの桜田。

「これは練習だと思え」
「できると思います」
「できるのが義務だ」

 トシ坊の椅子がガタンと引いたかと思うと、トシ坊は直滑降で両ひざを曲げた。
桜田は、だんだん小さくなるトシ坊を見送った。

「桜田。続きます!」

 体のあちこちのポケットを探りつつ、彼女もバッと前にのめり込んだ。トシ坊はすでに着地、玄関の向こうへと消えた。

 来たのは、通常の救急だった。ここ最近はこうだ。通常通りの業務は、やけに楽に思えた。だからといって、手を抜いてるわけではない。

 トシ坊は1人目の浅い呼吸を確認。アンビューを当てた。

「このマスクの袋が患者の肺だ!そう思ってもめ!」
「はいっ!」

 桜田はすでに大汗だったが、今どき素直な女医だった。勝気が上回ってない。
トシ坊は、胸痛患者を確認。

「心電図!」
 ポッケの並んだテープ電極を、手品のように取り出す。患者の胸に。
「バイタル!ミオコール準備!」

 右腰のポータブル機械に電極を接続。覗きこむ。
「ST上昇して、いや発症3時間というところか!」
「ルートキープ!」女医が点滴確保。ところがトシ坊がする寸前だった。
「バカッ!さっきの患者のキープを!」
「す、すみません!」

トシ坊は即座に判断した。

「ザッキー!応援を!ザッキー!」

返答がない。

「ザッキー!大腸内視鏡を中止し、大至急、救急へ!」

無反応。

「なんて奴だ!ユウ先生!ユウ!」

滑り台の頂上、ガタンという音とともにユウが滑走してきた。
「俺を呼びつけるな!後輩が!」

救急車のサイレンが、3,4重と聞こえてきた。

田中、慌てながらアナウンス。

<き、きます!黒い救急車の模様!>

トシ坊はバイアスピリンを内服させ、点滴にニトロ剤などをつるしていった。
「ユウ先輩!彼女のサポートを!」
「こ、これ!AMIじゃないか!心筋梗塞だ!」

<当院へ来ます!その数・・・>

ユウはPHSを持って見上げた。

「何台?」

<・・・・・>

「何台だってんだよ!」

<たた、多数・・・>

「危ない!桜田!」ユウが叫び、桜田は反射的に黒い救急車をよけた。
「ひっ!」

 近くで2台、停車した。トシ坊は事務員に指導、さきほどの心筋梗塞をカテーテル室へ搬送命じた。
「自分は!カテーテル室で治療を続行します!」
「待て!いやそれでいい!」ユウは背中の挿管チューブを抜いた。ポーズを取る猶予などない。

 桜田は1人目の挿管がやっとすんだ。
「できた!できました!」
 アンビューをもんでいるが、その音は・・。

「桜田!胃だよその音!」
「はい?」
「間違えて、胃に入ってるんだよ!」

 ユウは1人、挿管し終えた。もう1人、点滴ルート確保寸前。ポーチからブドウ糖液。

 桜田は、バッグから聞こえるグゥ~という音に目が覚めた。
「はっ!」
「よし代わろう!」ピートが取り上げた。一瞬技で挿管し、ナースに呼吸器設定を指示。

 ピートはそのまま左右を見回した。
「・・・・次はあれだ!」
 桜田も続いた。ピートは振り向く。

「女医!お前はいったん処置した患者のフォローに回れ!」
「えっ・・・」

 ユウは不整脈に対する注射液の準備中。
「ピートの言う通りだ!フォローしろ!」
「・・・・・」

 女医は少し肩を落とし、後ずさりした。




62

2009年6月22日 連載

 真田病院。

「おい!なぜ20人もクビにした!」
白衣のユウは、事務長室に入ってきた。ミチル師長が後ろに。

「何とか言え!」
「私じゃないんですって!もう!」シナジーはそっぽを向いていた。
「スタッフらは驚いてるぞ。いきなり張り紙する奴がどこにいる!」

あちこちで、パニックな声が飛び交う。

「私だって悲しいです。でもオーナー側がメール送ってきたんです!」
「オーナー?なんてオーナーだ!新しいオーナーになって、妙なことばっかりだ!見せろ!」

 ユウはパソコンに手を伸ばしたが、間一髪でシナジーはメールの情報を消去した。

シナジーは立ち上がった。

「松田クリニックができて、こちらの経営がさらに悪化。それは先生もう、有意差ありです」
「だ。だけどよ?な、何もリストラなんて・・・」

 シナジーは真剣だった。

「当院だって、慈善事業ではないんです。それなりの利益を生まなければ、潰れるだけです。人件費抑制もやむを得ない!会社だってそうでしょう!」

「俺たちも頑張ってるさ!精一杯!でもしょうがないだろ!患者が来ないんだからさ!そこが会社と違う!」

「じゃあドクターが何とかしてくださいな!」
「てめえが患者を連れてこい!」

「病院に求心力があれば!近くに病院ができたって!来る患者は来続けるんじゃありませんか?惹きつけるものがないって証拠でしょ!」
「歯、くいしばれ!」

「おまえらええ加減にせいや!」看護部長のミチルが切れた。

「(2人)え。だってこいつが!」

「シロー先生はいきなり辞めるしどうなっとんねんこの病院は!僻地の病院も夜逃げしたって噂やないの!」

 ナースら苦情を背負っての、代表質問に来たのであった。

 シナジーは口に人差し指をあてた。
「シロー先生のことはオフレコだよミチルさん!」

「何言うとんや。みんなもう知ってるで。そりゃな。こんなガタつく病院だったらハン。シロー先生も逃げるわな」
「私にはどうにもできなくて!」

 ユウは制止した。

「でな。話戻すようだけどな。俺がこうして来たのは。その新オーナー。経営者とやらに・・直に談判したいんだよ。会わせろってことだ」
「せや。あたしもそれに関心がある」
ミチルもつぶやいた。

「給与明細見て、みんな怒ってるで。いつもよりさらに減額されとる」

「えー?」シナジーはわざとらしくのぞく。
「そうかな・・・これも実績の反映かな?」

包帯づくめのザッキーが、はるか後ろから現れた。

「皆の士気が落ちちゃうよ!こんなことして!ちゃんとした説明がないと!」
「説明・・・ですか」
「新しいオーナーが誰かとは言わないから!ここに来ないんですかその方は!」

 シナジーは真顔になった。
「ち、近いうちにここに来られます・・・じゃあ来月ってことで」

 みな、うつむいて携帯のカレンダーに入力。

 ユウらは医局に戻った。

「ダメだダメだ。このままじゃ、この病院はホントに潰れてしまう。ホントはオーナーがどうとか、もめてる場合じゃないんだ」

ピートが服をアイロン中。

「落ち着け。ユウ。最近変だぞ」
「分かってる。分かってるんだが・・・」
「大学がえっらいことになるようだぜ」
「なに?」

「挑戦状が来たとよ。救急ラッシュがきっかけらしい。学長が宥めたそうだが、どうだか。これからどうなるかだぜ。それとICUの医者は、もうダメかもしれんのだってな!お前のもと医局員だろ?」
「なに?同じ医局員?ノナキーはそこまでは・・・」

「おいおい。もう一部の人間は知ってるサ」
「ICUにいる医者・・・」

 いったい、誰だ・・・。ユウには知るよしもなかった。

「(まさか、ノナキーの奴・・・まさかな・・・)」

61

2009年6月22日 連載

大学の学生の授業はすべて休講。試験も延期。メールに加え、電話での連絡網で徹底された。そして・・・

< 特別招集 : 全職員・全学生による合同会議 >

 という名目のもと、全スタッフが体育館に集められることになった。

 体育館の空調はなかなか思うようにいかず・・ではない。あまりにもの人数、その熱気でその場が溢れていた。事情を知らないほとんどのスタッフは、みな興味深くその主題に聞き入ろうと待っていた。

 ステージの上、有名人を歓迎するような場違いなスローガンがある・・・のは、大学祭の準備期間ということもあってだ。

 マイクのテストを始めて、もう1時間になる。だが、誰も出れない。学生らが後ろを振り向くが、決して立ち去ろうとはしない。後ろには教授・講師陣が目を光らせており、出席は名簿形式。そばに「今後の単位に入れる」とある。

 千人を超える人間を抱え、体育館の温度は急激に上昇しつつあった。

 大学長が、スーツで端からやってくる。分かる人間に分かるのみ。そのためか、拍手は思ったほど少ない。ケンタッキーおじさん風の彼は、妙な安心感をもたらした。

「大変なことになりました。その、なりました。いや、私もね。連絡を受けたのが3日前。出張予定だったのですが、飛行機の予約も取り消しました。でもね皆さん。噂ほどは・・・誰か知ってるかな。あー君?知らない?そうか」

 誰かが、マイク位置をただす。

「噂のようなことはね。決してありません。安心してください。動揺しないように。大丈夫ですよ。いいですか。いつの時代も、妙な噂を流す人がいますよね。<アメリカが攻めてきた>。とか」

(爆笑)

「患者が空から、落下傘で降ってくる」

(爆笑)

「うちのこれだけのスタッフがね。見てください。皆さんの仲間ですよ。見てみなさい。全部!」

(ざわめき)

「これだけの!いいですか。これだけのスタッフを抱える大学病院のスタッフが互いに連携すれば、24時間、いや365日間だって!回し続けることはできますよこれ絶対!私は・・断言します!」

(拍手。一部、嗚咽)

 人が集まったことで、知る人ぞ知るの内容は秒単位で拡がる。しかも携帯メールで一斉に拡散される。事情はほとんどが知るところとなった。

「心配は要りません。すでに各講座の教授たちが。皆さんのために。連絡網やコール表を作成しています。もしものためのですよ。でもね。私が昨日から。背後の組織とコンタクトを取ることに成功しまして!」

(大拍手)

 嘘かホントか・・・。一部の人間は鋭く見抜いた。

「交渉を始めました。彼らは、誤解を認めてました。お互い擦れ違いがあったようです」

 ミタライ医師の入院している、ICU。

 帽子をかぶってモニターの前で涙ぐむ医局長。助手から通じたPHS音声で聞いている。
「誤解だと・・・・?」

 呼吸器が、シュパー・・・シュパー・・・とリズムをとる。

「これが、誤解ですむことなのか・・・!」

 学長は進める。

「ですから皆さん。今日は特別に招集をしたわけですけども。何のことはない。皆さんは平常通り、業務をこなしてください。学生さんらも従来通り、勉学に励んでください。スタッフらは徐々に計画を立て、各部門ごとに体制を作ること!」

(大拍手)

 形式だけのものに終わった。

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